『死後の11月5日に発売されたマキャベリ名義のアルバム「The Don Killuminati: The 7 Day Theory」のジャケット』

1996年9月13日は、“2Pac”ことトゥパック・アマル・シャクールが同年9月7日の射殺事件の結果死亡した日である。
1990年代に隆盛したヒップホップの牽引したラッパーの代表格であるトゥパックは、両親共にブラックパンサー党員だったというその激しいメッセージ性を受け継いだのか、人種差別等あらゆる障害に対し過激な怒りを表現するスタイルで多くの若者たちの共感を得たアーティストだった。
しかし、同時代に現われたもうひとりのカリスマ的ラッパー“ノトーリアス・B.I.G.”ことビギー・スモールズとの激しい二極抗争——最初はその音楽を通じて行なわれていたものが、実際の殺人事件に発展してしまうという、現在のヒップホップにも脈々と受け継がれている“暗い殺人の連鎖”を大々的に知らしめる事件となった。
5発もの被弾をしたという過去の銃撃事件以来、トゥパックはビギーをその黒幕と信じていたために、1996年9月7日のボクシングに行なわれた試合、マイク・タイソンーブルース・セルドン戦の観戦後の帰路で横付けされたキャデラックから4発の発砲を浴びてトゥパックが死亡した際も、まずビギーが疑われることになった(レコーディング中であったと容疑を否定)。
数多くのアーティストをマネジメントするジミー・ヘンチマンが2011年にトゥパックの射撃犯であると名乗り出たが、現在も真相は明らかになっていない未解決事件である。
いま確かなことは、ビギー・スモールズもこの殺人事件の半年後、1997年3月9日に何者かによって撃ち殺されているということだけだ(こちらも未解決)。そしてのその死の連鎖は、アメリカを始め至るところで現在も繋がり続けている。
元々ヒップホップは、他者をののしり合うという極めて戦闘的な要素を多分に孕んだ音楽、表現ではある。
トゥパックに影響された白人ラッパーのエミネムが殺人への反対を訴えるなどしているが、果たして、ヒップホップがこういった直接的な悲劇から解放される日はやってくるのだろうか?

(写真はMakaveli作『The Don Killuminati: The 7 Day Theory』1996年11月5日発売/デス・ロウ・レコーズ)

9月13日の不幸

1912年
【自殺】【殉死】乃木希典【軍人】

明治時代を代表する陸軍軍人のひとり。長州藩の武士の家に産まれる。1864年に学者を志ざして出奔、萩藩の藩校・明倫館に通いながら一刀流剣術も学ぶ。1865年、第二次長州征討が起こり長府藩報国隊として参加。1868年に軍人としての道を選び、豊浦藩の陸軍練兵教官へ。1872年に大日本帝国陸軍の少佐に就任、同年には正七位を叙され源三から希典へ改名した。1877年に起こった西南戦争に参加し中佐に進級。1885年、最年少で少将となりドイツへ留学。1894年に日清戦争に従軍し旅順要塞を1日で攻略するなど、武功が評価され中将に昇進。1904年の日露戦争では第3軍司令官に任命され従軍。翌年帰国後は、第3軍司令官を退任し軍事参議官となり、1907年から学習院長を兼任し昭和天皇の教育係へ。1912年9月13日、明治天皇の葬儀後妻・静子とともに自刃。没年62歳。

1946年
【処刑】アーモン・ゲート( Amon Leopold Göth )【軍人・強制収容所所長/ナチス・ドイツ】

第二次世界大戦中、ポーランドのクラクフ・プワシュフ強制収容所の強制収容所所長を務め、大量のユダヤ人虐殺に実行犯としてかかわった人物。犬による拷問、自ら銃殺していたなど、そのサディスティックな嗜好で有名であり、"ルブリンの血に飢えた犬""プワショフの屠殺人"などというおぞましいニックネームで恐れられ、スティーブン・スピルバーグの映画『シンドラーのリスト』でも悪役としてクローズアップされた。戦時中に資金横領と虐待容疑で失脚し、戦後ポーランドに護送され絞首刑に処された。その長身のために2度失敗し、3度目に絶命したという(その処刑動画も広く公開されている※閲覧注意)。没年37歳。

1971年
【航空事故】【怪事件】林彪【政治家/中国】

中華人民共和国元帥、中国共産党中央委員会副主席。毛沢東の後継者として指名され、中国共産党のナンバー2にまで登り詰めたが、その野心を毛沢東に疑われ、息子の林立果らとともに軍部を掌握し毛沢東暗殺を企てた(「林彪事件」別名「9・13事件」)。そして9月8日に実行するも、事前に露見し失敗。ソ連への逃走途中の13日深夜に、モンゴル人民共和国のヘンテイ県ベルフ市近郊で不時着陸に失敗し、搭乗していた9人全員が死亡(妻の葉群、林立果を含む)。没年63歳。毛沢東はその撃墜を否定したが、ソ連側も否定したために事故死扱いとなっているが、真相は不明である。

1975年
【死去】棟方志功【版画家】代表作『大和し美し』で知られる20世紀の日本を代表する版画家。1956年にはベネチアビエンナーレの国際犯が賞を受賞し、国際的にも知られる芸術家となった。肝臓ガンで72歳没。
1984年
【自殺】ちばあきお【漫画家】

人気少年野球マンガ『キャプテン』『プレイボール』の作者として知られる漫画家。実兄に『あしたのジョー』等で知られる漫画家のちばてつやがいる。晩年は躁鬱病を患い1984年9月13日に仕事場で首吊り自殺。没年41歳。

1987年
【原子力事故】「ゴイアニア被曝事故」

1987年9月13日、ブラジル・ゴイアニア市の廃病院跡に放置されていた放射線療法用の放射性物質格納容器が盗難された事件。その後廃品業者などに容器が渡り解体され放射性物質が露出。露出した物質に住人が接触し、およそ250人が被曝。このうち20人が急性障害となり4人が放射線障害で死亡することとなった。

1988年
【夭折】【急死】 堀江しのぶ【タレント】1983年開催の「クラリオンガールコンテスト」で「平凡パンチ・アイドル賞」を受賞し、イエローキャブの前身である黒澤プロモーションからデビューしたグラビアアイドル、歌手。スキルス性胃癌を患い急死。没年23歳。
1996年
【暗殺】【夭折】2パック(Tupac Amaru Shakur)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1990年代を代表するヒップホップMC。両親共にブラックパンサー党員だったというその激しいメッセージ性を受け継いだのか、人種差別等あらゆる障害に対し過激な怒りを表現するスタイルで多くの若者たちの共感を得た。また過激なのはその私生活においても同様で、レイプ容疑や発砲事件などで逮捕、収監されていた時期もあった。1996年9月7日にボクシングのマイク・タイソンーブルース・セルドン戦を観戦後に射殺された。半年後に自身も射殺されることになるカリスマ的ラッパー"ノトーリアス・B.I.G."がその黒幕であったともいわれ、ジミー・ヘンチマンが2011年にトゥパックの射撃犯であると名乗り出たが、現在も真相は明らかになっていない。没年25歳。

1999年
【連続爆破事件】【テロ】「ロシア高層アパート連続爆破事件」

1999年8月31から9月16日にかけてロシアで起こった5件の連続爆破事件。8月31日、モスクワ中心部のショッピングモールで爆弾テロが発生。9月4日、ダゲスタン共和国・ブイナクスクの軍人用集合住宅でトラックが爆発。同月9日と13日にモスクワの集合住宅が爆破。さらに同月16日にヴォルゴドンスクの集合住宅が爆破された。この事件によりおよそ300人が死亡、400人以上が負傷。また、5件の爆破のうち最も死傷者を出したのが、9月13日の爆破で119人の死亡者を出した。事件はチェチェン独立派武装勢力のテロとされ2000年に事件に関わったとされる33人が拘束されたが、真相は諸説ある。

2015年
【急死】モーゼス・マローン(Moses Eugene Malone)【バスケットボール選手/アメリカ合衆国】

ABAとNBA合わせて21年のキャリアを誇った伝説的なビッグマン。高校卒業後の1974年にABAのユタ・スターズに入団。1976年にABAが解体されて以降はNBAに活躍の場を移し、ヒューストン・ロケッツ時代の1979年と1982年にはシーズンMVPを獲得する活躍をみせ、翌1983年にはライバルのフィラデルフィア・セブンティーシクサーズに移籍。その年もシーズンMVPを獲得しチームを優勝に導き、ファイナルのMVPも獲得する活躍をみせた。その後も長きにわたり各チームを渡り歩き、1995年にサンアントニオ・スパーズで引退。通算1,455試合で29,580ポイント、17,834リバウンドという大記録を残した(ポストシーズン100試合では通算2,213ポイント、1,400リバウンド)。翌年「NBA史上最も偉大な50選手」に選ばれ、2001年にはバスケットボール殿堂入りを果たした。2015年9月13日にチャリティーマッチ出場のため訪れたバージニア州のホテルで睡眠中に死亡。没年60歳。高血圧とアテローム硬化性心臓疾患が原因であったとされる。