『1955年の映画「To Catch a Thief(泥棒成金)」に出演するグレース・ケリー』

1982年9月14日は、1950年代のハリウッドを代表する正当派スター女優であり、引退後はモナコ公国の公妃となったグレース・ケリーが、前日起こした自動車事故のために死亡した日である。
女優として活動していた時期は、数多くのスターと浮き名を流していたグレース・ケリーであったが、1956年の結婚以来は一転して一国を代表する聖女として、世界中にモナコ公国を知らしめる“顔”となった。
しかし、その穏やかで気品あるパブリックイメージとは似つかわしくない、激しい最後を迎えることとなる。
1982年9月13日、モント・アゲルからモナコへと戻る帰路、自らハンドルを握りローバー3500を走らせていたところ、運転中に脳梗塞を起こし、急カーブでコントロールを失った車体は、ガードレールを突き抜けて40メートルほど転落。
同乗していた次女のステファニー公女が必死にコントロールしようとしたというが、その悲劇は避けられず、そのまま搬送された病院で、意識を取り戻すことなく死亡した(ステファニー公女は骨折などの軽傷で済んだ)。
公妃が自ら運転していたこと自体が驚きであったが、さらに続報として当時17歳というステファニー公女が運転していたという報道も出るなど、何かにつけて世界中を騒然とさせる事件であった。
真相はケリー自身の突然の脳梗塞の発症ということで間違いないようだが、女優から公妃へ、そしてカークラッシュでの死の瞬間まで、グレース・ケリーほど人々を惹きつけて止まないドラマチックな人生を送った人間も他にいないだろう。

(写真はWikipedia Grace Kellyより使用。Public Domain)

9月14日の不幸

1321年
【死去】ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri)【詩人・哲学者・政治家/イタリア】

ルネサンス文化の先駆けと言われる叙事詩『神曲』や詩文集『新生』の作者として知られるイタリア最大の詩人。ほとんどの著作は、政治的な争いに敗れ1301年にフィレンツェを追放されてから死の直前までに書き上げられた。ヴェネツィアに向かう途中に罹ったマラリアが悪化し1321年9月14日に死亡。56歳没。晩年を送ったラヴェンナにその墓は存在するが、ダンテの一族のルーツであるフィレンツェはその遺骨を戻すように要求し続けているが、ラヴェンナ側はこれを拒否し続けている。

1851年
【死去】ジェイムズ・フェニモア・クーパー(James Fenimore Cooper)【小説家/アメリカ合衆国】

1992年に映画化された小説『The Last of the Mohicans(モヒカン族の最後)』の作者として知られる小説家。水夫や海軍士官として各地を巡った人物としても知られている。61歳没。

1901年
【暗殺】ウィリアム・マッキンリー(William McKinley)【政治家/アメリカ合衆国】

オハイオ州知事を務めた後の1897年に第25代アメリカ合衆国大統領に就任した人物。金本位制の導入、米西戦争、米比戦争など激動の時代のアメリカを牽引した指導者であったが、1901年9月6日にバッファローでのパン・アメリカン博覧会に出席していたところを無政府主義者のレオン・チョルゴッシュにより2度の銃撃を受け、一時回復したものの、9月14日に容態が急変し死亡。58歳没。

1982年
【自殺】クリスチャン・フェラス(Christian Ferras)【ヴァイオリニスト/フランス】

ニース音楽院、パリ音楽院で主席を獲得し、卒業後世界的に活躍したヴァイオリニスト。バッハやベートーヴェン、ブラームス、シベリウス、チャイコフスキー等の協奏曲に於いて優れた録音を残した。私生活では極度のアルコール依存症や鬱病に苛まれ、1975年頃から公的な活動を引退していたが、1982年に演奏を再開し、8月25日にヴィシーで行なった演奏会からわずか3週間後にあたる9月14日、自宅アパートの10階から飛び降り自殺。没年49歳。

1982年
【交通事故死】【怪死】グレース・ケリー(Grace Patricia Kelly)【女優・モナコ公妃/アメリカ合衆国・モナコ】

アルフレッド・ヒッチコック監督作で数多くの主演を務めた1950年代のハリウッドを代表する女優。カンヌ国際映画祭をきっかけにモナコ大公レーニエ3世と結婚し、女優を引退し公妃に。世界中にモナコ公国を知らしめる"顔"として活動した。自らの運転して別荘から帰宅中に脳梗塞を起こし事故死。その後当時17歳というステファニー公女が運転していたという報道も出るたが、真相は未だ明らかになっていない。没年52歳。

1989年
【死去】ペレス・プラード(Dámaso Pérez Prado)【作曲家・指揮者/キューバ】

キューバ生まれだが国内では受け入れられず、1948年にメキシコに移住。そこで結成したペレス・プラード楽団のリーダーとして『Que Rico El Mambo』『Mambo NO.5』『Cerezo Rosa』等、数々の大ヒット曲を連発し、"The King of the Mambo(マンボ王)"と呼ばれる知名度を獲得した。晩年まで活動を続け、1989年9月14日に脳卒中で死亡。没年72歳。

2005年
【死去】ロバート・ワイズ(Robert Earl Wise)【映画監督/アメリカ合衆国】

20世紀を代表するアメリカの映画監督のひとり。1933年にハリウッドの映画業界で音響効果技師として働く。1941年、編集で携わったオーソン・ウェルズ監督・主演の『市民ケーン』がアカデミー編集賞にノミネート。1944年に『The Curse of the Cat People(キャット・ピープルの呪い)』で監督デビューへ。1950年代には『The Day the Earth Stood Still(地球の静止する日)』(1951年)やアカデミー主演女優賞獲得およびアカデミー監督賞にノミネートされた『I Want to Live!(私は死にたくない)』(1958年)を発表。1960年代は『West Side Story(ウエスト・サイド物語)』(1961年)、『The Sound of Music(サウンド・オブ・ミュージック)』(1965年)がともにアカデミー監督賞受賞。その後、『スタートレック』(1979年)の劇場版第1作などを撮った後、『Rooftops』(1989年)が最後の監督作品となった。晩年は全米映画監督ギルド、映画芸術科学アカデミーの会長を務め、2005年9月14日に心不全で死去した。没年91歳。

2008年
【スポーツ事件】【オカルト事件】「2008年コンゴ民主共和国サッカー暴動」

2008年9月14日、コンゴ民主共和国東部で行われていたサッカーの試合中に起きた暴動。地元チームのSocozaki(ソコザキ)とNyuki(ニューキー)の試合中、Nyukiのゴールキーパーが試合を逆転するための呪文を唱えたことをきっかけにチーム間で乱闘へ発展。仲裁に入った警察署長へ観衆が投石などを始めたため、警察側は空へ向けての威嚇発砲、観衆へ向けて催涙ガスを発射。このため、観衆はパニックとなり13人が窒息死、36人が負傷した。

2009年
【殺人事件】【未解決事件】「住友銀行名古屋支店長射殺事件」

1994年9月14日に住友銀行(現・三井住友銀行)の名古屋支店長・畑中和文(当時54歳)が何者かに自室前で射殺された事件。その後、同銀行に融資を求めていた近藤忠雄(当時73歳)が殺害を供述。所持していた弾丸の線条痕が事件のものと一致したため同年11月に逮捕となった。しかし、証言内容が一致せず身代わりである可能性が高いとされ、近藤は銃刀法違反で懲役7年の判決を受けた。2009年9月14日、真犯人はわからぬまま事件は時効を迎えた。