『1948年の土門拳の撮影風景』

1990年9月15日は、戦後の日本写真界を牽引し、演出を一切拒否した徹底的な『リアリズム写真』を確立してみせた写真家の土門拳が死亡した日である。
人物ポートレートでは徹底的に被写界深度を深くするというソリッドな作風で、同時代を生きたもうひとりの“リアリズム写真の巨匠”である木村伊兵衛とは双璧を為した土門。
時に“鬼”とも呼ばれたようなその徹底的な仕事ぶりで有名だった土門は、その仕事の中で3度倒れている。
1度目は1960年の写真集『筑豊のこどもたち』の続編『るみえちゃんはお父さんが死んだ』を完成直後に脳出血で倒れた。
さらに2度目は雑誌『太陽』の取材で山口県萩市を訪れた際に脳出血を起こして緊急入院。2度目に至ってはほぼ1年を意識不明のまま生き、その意識を取り戻した時には右半身不随になっていたという。
その後の必死のリハビリでまた現場に復帰するも、1979年9月に脳血栓で意識不明に。
その後11年間昏睡状態のまま生きたが、3度の復活はならなかった。
当時から“写真の著作権は写真家にこそある”“写真には作家の個性が表われる”と写真の芸術性を説いていた土門だっただけに、作品同様、その生涯も鬼気迫るものであったことは疑いない。

(写真はWikipedia Ken Domonより使用。Public Domain)

9月15日の不幸

1974年
【ハイジャック】【航空事故】「エア・ベトナム706便ハイジャック事件」

1974年9月15日、旅客機エア・ベトナム706便(ボーイング727-121C)が飛行中に南ベトナム軍のレンジャーであったル・ドゥック・タンにハイジャックされた事件。706便はダナン発サイゴン行きであったがタンはハノイへ向かうことを要求。この時、手榴弾2個をタンは持っていた。しかし、機長はハノイではなく南ベトナムのファンラン空軍基地へ着陸進入を開始。その後、進入を中止し機体が墜落した。この事件により犯人を含む乗客乗員あわせて75人の全員が死亡。墜落の原因は、機長がタンの要求に応じなかったため手榴弾を爆発させたとみられている。また、犯人も死亡したためハイジャックの理由もわかっていない。

1980年
【薬物中毒死】 ビル・エヴァンス(Bill Evans)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

クラシックの要素をいち早くジャズに持ち込み、世界的影響力を持ったジャズ・ピアニスト。代表作にアルバム『Portrait in Jazz』『Waltz for Debby』等。また、『カインド・オブ・ブルー』への参加など、同時代に活躍したもう一人の巨人、マイルス・デイヴィスとの競演も数多く果たした人物でもある。生涯にわたり薬物の中毒症に苛まれ、晩年は多量の飲酒もあいまって衰弱してゆくばかりであった。1980年9月9日にニューヨークの「ファッツ・チューズデイ」において初日演奏を行ない、続く公演2日目の9月11日をキャンセル。そのまま肝硬変、出血性潰瘍による失血性ショックで死亡した。51歳没。

1990年
【死去】土門拳【写真家】

戦後の日本写真界を牽引し、演出を一切拒否した徹底的な『リアリズム写真』を確立してみせた写真家。人物ポートレートでは徹底的に被写界深度を深くするというソリッドな作風で、同時代を生きたもうひとりの”リアリズム写真の巨匠”である木村伊兵衛とは双璧を為した。代表作に『筑豊のこどもたち』『るみえちゃんはお父さんが死んだ』『古寺巡礼』等。1979年9月に脳血栓で意識不明になり、その後11年間昏睡状態のまま生きたが、1990年9月15日に心不全で80歳没。

1995年
【死去】渡辺美智雄【政治家・ジャーナリスト】

“ミッチー節”で知られる中曽根派の元衆議院議員(1963年〜1995年)。息子には参議院議員の渡辺喜美、孫には同議員の渡辺美知太郎がいる。読売新聞の記者などを経て、1955年に栃木県議会議員選挙の出馬し初当選。1960年、県議を辞職し衆議院議員総選挙に立候補するも落選。落選後、自由民主党総務会長などを務めた河野一郎の元へ行き、1963年に衆議院議員総選挙へ出馬し当選。1965年から中曽根派に所属し農林政務次官に就任。1976年、厚生大臣として初入閣。1978年に農林水産大臣へ就任。その後も大蔵大臣(1980年〜1982年)、通商産業大臣(1985年〜1986年)、副総理兼外務大臣(1991年〜1993年)などを歴任した。1995年9月15日、膵臓ガンにより死去。没年72歳。

2006年
【社会事件】【宗教事件】「麻原彰晃(松本智津夫)死刑確定」

2006年9月15日、オウム真理教による一連の事件で教団元代表・麻原彰晃(松本智津夫)の死刑が最高裁判所が特別抗告を棄却したため確定した。

2008年
【死去】リチャード・ライト(Richard William Wright)【ミュージシャン/イギリス】

1960年代から活躍したイギリスのキーボーディストでバンド「ピンク・フロイド」のオリジナル・メンバーとして知られる人物。12歳頃からギターやピアノを弾きはじめ、大学在学中にロジャー・ウォーターズとニック・メイスンに出会う。1965年「ピンク・フロイド・サウンド」に参加、1967年にバンド名を「ピンク・フロイド」に改名しメジャー・デビューへ。1978年、ソロ・アルバム『Wet Dream』を発表。1979年アルバム『The Wall(ザ・ウォール)』製作時にロジャー・ウォーターズとの対立からバンドを解雇され、脱退後は薬物依存症を患う。1987年、デヴィッド・ギルモアとニック・メイスンが再始動させた「ピンク・フロイド」のアルバム『A Momentary Lapse of Reason(鬱)』へ参加、同年に正式メンバーに復帰した。2008年9月15日、ガンにより死去。没年65歳。

2008年
【社会事件】「リーマン・ショック」

2008年9月15日、アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズ・ホールディングスが倒産したことにより、世界規模の金融危機が発生。きっかけは2007年にアメリカの住宅バブルが崩壊し、カードローン関連債券などの資産価値が暴落したことであった。この「リーマン・ショック」とは和製英語のため、英語圏では「the financial crisis of 2007-2008(2007年から2008年の金融恐慌)」、「the 2008 financial crisis(2008年金融危機)」などと呼ばれるのが一般的である。

2017年
【科学】「土星探査機『カッシーニ』土星突入」

2017年9月15日、土星探査機「カッシーニ」が最終目的である土星の大気圏に突入し消滅した。アメリカ航空宇宙局(NASA)と欧州宇宙機関(ESA)が共同開発した「カッシーニ」は1997年に打ち上げられ、13年にわたり土星を探査。多くのデータを送り続けその役目を終えた。