『1973年にABCで放送された「In Concert」でのマーク・ボラン』

1977年9月16日は、T-レックスを率いて1970年代に“グラムロックの伝説”として活躍し、文字通り世紀のヒット曲『20th Century Boy』で知られるミュージシャン、マーク・ボランが交通事故死した日である。
生前から車での死を恐れていたために運転をしなかったという稀代のロックスターは、愛人であったアメリカ人シンガーソングライター、グロリア・ジョーンズの運転する車で帰宅途中のなんの変哲もない場所で事故に遭い即死した(グロリアもまた大きなダメージを受けたが無事に生き残り、彼との子供を無事出産している)。
ロンドン南西部バーンズにある事故現場のセイヨウカジカエデの木は、事故死したその日以来ファンたちの巡礼地となり、やがて“マーク・ボランのロック神社(Marc Bolan's Rock Shrine )”と呼ばれる聖域として、現在も胸像が建てられるなどして存在感を放っている。
また、マーク・ボランは生前「30歳になるまでに死ぬ」と公言していたため、30歳を2週間後に控えての事故死は様々な憶測を呼ぶことにもなった(誕生日は1947年9月30日)。
その代表的なものが、1973年に発表した『Solid Gold Easy Action』の歌詞 "Easy as picking foxes from a tree(木の中で狐狩りをするように簡単)" "Woman from the east with her headlights shining(東から来た女のヘッドライトが輝く)"などが事故を暗示していたとする説である。
どれも真実とはかけ離れた言説に過ぎないように思えるが、既成の価値観を打破したグラムロックのトリックスターは、死してなお人々を魅惑し続ける伝説として生き続けているのだろう。

(画像はWikipedia Mark Bolanより。Public Domain)

9月16日の不幸

1087年
 【死去】ウィクトル3世(Papa Victor III)【ローマ教皇/イタリア】

11世紀イタリアで第158代ローマ教皇(1086年〜1087年)となった人物。1039年頃にモンテ・カッシーノ修道院へ入り1059年に枢機卿に。1086年に教皇へ就任し翌年に対立教皇クレメンス3世を破門。1087年9月16日に病で死去。推定没年齢61歳。

1782年
【死去】ファリネッリ(Farinelli)【声楽家/イタリア】

18世紀イタリアで活躍した代表的なソプラノカストラート歌手。音楽一家に生まれ、1717年頃に12歳で去勢手術を受ける。その後、ナポリのポーヴェリ・ディ・ジェス・クリスト音楽院で作曲家で声楽教師のニコラ・ポルポラに学び1720年に歌手デビュー。デビュー後はヨーロッパ各地で活躍。1737年からスペイン・ブルボン朝国王フェリペ5世の王室歌手として過ごし、スペインでイタリア・オペラの繁栄に尽力。1759年に王室歌手を退職、晩年はイタリア半島ボローニャで隠棲生活を送り1782年9月16日に死去。没年77歳。

1920年
【テロ】【未解決事件】「ウォール街爆破テロ事件」

1920年9月16日、ニューヨークのウォール街にあった銀行「JPモルガン・チェース本社」前で馬車に仕掛けられた爆弾が爆発し38人が死亡、およそ400人が負傷。テロはイタリアの無政府主義者によるものと判明するも未だ犯人の特定には至っていない。なお、この事件は世界初の車爆弾を使用してのテロとされている。

1923年
【暗殺】大杉栄【思想家・ジャーナリスト】

明治時代から大正時代にかけての思想家およびジャーナリストで、アナキストとして知られる人物。軍人の家に生まれ、1899年に名古屋陸軍地方幼年学校へ入学。1901年に同級生と殺傷騒動を起こし同校を退学処分となる。1902年に文学者を志し上京、順天中学校へ入学し翌年に東京外国語学校へ入学。上京後は幸徳秋水らの非戦論に影響を受ける。大学卒業後の1905年にエスペラント学校を開校。1906年に「電車焼き討ち事件」に関与したとして逮捕される。同年に釈放され新聞紙条例違反で起訴され、以後社会主義運動へ携わることに。1908年に「屋上演説事件」「赤旗事件」を続けて起こし逮捕され投獄生活を送る。1910年に出所し堺利彦らと売文社を結成。1912年から『近代思想』『平民新聞』(1914年)『近代思想』(1916年)と雑誌を創刊するも発売禁止処分へ。1916年に恋愛関係にあった神近市子に刺され重症を負う(「日影茶屋事件」)。1917年に婦人解放家で恋人の伊藤野枝と『文明批評』を創刊。1919年に東京労働同盟会の機関紙『労働運動』を創刊。1920年にコミンテルンの呼びかけにより上海で行なわれた社会主義者の集会に参加。1921年にアナキスト・ボルシェヴィキ共同の機関紙『労働運動』を刊行。1922年にジャン・アンリ・ファーブルの『昆虫記』を翻訳し出版。1923年にフランスへ渡り演説を行なった後に逮捕され強制退去となる。同年に自叙伝『日本脱出記』を出版。1923年に「関東大震災」が発生。同年9月16日に伊藤野枝、6歳の甥・橘宗一と共に憲兵大尉・甘粕正彦らに連行され殺害された(「甘粕事件」)。没年38歳。

1923年
【思想弾圧】【殺人事件】「甘粕事件」

1923年9月16日にアナキストの大杉栄(当時38歳)、伊藤野枝(当時28歳)、大杉の甥である橘宗一(当時6歳)の3人が憲兵大尉の甘粕正彦(当時32歳)らに連れ去られ虐殺される事件が発生。その後、甘粕には懲役10年が科されることとなった。

1977年
【交通事故死】【夭折】マーク・ボラン(Marc Bolan)【ミュージシャン/イギリス】

ロックバンド「T-レックス」を率いて、1970年代に隆盛を誇った”グラムロックの伝説”として活躍し、世界的ヒット曲『20th Century Boy』『Get it on』等で知られるミュージシャン。生前から車での死を恐れていたために運転をしなかったが、愛人のグロリア・ジョーンズの運転する車で帰宅途中のなんの変哲もない場所で事故に遭い即死した。没年29歳。生前「30歳になるまでに死ぬ」と公言していたため、30歳を2週間後に控えての事故死は様々な憶測を呼ぶことにもなった。ロンドン南西部バーンズにある事故現場のセイヨウカジカエデの木は、事故死したその日以来ファンたちの巡礼地となり、やがて”マーク・ボランのロック神社(Marc Bolan’s Rock Shrine )”と呼ばれる聖域となり、現在も胸像が建てられるなどして今も存在感を放っている。

1977年
【怪死】マリア・カラス(Maria Callas)【歌手/アメリカ合衆国】

ギリシャ系アメリカ人のソプラノ歌手。独特歌声と驚異的な表現力で、”20世紀最高のソプラノ”とも呼ばれた。しかし、不摂生や急激なダイエットにより衰えも早く(原料のため体内にサナダムシを飼っていたという説も)、43歳で実質上引退となった。私生活が派手なことでも知られ、ギリシャの大富豪オナシスとの愛人関係は、オナシスがジャクリーン・ケネディと再婚しても続けられたという。1977年、53歳の時に自宅で心臓発作を起こし死去。死後、彼女の遺産を横領したヴァッソ・デヴェッツィなるピアニストによる毒殺説も根強い。

1982年
【大量虐殺】「サブラ・シャティーラの虐殺」

1982年9月16日、レバノンのサブラーおよびシャティーラのパレスチナ難民キャンプで親イスラエル政党で構成される民兵組織「レバノン軍団」が同難民を虐殺。虐殺はおよそ2日間続き、およそ762人〜3,500人が虐殺されたとされている。

1984年
【自殺】リチャード・ブローティガン(Richard Brautigan)【小説家・詩人/アメリカ合衆国】

『Trout Fishing in America(アメリカの鱒釣り)』で知られるビートニクを代表する小説家、詩人のひとり。1984年10月25日にカリフォルニア州ボリナスの自宅で拳銃自殺しているところを発見された。49歳没。近隣住民の証言では9月16日に銃声を聞いたいわれている。

2001年
【急死】【怪死】【夭折】米森麻美【アナウンサー】

元日本テレビのアナウンサー。同僚の永井美奈子、藪本雅子らとDORAなるアイドルユニットを組み歌手活動するなどして活躍。結婚後寿退社し、フリーで活躍するも、2001年に長男出産後3週間で急死。死因は伏せられている。没年34歳。

2003年
【放火】【立てこもり事件】「名古屋立てこもり放火事件」

2003年9月16日、愛知県名古屋市東区の軽急便名古屋支店名古屋営業事務所センターに同社の賃金不払いに抗議した別府昇(当時52歳)が侵入しガソリンを撒き、支店長(当時41歳)を人質に店内に立てこもり3カ月分の賃金21万円を要求。愛知県警察は犯人の説得を続けるも失敗し別府はガソリンに火をつけ自爆。別府本人、人質となっていた支店長、待機していた愛知県警察機動捜査隊隊員(SAT)の巡査長3人が死亡、飛散したガラス片などで警察官およびマスコミ関係者41人が負傷した。

2007年
【航空事故】「ワン・トゥー・ゴー航空269便着陸失敗事故」

2007年9月16日にタイ・バンコクのドンムアン国際空港からプーケット国際空港へ着陸しようとしていたワン・トゥー・ゴー航空OG269便(マクドネル・ダグラスMD-82型機)が、悪天候により滑走路を外れ空港脇の斜面に激突し機体が2つに裂け炎上。この事故により乗員乗客合わせて123人のうち90人が死亡。

2011年
【航空事故】「2011年リノ・エアレース墜落事故」

2011年9月16日にアメリカのネバダ州リノで行なわれていた「リノ・エアレース」で、レースに参加していた改造エアレーサー「ザ・ギャロッピング・ゴースト(P-51D-15-NA マスタング)」が観客席に墜落。この事故により操縦していたパイロットを含む11人が死亡、69人が負傷。

2015年
【連続殺人事件】「熊谷連続殺人事件」

2015年9月14日と同月16日にかけて埼玉県熊谷市で、ペルー人で無職のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン(当時30歳)が住居侵入で保護されていた埼玉県警察熊谷警察署から脱走。その後夫婦2人、女性1人、小学生女児2人とその母の男女6人を相次いで殺害。ジョナタンはペルーのシリアルキラーであるペドロ・パブロ・ナカダ・ルデニャの弟であり、兄の殺人事件を目撃したことにより精神的に異常をきたしていたという。