『1970年代のハリウッドサインと1931年のペグ・エントウィッスル』

1932年9月18日は、ウェールズ出身の女優のペグ・エントウィッスルがハリウッドサインの“H”から飛び降り自殺の末に死んだ日である。
若くからブロードウェイで活躍したエントウィッスルは、その演技力もあってハリウッド映画にも進出し、1932年公開の『Thirteen Women』に出演したが、その公開約1カ月前に死亡した。
18日にはその遺体と遺書が見つかり、恐らくは16日に死んだと推測されるものの、18日が死亡日として報道された。
彼女はハリウッドサインのあるカリフォルニア州ロサンゼルスのリー山へと向かい、作業用のはしごを使って「H」の上へとひとりで登り、飛び降り自殺を遂げたといわれている。
遺書にはP.E名義で「全てにお詫びします。もっと早くに自殺をすれば〜」と長年抱えていた今ひとつ売れない女優としての苦悩を懺悔する内容が書かれていた。
ハリウッドに進出したばかりの若手女優がその苦悩の末にハリウッドの文字の上から飛び降り自殺する——これほどにドラマチックなストーリーは映画のようでしかないが、それは現実となった。
しかし、その物語の最後には、彼女の最後の出演作『Thirteen Women』がヒットすることはなかったという、冷酷な結末だけが待っていた。
近年、その小さな不幸のドラマが発見され、facebook経由で募金が集まり、彼女の墓碑銘が刻まれるという出来事があったが、果たして、その再発見をもって彼女の“孤独な人生”は報われたといえるのだろうか?

(Wikipedia Peg Entwistleより使用。Pubulic Domain)

9月18日の不幸

96年
【暗殺】ドミティアヌス(Titus Flavius Domitianus)【ローマ皇帝/イタリア】

1世紀古代ローマでフラウィウス朝最後の第11代ローマ皇帝(81年〜96年)となった人物。フラウィウス朝の第2代ローマ皇帝ティトゥスの弟として81年にティトゥスから帝位を継承。皇帝に即位後はユダヤ人やキリスト教徒の迫害、元老院議員や騎士階級などの処刑を行なう。その後、96年9月18日に元老院議員らの計画により暗殺された。没年44歳。

1180年
【死去】ルイ7世(Louis VII)【王族/フランス】

12世紀フランスでカペー朝第6代国王(1137年〜1180年)となった人物。カペー朝第5代国王ルイ6世の息子として生まれ、1137年に国王に即位。1147年に第2回十字軍に参加、1152年に「ダマスカスの攻防戦」で敗退し帰国。その後、イングランド王ヘンリー2世と西フランスの領地を巡って争うことに。1179年に息子であるフィリップ2世に王位を譲り、1180年9月18日に死去。没年60歳。

1598年
【死去】豊臣秀吉【戦国武将・公卿】

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将および大名で、貧しい下層民の生まれから太政大臣にまで上り詰め政権を獲得したことで知られる人物。尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれ今川家に仕えた後に出奔。1554年頃に織田信長に小者として仕え頭角を表わす。1561年に浅野長勝の養女ねねと結婚。1560年代に入ると美濃国の戦国大名・斎藤龍興との「観音寺城の戦い」に参加。1570年代には「金ヶ崎の戦い」「姉川の戦い」に参加し1572年に羽柴秀吉に改名。1573年に滋賀県長浜城の城主となる。1575年に「長篠の戦い」1577年に「信貴山城の戦い」に参加。同年に播磨国および但馬国といった中国地方の侵攻を行なう。1582年に明智光秀による「本能寺の変」が勃発、主君・織田信長の死を知り中国地方から撤退(「中国大返し」)。同年に「山崎の戦い」で明智光秀を討伐。「清洲会議」により遺領の分割を行ない、丹波国・山城国・河内国を増領。このことにより織田家重臣の柴田勝家との対立が激化し1583年に「賤ヶ岳の戦い」が勃発。柴田勝家を破り家臣として地位を確立し織田家を掌握。1583年に大坂城を建設。1584年の「小牧・長久手の戦い」で対立する織田信雄・徳川家康と講和。1584年に公卿となり翌年に従三位・権大納言に叙任される。1586年に正親町天皇から豊臣姓を授与され太政大臣に就任、豊臣政権を確立させる。1587年に「バテレン追放令」を発布、1588年に刀狩令や海賊停止令を発布し施行。1589年に「小田原征伐」1590年に「奥州仕置」を行ない成功、1591年に全国を統一することに。1592年に朝鮮出兵を開始(文禄の役)。1595年に甥の豊臣秀次を謀反の疑いで切腹させる。1596年に「サン=フェリペ号事件」が起こりキリスト教徒26人を処刑(日本二十六聖人)。1597年に二度目の朝鮮出兵を開始(慶長の役)。1598年に太政大臣を辞職し同年9月18日に死去。没年61歳。

1783年
【死去】レオンハルト・オイラー(Leonhard Euler)【数学者・天文学者/スイス】

18世紀スイスの数学者および天文学者で19世紀ドイツの数学者カール・フリードリヒ・ガウスと並び数学界の偉人として知られる人物。1707年に数学者ヨハン・ベルヌーイに見いだされ数学者になることを決意。1727年にサンクトペテルブルクの科学学士院に就任し級数の問題のひとつであった「バーゼル問題」を解決。1740年に『オイラーの公式』を発見、1748年に同公式を発表。1741年にプロイセン王国フリードリヒ2世によりベルリン・アカデミーの会員となりドイツへ移住。フリードリヒ2世から“数学のサイクロプス”と賞賛される。その後、数学書『無限解析入門』(1748年)『微分学教程』(1755年)を刊行。1760年から1762年にかけてアルンハルト=デッサウ公女のために科学の入門書を執筆し1768年に『自然科学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙』として出版。1771年ごろに両目共に失明し口述筆記を行ないながら活動を続け1783年9月18日に脳出血で死去。没年76歳。

1828年
【政治事件】「シーボルト事件」

1828年9月18日、オランダ商館付医員シーボルトが帰国時に国禁の日本地図などを持ち出そうとしていたことが、乗っていた船の座礁により発覚した事件。このことによりスパイ容疑をかけられたシーボルトは尋問を受けた後、翌年長崎奉行により国外追放となった。また、事件に関係した天文方・高橋景保が投獄されるなど多数の関係者や洋学者が処罰されることとなった。

1872年
【死去】カール15世(Karl XV)【王族/スウェーデン】

19世紀スウェーデンのベルナドッテ王朝第3代スウェーデン国王およびノルウェー国王(共に1859年〜1872年)となった人物。ベルナドッテ王朝第2代のスウェーデン国王およびノルウェー国王であったオスカル1世の息子として生まれ、1859年にスウェーデン国王およびノルウェー国王に即位。即位後は身分制代表議会の廃止、地方自治制、二院制の導入などを行なう。1864年にデンマークとプロイセン王国による「第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争」が起こりデンマークの義勇軍として参加。1872年9月18日に死去。没年46歳。

1905年
【死去】ジョージ・マクドナルド(George MacDonald)【牧師・小説家・編集者/スコットランド】

19世紀スコットランドの小説家で主に児童向けファンタジー作品で知られる人物。聖職者となるための教育を会衆派協会で受け、1850年にウェスト・サセックス州アランデルで牧師となる。その後ロンドンへ移住し雑誌『Good Words for the Young』の編集となる。1963年に初の小説『デビッド・エルギンブロッド』を出版。以降、幻想文学『リリス』(1976年)や児童向けファンタジー『王女とゴブリン』(1978年)などを発表。晩年も執筆活動を続け1905年9月18日に死去。没年80歳。

1911年
【暗殺】ピョートル・ストルイピン(Pyotr Arkad’evich Stolypin)【政治家/ロシア】

20世紀ロシアの政治家で第3代ロシア帝国首相(1906年〜1911年)となった人物。貴族の家に生まれ、1884年に内務省に入省。1902年にグロドノ県知事、1903年にサラトフ県知事を歴任。1906年にイワン・ゴレムイキン首相の政権下で内務大臣へ就任し同年に首相へ就任。首相就任後は社会民主労働党の国会議員を逮捕、選挙法改正案を提出するなど「第一次ロシア革命」を終焉させる「6.3クーデター」を行なう。以降も戒厳令を施行し軍事法廷を導入、多くの国民が絞首刑となったため絞首台が“ストルイピンのネクタイ”と呼ばれることに。その後「ストルイピン改革」と呼ばれる農業改革を行なうも国民からの支持を得られず、1911年9月14日に観劇中にアナーキストで警察のスパイであったユダヤ人ドミトリー・ポグロフにより銃撃され、同月18日に死去。没年49歳。

1927年
【死去】徳冨蘆花【小説家】本人に会見したほどトルストイに傾倒した日本ロマン主義の作家。代表作に『不如帰』がある。実兄は思想家・ジャーナリストである徳富蘇峰。狭心症で58歳没。
1931年
【自殺】【夭逝】ゲリ・ラウバル(Angelika Maria “Geli” Raubal)【市民/ドイツ】

アドルフ・ヒトラーの姪にあたる人物。母アンゲラがヒトラーの世話係となったため、母と妹の3人でヒトラーの元へ。ヒトラーがナチ党のリーダーとして台頭すると、ゲリはヒトラーから私生活に至るまでの束縛を受けたが、これはヒトラーがゲリに対し叔父姪の関係を超えた愛情を注いでいたからであった。1931年9月18日、ヒトラーと口論後に銃で自殺。没年23歳。

1931年
【政治事件】「満州事変」

1931年9月18日に中華民国奉天郊外の柳条湖付近で南満州鉄道線路上で起きた爆発事件。爆破は関東軍によるものであったが、中国軍が行なったとして関東軍は満州の中国軍拠点を占拠した。

1932年
【自殺】ペグ・エントウィスル(Peg Entwistle)【女優/ウェールズ】若くからニューヨークのブロードウェーで活躍し、その演技力もあってハリウッド映画にも進出。『Thirteen Women』に出演したが、その公開約1カ月前に死亡した。 18日にはその遺体と遺書が見つかり、恐らくは16日に作業用のはしごを使ってHの上に登り、飛び降り自殺を遂げたという。遺書には「もっと早くに自殺をすれば〜」と長年抱えていた今ひとつ売れない女優としての苦悩を懺悔する内容が書かれていた。没年24歳。
1961年
【航空事故】ダグ・ハマーショルド(Dag Hammarskjöld)【政治家/スウェーデン】

スウェーデンの外交官で第2代国連事務総長(1953年〜1961年)を務めた人物。大学卒業後、財務省へ入省。1930年に失業問題委員会の秘書官を務めた後、財務次官(1936年〜1945年)、スウェーデン国立銀行総裁(1941年〜1948年)へ。1947年、パリ会議にスウェーデン代表として参加。その後、1949年に外務次官となり、1951年には国連総会スウェーデン代表団の副団長、翌年には同会のスウェーデン代表団団長に就任した。1953年、最年少で第2代国連事務総長に選出された。1961年9月18日「コンゴ動乱」の停戦調停へ向かっていたが、搭乗していたダグラスDC-6B機が墜落し死亡。没年56歳。

1961年
【航空事故】【奇妙な死】【未解決事件】「1961年国連チャーター機墜落事故」

1961年9月18日にアフリカのローデシア・ニヤサランド連邦ンドラ付近で、カタンガ共和国初代大統領モイーズ・チョンベと停戦交渉に向かう途上であった第2代国連事務総長ダーグ・ハマーショルドが搭乗していた国際連合のチャーター機が墜落。乗客乗員合わせて16人全員が死亡。墜落原因は現在も不明のままでハマーショルド暗殺説が疑われている。

1970年
【怪死】【夭折】ジミ・ヘンドリックス(James Marshall “Jimi” Hendrix)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

右利き用のギターを逆さまにして使うテクニックや、歯で弾く、ギターに火を着けるなどの革命的なパフォーマンスで世界を驚かせた伝説のロックギタリスト。代表曲に『Purple Haze』『Voodoo Chile』等。20世紀のセックス・シンボルとしても知られ、ジャニス・ジョプリンに代表される派手な女性関係も話題となった。薬物過剰摂取が原因と言われるその死は、マネージャーによる他殺説が囁かれるなど、今も怪事件として真相は明らかになっていない。没年27歳。

1985年
【死去】千葉泰樹【映画監督】

昭和に活躍した映画監督で日本映画史上初のキスシーンを撮影したことで知られる人物。兵庫県立神戸商業学校を卒業後に阪妻立花ユニヴァーサル聨合映画へ助監督として入社。1929年に河合映画巣鴨撮影所へ移籍し1930年に『蒼白き人々』で監督デビュー。その後は時代劇映画を撮りながら富国映画社、台湾プロダクションを経て日活へ入社。1940年に『煉瓦女工』を撮影するも検閲不許可となる(1946年に公開)。「第二次世界大戦」中は大映東京撮影所に入所。1947年にフリーとなり『或る夜の接吻』を発表、同作は日本映画史上初のキスシーンが話題となり大ヒット。以降『サラリーマン・目白三平』シリーズ、『へそくり社長』シリーズ、『大番』シリーズなどを成功させ日本を代表する映画監督の地位を確立。1956年に社会派作品である『鬼火』を発表。1969年に『水戸黄門漫遊記』を撮影中に心臓発作で倒れ監督業から引退。晩年の1965年から『青春とはなんだ』をはじめとするテレビ青春学園シリーズを監修。1985年9月18日に死去。没年75歳。

2001年
【テロ】「アメリカ炭疽菌事件」

2001年9月18日と同年10月9日の二度に渡りアメリカの大手テレビ局や出版社、上院議員に対し炭疽菌入り容器が封筒で送りつけられた事件。第一波は5通でテレビ局のNBCニュース、ABCニュース、CBSニュース、出版社ニューヨーク・ポスト、アメリカン・メディア社へと送付され、アメリカン・メディア社の従業員ロバート・スティーブンスが死亡した。その後、容疑者として微生物学者のブルース・エドワーズ・イビンズが疑われたが、2008年7月に薬物過剰摂取でイビンズは自殺。同年8月にFBIはイビンズの単独犯行によるものであったと結論づけた。

2001年
【大量殺人】「アメリカ炭疽菌事件」

2001年9月18日・同年10月9日にアメリカのニュースメディア事務所や民主党議員宛に炭疽菌入りの手紙が送られた事件。この事件により第一波・第二波をあわせ5人が死亡した。送られた手紙には「2001年9月11日 次はお前だ すぐペニシリンを用意しろ アメリカに死を イスラエルに死を アラーは偉大なり」などと書かれていた。2008年8月6日、FBIは科学者であったブルース・イビンズの犯行と断定していたが、同月1日にブルースはアセトアミノフェンを大量服用しすでに自殺していた。

2002年
【死去】ボブ・ヘイズ(Robert Lee “Bullet Bob” Hayes)【陸上競技選手・アメリカンフットボール選手/アメリカ合衆国】

1960年代に活躍したアメリカの陸上競技選手およびアメリカンフットボール選手。フロリダA&M大学在学中の1963年、100ヤード走で当時の世界新記録9.1秒を樹立。翌年に開催された『東京オリンピック』では男子100メートル走、400メートルリレーともに当時の世界新記録を出し金メダルを獲得。オリンピック出場後はNFLのダラス・カウボーイズに入団し、ワイドレシーバーとして活躍。1971年にオリンピックの金メダリストでスーパーボウル・リングを獲得した初の選手となった。2002年9月18日、腎不全で死去。没年59歳。

2004年
【死去】ラス・メイヤー(Russ Meyer)【映画監督・カメラマン/アメリカ合衆国】

アメリカ軍の従軍カメラマン、『プレイボーイ』誌のカメラマンを経て1950年の『The French Peep Show』で映画監督デビュー。ポルノ作品を数多く手がけた人物であったが、代表作の『Faster, Pussycat ! Kill ! Kill !(ファスター・プシィキャット!キル!キル!)』(1965年)『Vixen !(女豹ビクセン)』(1968年)に象徴されるようなグラマーな女性たちによる女性上位主義的な作風がカルト的人気を博した。2004年9月18日に肺炎の合併症で82歳没。

2007年
【急死】長嶋亜希子【主婦・実業家】

読売ジャイアンツ終身名誉監督の長嶋茂雄の夫人で茂雄の個人事務所・株式会社オフィスエヌの代表取締役を務めていた人物。1964年に「オリンピック東京大会」でコンパニオンとして参加したことを機に長嶋茂雄と結婚。1966年に元プロ野球選手で長男の一茂を出産。2002年に環境省「環の国くらし会議」メンバーとなる。2007年9月17日に体調不良により入院するも翌18日に心不全のため死去。没年64歳。

2017年
【急死】赤染晶子【小説家】

2004年の小説『初子さん』で第99回文學界新人賞を受賞し、2010年には『乙女の密告』で第143回芥川賞を受賞した女性小説家。2017年9月18日に急性肺炎のため42歳没。

2018年
【死去】山本”KID”徳郁【総合格闘家・レスリング競技選手】

“神の子”のニックネームで知られる平成に活躍した総合格闘家。「ミュンヘンオリンピック」レスリング・グレコローマン日本代表の山本郁榮の長男として生まれ、姉の美憂、妹の聖子とともにレスリングを習う。高校時代にアメリカでレスリングを修行しアリゾナ州王者となる。帰国後は全日本学生レスリング選手権大会でフリースタイル58キログラム級で優勝。「シドニーオリンピック」目指すも1999年の全日本レスリング選手権大会で準優勝となりオリンピック出場が絶望的となったため、美憂の夫であったエンセン井上に師事し総合格闘技へ転向。2000年にアマチュアデビューし同年に「全日本アマチュア修斗選手権大会ライト級」で優勝。翌年にプロデビューを果たし以後「K-1」「HERO’S」といった格闘技イベントに出場。2006年にレスリングへ復帰し、2007年に「北京オリンピック」出場を予定するも取りやめる。2007年に総合格闘技へ復帰。2008年に格闘技イベント「DREAM」へ参加。2009年に同イベントのテレビ放送解説を務める。2011年にUFCと契約し2015年まで出場。同年に東日本大震災チャリティーイベント『NIPPONFIGHT』に出場。2018年にガンであることを公表し闘病生活を送るも2018年9月18日に多臓器不全により死去。没年41歳。総合格闘技戦績26試合中18勝6敗無効試合2回。