『映画『ライムライト』でのチャップリンとクレア・ブルーム』

1952年9月19日は、20世紀の映画黎明期を牽引した不世出の“喜劇王”ことチャールズ・チャップリンが、ハリウッド、そしてアメリカ合衆国から事実上の追放を宣告された日である。
この日、同年に完成した自身の監督・主演映画『ライムライト』のプレミア上映のために自らの母国、イギリスのロンドンへと船で向かっていたチャップリンに対し、時のアメリカのトルーマン政権時の司法長官ジェームズ・P・マグラネリは、同国への再入国を禁止。
1947年の映画『殺人狂時代』以降、その作品が共容的であると見られた“危険人物”への仕打ちとして、ハリウッドを支えていた男はその映画の聖地に戻る権利を剥奪されたのだった。
そしてこの悲しい追放劇は、政府関係筋の怒りを買っていただけではなく、市民、そして上映館側からの反感も大いに関与していたようだ。
その20年後、1972年にアカデミー賞名誉賞受賞のためにアメリカの地を踏むことになるが、その失われた20年の間にチャップリンが為しえたことを想像するだに、悲劇的な追放であったといえるだろう。その悲劇は、1972年に行なわれたアカデミー賞で『ライムライト』が作曲賞を受賞したことで、より痛切に後世に語り継がれることとなったのである。

(写真はWikipedia Charlie Chaplinより使用。Public Domain)

9月19日の不幸

1339年
【死去】後醍醐天皇【天皇】

鎌倉時代後期から南北朝時代初期に第96代天皇(1318年〜1339年)となった人物。1308年に皇太子となり、1318年に30代で天皇に即位。鎌倉幕府との確執から1324年に幕府打倒を計画するも失敗し側近の日野資朝らが処罰される「正中の変」へ発展。1331年、再び幕府打倒を目指すも失敗し京都を脱出。笠置山に籠城するも捕らえられ廃位となった後、1332年に隠岐島への流刑処分へ。しかし、翌年に脱出し挙兵した後、鎌倉を攻略。帰京後の1333年に建武の新政を開始し再び天皇へ即位。その後、京都朝廷側と対立し南北朝時代となった1339年9月19日、朝敵討滅および京都奪回を遺言に残し死去。没年50歳。

1881年
【暗殺】ジェームズ・ガーフィールド(James Abram Garfield)【政治家/アメリカ合衆国】

現職の下院議員で唯一アメリカの大統領になった人物。1859年にオハイオ州議会議員に選出され政界へ。1861年、南北戦争へ従軍し少将に昇進。1863年に下院議員へ選出。1881年に共和党から大統領選に立候補し当選を果たし、第20代大統領(1881年3月4日~)となった。しかし、1881年9月19日に支援者から銃で撃たれ、その後、医者の不手際で死亡した。没年49歳。ガーフィールドを撃ったのは、選挙の見返りで不満をもった弁護士のチャールズ・ギトーであった。

1902年
【夭折】正岡子規【俳人】明治期を代表する文学者にして、近代日本を代表する俳人、歌人。帝国大学中退後、新聞『日本』の記者になり、日清戦争後の1897年(明治30年)に俳句雑誌『ホトトギス』を創刊(俳号の子規とはホトトギスの漢字である)。代表作に『歌よみに与ふる書』等。晩年は結核との7年間の闘病の末に死亡。没年34歳。
1936年
【殺人事件】【社会事件】「漢口邦人巡査射殺事件」

1936年9月19日、中華民国漢口の日本人領事館で立番中の巡査・吉岡庭二郎が銃で狙撃され殺害された事件。狙撃したのは中国人であったが中国側は日本租界内で起こった事件とし中国側に責任はないとした。事件当時抗日運動が盛んに行なわれていたことがその発端だったといわれている。

1961年
【UFO】【怪事件】「ヒル夫妻誘拐事件」自宅への帰路の運転中、ニューハンプシャー・ポーツマス在住のヒル夫妻がUFOに誘拐されたと主張。全世界を騒がせたが、催眠療法など、あらゆる手立てで行なった2人の証言には食い違う部分も多々あり、彼らの"誘拐"は、多くの場合において、彼らの精神障害、心理的異常に帰するものとして扱われた。
1973年
【薬物過剰摂取】【夭折】グラム・パーソンズ(Gram Parsons)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

カントリーロックというロックの1ジャンルを形作ったミュージシャンであり、ギタリスト。バーズに加入し『ロデオの恋人』に携わったが、その発売前に脱退。晩年は薬物中毒に陥り、ソロ活動第2弾『グリーヴァス・エンジェル』の発売直前にカリフォルニア州のモーテルで薬物過剰摂取により死亡。没年26歳。

1977年
【死去】今東光【僧侶、小説家、政治家】『文芸時代』等に作品を発表した後に金龍山浅草寺伝法院で出家。その後文壇復帰し『悪名』等の作品を発表した。1968年にはに自由民主党から出馬し参議院議員に。1977年に急性肺炎で死亡した。没年79歳。
1984年
【火災事件】【テロ】「自由民主党本部放火襲撃事件」

1984年9月19日に永田町の自由民主党本部ビルを中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)が火炎放射器で放火。この火災によりビルの北側3階から7階が焼け、約520平方メートルが焼失。被害額は10億円近くとなった。事件後、関わったとされる中核派1人を指名手配、2人を逮捕したがこの2人は証拠が得られず釈放または無罪となっている。

1985年
【大地震】「メキシコ地震」最大マグニチュード8.0を記録し、5月28日にM5.2の前震、そして20日にマグニチュード7.5と7の2回の後震を含む全4回の地震で構成され、およそ1万人の死者を出した大地震。震源地から離れていたにもかかわらず、メキシコ・シティで大規模な"パンケーキ倒壊"が起きた。
1989年
【テロ】【航空事故】「UTA航空772便爆破事件」

1989年9月19日、ニジェール共和国の上空でフランスのUTA航空772便(DC-10-30)が爆破テロに遭い墜落した事件。この事件により乗員乗客を含め170人全員が死亡した。フランス当局の捜査により事件はリビアが関与しているテロと断定され、リビア最高指導者カッザーフィーの義弟ブドゥラ・セヌシなど6人が起訴された。

2004年
【死去】【奇病】エディー・アダムス (Eddie Adams)【ジャーナリスト・写真家/アメリカ合衆国】

AP通信の戦場カメラマンとして活躍し、ベトナム内戦時の1968年2月1日に撮影した『General Nguyen Ngoc Loan Executing a Viet Cong Prisoner in Saigon(サイゴンでの処刑)』で翌年のピューリッツァー賞を受賞した人物。 筋萎縮性側索硬化症(ALS)の合併症で71歳没。

2005年
【死去】後藤田正晴【政治家】

内務省警察庁の官僚、警察庁長官を経て政治家に転身、宮沢改造内閣時の副総理、3度の内閣官房長官、法務大臣などの要職を歴任した。肺炎で91歳没。

2005年
【死去】中内功【経営者】薬局経営から発展させた価格破壊のスーパーマーケット「ダイエー」の創業者。グループ企業としてローソン、フォルクスなどの経営、さらには1988年に南海ホークスを買収し、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)を設立、そして福岡ドームを建設。1988年には神戸に流通科学大学を設立するなど、ありとあらゆるジャンルで活躍した。2001年に社長退任、2004年にはダイエーグループと決別。その翌年に脳梗塞で死亡した。没年83歳。
2013年
【死去】山内溥【経営者】ファミリーコンピューターなどのゲーム商品で、トランプが主力商品であった任天堂を世界的ゲームメーカーにまで押し上げた同社3代目の社長。創業者である山内房治郎の曾孫に当たる。MLBのシアトルマリナーズの経営危機に際し「在米支社を置いてくれたシアトルへの恩返し」として堂球団を自腹で買収。非白人初のMLB球団オーナーとなった。肺炎で85歳没。死亡した京都大学付属病院には、2006年に資産の70億円を寄付していた。
2015年
【死去】塩川正十郎【政治家】

愛称の"塩爺"の名で親しまれ、昭和から平成にかけて自民党総務会長や財務大臣など多くの官職を歴任した政治家。1967年に衆議院議員に当選し福田赳夫派に入会。福田赳夫政権下では内閣官房副長官へ。その後、運輸大臣、文部大臣、自治大臣、国家公安委員会委員長などを歴任。2001年に財務大臣に就任した後の2003年に政界から引退。引退後は日本相撲協会運営審議会委員、ベストヒット歌謡祭実行委員会名誉会長などを務めた。2015年9月19日、肺炎により死亡。没年93歳。

2015年
【夭折】黒木奈々【アナウンサー】『TBSニュースバード』等で活躍したフリーのアナウンサー。2014年に急性胃潰瘍で緊急入院、胃ガンと診断された。同年9月19日に摘出手術を受けるも、翌年死亡した。没年32歳。