『1982年に撮影されたサイモン・ウィーゼンタール』

2005年9月20日は、ナチスドイツ政権下のユダヤ人迫害に関わった戦犯の確保にその人生を費やしたユダヤ人活動家、サイモン・ウィーゼンタールが死亡した日である。
妻を含む98人の親族がナチスによるユダヤ人大量虐殺=ホロコーストの犠牲者となり、自らもマウトハウゼン強制収容所に拘束されながらもすんでのところで米軍に解放され一命をとりとめたというウィーゼンタール。
第二次大戦が終わると、ユダヤ人迫害記録センター、モサド(イスラエル諜報特務庁)等と連携し、アルゼンチンに潜伏していたアドルフ・アイヒマンに代表される、世界中に散った戦犯たちを“ナチ・ハンター”として捜索、逮捕、そして処罰することに尽力した。
ウィーゼンタールはその生涯で、ナチスドイツ関係の1,100人もの戦犯を確保したといわれ、2003年に「もはやその仕事を全うした」として引退したが、その功績に対して、イギリス政府はナイトの称号を贈ったことでも知られている。
93歳までの年月を虐殺された同胞たちの無念を晴らすことだけに費やし、引退後3年で死んだ彼の人生において、気の休まる瞬間などほとんど存在しなかったであろうことは想像に難くない。
ウィーゼンタールの人生は、まさに人類史上最大級の“不幸との戦い”であったといえるだろう。

(画像はWikipedia Simon Wiesenthalより使用)

9月20日の不幸

1384年
【死去】ルイ1世(Louis I d’Anjou)【王族/フランス】

14世紀フランス百年戦争期の王族でヴァロワ=アンジュー家の祖として知られる人物。フランス・ヴァロワ朝の第2代フランス国王であるジャン2世の息子として生まれる。1356年にアンジュー・メーヌ伯、1360年にアンジュー公となる。同年に「ポワティエの戦い」に参加するも敗北。ブレティニー条約によりイングランド側の人質となるも1363年に脱走し帰国。その後は兄でフランス国王のシャルル5世に仕え、1364年にラングドック代官に就任。1369年からルエルグ、ケルシー地方への侵攻を開始。1370年にアジュネ、ペリゴール、アキテーヌ公領を占領。1378年から1379年にかけてルイ1世とラングドック住民との対立が激化し1380年に代官を更迭される。1380年にシャルル5世が死去するとシャルル6世に仕え、ナポリ女王ジョヴァンナ1世の養子となる。1382年にナポリへ進軍しハンガリー王カルロ3世と王位を争うも抗争中の1384年9月20日に死去。没年45歳。

1807年
【崩落事故】「永代橋落下事故」

1807年9月20日、深川富岡八幡宮の祭礼に押し寄せた群衆の重さに耐えきれず隅田川に架かる永代橋が崩落。この事故による死者・行方不明者は1,400人となった。

1863年
【死去】ヤーコプ・グリム(Jacob Ludwig Carl)【文学者・言語学者/ドイツ】

19世紀に活躍したドイツの文学者および言語学者”グリム兄弟”の兄として知られる人物。大学で法学を学んだ後、1808年に図書館員となりドイツの古典文学研究に没頭。弟ヴィルヘルムと共に童話の編集を行ないながら、外交官、大学教授を経て『ドイツ語辞典』を編纂。ドイツの神話学や民俗学の基礎を築いた。1863年9月20日、病により死去。没年78歳。

1945年
【社会事件】【第二次世界大戦】「墨塗り教科書」

1945年9月20日に「終戦に伴ふ教科書図書取扱方に関する件」に基づき連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指導の下、文部省が教科書内にある戦時教育部分を不適切と判断。国民学校では生徒たちが同部分を墨で黒く塗り潰すこととなった。

1949年
【放火事件】「武生事件」

1949年9月20日に福井県武生市(現・越前市)の裁判所および検察庁施設が在日朝鮮人で暴力団組長の手聖煕の指示により放火され全焼。放火による死者は出ていないが裁判記録、検察庁の証拠書類などが消失。逮捕された手聖煕は死刑求刑となるも無罪判決、放火した組員の単独犯行として組員は無期懲役に。犯行の動機は在日本朝鮮人連盟を解散させられたことであった。

1950年
【国際事件】「結婚禁止令解除」

1950年9月20日、GHQ統治下の日本でアメリカ軍兵士と日本人女性間の結婚禁止令が解除。アメリカ軍兵士の日本人妻子が人数制限なしにアメリカへ入国可能となった。

1960年
【死去】イダ・ルビンシュタイン(Ida Lvovna Rubinstein)【バレリーナ・役者/フランス】

20世紀フランスで活躍したロシア出身のバレリーナおよび役者で芸術家のパトロンとしても知られた人物。1908年にロシア・ペテルブルクでダンサーとしてデビュー。ロシアの画家で舞台美術家のレオン・バクストの推薦でバレエ・リュスのパリ公演へ参加。1909年にフランスのシャトレ座で上演されたバレエ『クレオパトラ』で主役クレオパトラ、1910年にパリ・オペラ座で上演されたバレエ『シェヘラザード』で寵妃ゾベイダを演じ、ジャン・コクトーなどに絶賛される。1911年にバレエ・リュスから離れ『聖セバスティアンの殉教』などの自主公演を行なう。その後独自のバレエ・カンパニーを結成し1928年にパリ・オペラ座で旗揚げ公演を上演。1934年と1939年にレジオンドヌール勲章を授与される。1935年にフランス名誉市民となる。晩年は舞台から引退し1960年9月20日に死去。没年76歳。

1960年
【自然災害】「上尊鉱業豊州炭鉱水没事故」

1960年9月20日、福岡県田川郡川崎町三ケ瀬の上尊鉱業豊州炭鉱が北九州一帯の豪雨による増水で落盤し作業中の鉱員220人の内67人が死亡。戦後最大の炭鉱事故となり同炭鉱は同月に閉山となった。

1961年
【汚職事件】「楢橋渡元運輸相夫妻逮捕(武州鉄道汚職事件)」

1960年代に東京都三鷹市と埼玉県秩父市を結ぶ鉄道路線を巡る贈収賄事件が発生。
実業家の滝嶋総一郎が当時運輸大臣であった楢橋渡などに賄賂を渡し地方鉄道法に基づく免許を申請。この免許工作の発覚により1961年9月20日に楢橋渡とその妻・文子が逮捕された。1971年に渡は懲役2年・執行猶予4年の控訴審判決となっている。

1979年
【バラクーダ作戦】【無血クーデター】「中央アフリカ帝国崩壊」

1979年9月20日にジャン=ベデル・ボカサ政権下の中央アフリカ帝国でフランス軍による無血クーデター「バラクーダ作戦」が発生。ボカサが同盟国を求めリビア訪問中に無血クーデターは行なわれ帝政が廃止、10年におよぶ独裁政権が終結。ボカサは亡命を余儀なくされることとなった。

1980年
【死去】林家三平【落語家】落語家7代目林家正蔵の長男として生まれ、父の前座名である三平の名のまま、初代林家三平の名を生涯貫いた伝説的な人気を誇った噺家。テレビ等の各種メディアでも活躍し、”昭和の爆笑王”の名をほしいままにした名人であった。長女海老名美どり、その夫峰竜太、次女泰葉、長男9代目林家正蔵、次男2代目林家三平等、芸能界屈指の芸能一家を築いたことでも知られる。絶頂期の1979年に脳溢血で倒れ、言語障害を患うもリハビリの末に復帰。しかし、その翌年、肝臓ガンで死亡した。54歳没。
1986年
【事故死】【怪死】日高富明【ミュージシャン】

シンガーソングライターであり、『学生街の喫茶店』等のヒット曲で知られるフォークロックグループ「ガロ」の元メンバー。茅場町のマンションから転落死し、自殺と報道されたが、後に事故死ともいわれ、現在も真相は不明。没年36歳。

1987年
【現役引退】「おニャン子クラブ解散」

1987年9月20日、テレビ番組『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)から誕生した女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」がこの日行なわれた代々木第一体育館でのライブを最後に解散。

1987年
【死去】杉山龍丸【軍人・活動家】

昭和の陸軍軍人および慈善活動家で“インドの緑の父”として知られる人物。祖父は政財界のフィクサー・杉山茂丸、父は作家の夢野久作、弟は詩人の杉山参緑。1940年に陸軍士官学校を卒業し「第二次世界大戦」に参加。戦後は自身の農地を売りインドの緑化活動を行ない、国際文化福祉協会を設立。インドのパンジャブからパキスタンまでの国際道路にユーカリ並木を植樹するなど多くの功績を残し、1987年9月20日に脳溢血で死去。没年68歳。

1989年
【急死】リッチー・ギンサー(Paul Richard “Richie” Ginther)【レーシングドライバー/アメリカ合衆国】

1960年代アメリカで活躍したF1レーサー。1946年頃に兄の友人でレーシングドライバーのフィル・ヒルからドライビングテクニックを教わり、高校卒業後フィルのメカニックとなる。1956年にメキシカン・パン・アメリカン・レースでレーシングドライバーデビュー。その後、アメリカ国内のレースを中心にル・マン24時間レースなどにも参加。1960年にモナコグランプリでフF1ドライバーとしてフェラーリからデビュー。1962年にBRMと契約し1964年にF1史上5人目の年間全レース完走を達成。1965年にホンダと契約しメキシコグランプリで初優勝。1967年のモナコグランプリでレーサーを引退、以降ヒッピーとして生活を送る。1989年9月20日に旧F1ドライバーの集いに参加するため移動中心臓発作を起こし死去。没年59歳。F1通算成績出走回数54回中優勝1回。

1993年
【死去】エーリヒ・ハルトマン(Erich Alfred “Bubi” Hartmann)【空軍軍人/ドイツ】第二次大戦時の独ソ戦においてめざましい活躍を見せ”黒い悪魔”と恐れられたナチスドイツのエースパイロット。ヒットエンドランを繰り返す一撃離脱戦法で、史上最多の352機を撃墜した、敵機撃墜数最多記録保持者。終戦後はソ連軍に抑留されるが、10年で釈放されドイツ空軍に復帰。晩年は狭心症を患い、71歳で死亡。
2005年
【死去】サイモン・ヴィーゼンタール(Simon Wiesenthal)【活動家/オーストリア】

ナチスドイツ政権下のユダヤ人迫害に関わった戦犯の確保にその人生を費やしたユダヤ人活動家。妻を含む98人の親族がナチスによるユダヤ人大量虐殺=ホロコーストの犠牲者となり、第二次大戦が終わると、アルゼンチンに潜伏していたアドルフ・アイヒマンに代表される、世界中に散った戦犯たちを”ナチ・ハンター”として捜索、逮捕、そして処罰することに尽力。その生涯でナチスドイツ関係の1100人もの戦犯を確保したという。老衰で96歳没。

2014年
【死去】土井たか子【政治家】”おたかさん”の愛称で親しまれ、社会党、社会民主党出活動した昭和を代表する女性政治家。日本社会党委員長、衆議院議長、社会民主党党首などを歴任し、我が国では女性初の衆議院議長、政党党首だったことでも知られる。肺炎で85歳没。
2016年
【死去】カーティス・ハンソン(Curtis Hanson)【映画監督・脚本家/アメリカ合衆国】

1970年から脚本家としてデビュー。1980年代から1990年代はスリラー作品の他、コメディーやドラマなども演出。1991年に監督した映画『The Hand That Rocks the Cradle(ゆりかごを揺らす手) 』、1994年の『The River Wild(激流)』などがヒット。1997年には監督・脚本・製作を担当した『L.A. Confidential(L.A.コンフィデンシャル)』でアメリカ映画界を代表する監督としての地位を確立した。2000年、代表作のひとつ『 Wonder Boys(ワンダー・ボーイズ)』を制作しゴールデン・グローブ賞主題歌賞およびアカデミー歌曲賞を受賞。2002年に監督した『8 Mile』もアカデミー歌曲賞を受賞した。2012年に前頭側頭型認知症のため、映画界を引退。2016年9月20日、自宅で自然死。没年71歳。