『1982年に撮影されたサイモン・ウィーゼンタール』

2005年9月20日は、ナチスドイツ政権下のユダヤ人迫害に関わった戦犯の確保にその人生を費やしたユダヤ人活動家、サイモン・ウィーゼンタールが死亡した日である。
妻を含む98人の親族がナチスによるユダヤ人大量虐殺=ホロコーストの犠牲者となり、自らもマウトハウゼン強制収容所に拘束されながらもすんでのところで米軍に解放され一命をとりとめたというウィーゼンタール。
第二次大戦が終わると、ユダヤ人迫害記録センター、モサド(イスラエル諜報特務庁)等と連携し、アルゼンチンに潜伏していたアドルフ・アイヒマンに代表される、世界中に散った戦犯たちを“ナチ・ハンター”として捜索、逮捕、そして処罰することに尽力した。
ウィーゼンタールはその生涯で、ナチスドイツ関係の1,100人もの戦犯を確保したといわれ、2003年に「もはやその仕事を全うした」として引退したが、その功績に対して、イギリス政府はナイトの称号を贈ったことでも知られている。
93歳までの年月を虐殺された同胞たちの無念を晴らすことだけに費やし、引退後3年で死んだ彼の人生において、気の休まる瞬間などほとんど存在しなかったであろうことは想像に難くない。
ウィーゼンタールの人生は、まさに人類史上最大級の“不幸との戦い”であったといえるだろう。

(画像はWikipedia Simon Wiesenthalより使用)

9月20日の不幸

1863年
【死去】ヤーコプ・グリム(Jacob Ludwig Carl)【文学者・言語学者/ドイツ】

19世紀に活躍したドイツの文学者および言語学者"グリム兄弟"の兄として知られる人物。大学で法学を学んだ後、1808年に図書館員となりドイツの古典文学研究に没頭。弟ヴィルヘルムと共に童話の編集を行ないながら、外交官、大学教授を経て『ドイツ語辞典』を編纂。ドイツの神話学や民俗学の基礎を築いた。1863年9月20日、病により死去。没年78歳。

1980年
【死去】林家三平【落語家】落語家7代目林家正蔵の長男として生まれ、父の前座名である三平の名のまま、初代林家三平の名を生涯貫いた伝説的な人気を誇った噺家。テレビ等の各種メディアでも活躍し、"昭和の爆笑王"の名をほしいままにした名人であった。長女海老名美どり、その夫峰竜太、次女泰葉、長男9代目林家正蔵、次男2代目林家三平等、芸能界屈指の芸能一家を築いたことでも知られる。絶頂期の1979年に脳溢血で倒れ、言語障害を患うもリハビリの末に復帰。しかし、その翌年、肝臓ガンで死亡した。54歳没。
1986年
【事故死】【怪死】日高富明【ミュージシャン】

シンガーソングライターであり、『学生街の喫茶店』等のヒット曲で知られるフォークロックグループ「ガロ」の元メンバー。茅場町のマンションから転落死し、自殺と報道されたが、後に事故死ともいわれ、現在も真相は不明。没年36歳。

1987年
【現役引退】「おニャン子クラブ解散」

1987年9月20日、テレビ番組『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)から誕生した女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」がこの日行なわれた代々木第一体育館でのライブを最後に解散。

1993年
【死去】エーリヒ・ハルトマン(Erich Alfred "Bubi" Hartmann)【空軍軍人/ドイツ】第二次大戦時の独ソ戦においてめざましい活躍を見せ"黒い悪魔"と恐れられたナチスドイツのエースパイロット。ヒットエンドランを繰り返す一撃離脱戦法で、史上最多の352機を撃墜した、敵機撃墜数最多記録保持者。終戦後はソ連軍に抑留されるが、10年で釈放されドイツ空軍に復帰。晩年は狭心症を患い、71歳で死亡。
2005年
【死去】サイモン・ヴィーゼンタール(Simon Wiesenthal)【活動家/オーストリア】

ナチスドイツ政権下のユダヤ人迫害に関わった戦犯の確保にその人生を費やしたユダヤ人活動家。妻を含む98人の親族がナチスによるユダヤ人大量虐殺=ホロコーストの犠牲者となり、第二次大戦が終わると、アルゼンチンに潜伏していたアドルフ・アイヒマンに代表される、世界中に散った戦犯たちを"ナチ・ハンター"として捜索、逮捕、そして処罰することに尽力。その生涯でナチスドイツ関係の1100人もの戦犯を確保したという。老衰で96歳没。

2014年
【死去】土井たか子【政治家】"おたかさん"の愛称で親しまれ、社会党、社会民主党出活動した昭和を代表する女性政治家。日本社会党委員長、衆議院議長、社会民主党党首などを歴任し、我が国では女性初の衆議院議長、政党党首だったことでも知られる。肺炎で85歳没。
2016年
【死去】カーティス・ハンソン(Curtis Hanson)【映画監督・脚本家/アメリカ合衆国】

1970年から脚本家としてデビュー。1980年代から1990年代はスリラー作品の他、コメディーやドラマなども演出。1991年に監督した映画『The Hand That Rocks the Cradle(ゆりかごを揺らす手) 』、1994年の『The River Wild(激流)』などがヒット。1997年には監督・脚本・製作を担当した『L.A. Confidential(L.A.コンフィデンシャル)』でアメリカ映画界を代表する監督としての地位を確立した。2000年、代表作のひとつ『 Wonder Boys(ワンダー・ボーイズ)』を制作しゴールデン・グローブ賞主題歌賞およびアカデミー歌曲賞を受賞。2002年に監督した『8 Mile』もアカデミー歌曲賞を受賞した。2012年に前頭側頭型認知症のため、映画界を引退。2016年9月20日、自宅で自然死。没年71歳。