『雑誌「Sports illustrated」の表紙を飾るフローレンス・ジョイナー(左)とその義妹ジャッキー・ジョイナー・カーシー』

1998年9月21日は、アメリカが生んだ不世出の女性アスリート、フローレンス・ジョイナーがてんかんの発作で急死した日である。
現在も女子100メートル走の10秒49、女子200メートル走の21秒34という飛び抜けた世界記録を保持しているジョイナーだが、絶頂期の29歳で引退して以降はステロイドの使用疑惑が絶えない人生であった。
彼女が世界記録を樹立した当時はまだドーピング検査の精度が低かったということもあり、偶然ジョイナーの検査が通ってしまったのではないかというのが、現在の識者たちによる一般的な見方である。
そのつもりで彼女の写真を振り返り見てみると、どれもが一見して女性離れしたような男性的な筋肉を誇ったものばかりであり、この雑誌の表紙のように、うっすらと髭までが生えているような写真も多い。
2000年代以降、数多くの一流アスリートがステロイドの犠牲となって早世していくことになるのだが、フローレンス・ジョイナーはその先駆けといえる存在だったのかもしれない。
しかし、あまりにも輝かしい全盛期を誇った人物であるだけに、その短すぎる人生が一概に不幸であったとは思えないことも事実である。
そして、その刹那的な輝きこそが、現在もドーピングに手を染めるアスリートたちが後を絶たない原因なのであろう。
私たちは、ジョイナーの光と影、どちらの部分を記憶すればいいのだろうか?

(写真は『Sports illustrated』1988年10月10日号)

9月21日の不幸

1911年
【死去】ジェームス・カーティス・ヘボン(James Curtis Hepburn)【宣教師・医師/アメリカ合衆国】

幕末から明治時代にかけて活躍した宣教師および医師で、明治学院の創設者であり「ヘボン式ローマ字」の考案者としても知られる人物。ペンシルバニア大学で医学を学んだ後、1859年に北アメリカ長老教会の宣教医として横浜に来日。医療活動を行ないながら、1863年にヘボン塾を開設。1867年、実業家の岸田吟香とともにヘボン式ローマ字として普及した『和英語林集成』を出版。1886年、明治学院を創設し初代総理に就任。1892年に山本秀煌と『聖書辞典』を編纂した後、アメリカへ帰国。1905年に外国人としては2人目の勲三等旭日章を授与。1911年9月21日、老衰により死去。没年96歳。

1921年
【化学事故】「オッパウ大爆発」

ドイツのオッパウにあった化学薬品工場での大爆発事故、「オッパウ大爆発」により600人もの死者が発生。1日40トンものアンモニアを作っていたバイエルン州オッパウのバーディシェ・アニリン・ウント・ソーダ・ファブリーク社の工場で、ダイナマイト発破をきっかけに薬品が大爆発し、509人の従業員を含む600人が死亡・行方不明になり、近隣住民の被害も含めて2,500人もの死傷者を出すこととなった。

1933年
【死去】宮沢賢治【詩人・童話作家】

生前は全くの無名作家であり、農学校教師として生涯農業指導に奔走しながらの詩作であったが、没後、親交のあった草野心平らにより爆発的な人気を得た詩人。『風の又三郎』『注文の多い料理店』『銀河鉄道の夜』『雨ニモマケズ』等の作品は子供から大人にまで幅広い層に愛されている。私生活では生涯童貞であったとも言われている。急性肺炎により37歳没。

1954年
【死去】御木本幸吉【実業家】

御木本真珠店の創業者で知られる明治時代の実業家。代々うどんの製造・販売を営む家に産まれ、1872年頃から家業を手伝いながら青物の行商を創業。1878年、家督を相続し御木本幸吉に改名。同年、地元・志摩の特産物である天然真珠販売のため海産物商人へ転向。1888年に真珠の養殖を開始し、1896年に半円真珠の特許を取得。1899年に東京・銀座へ御木本真珠店を出店。その後、御木本の養殖真珠は世界的に認められ、1949年に真珠養殖事業の国際親善により中日文化賞を授与された。1954年9月21日、老衰のため死去。没年96歳。

1957年
【死去】ホーコン7世(Haakon VII)【王族/ノルウェー】

ナチス・ドイツと徹底抗戦したことで知られるノルウェー国王(1905年〜1957年)。1905年に国王に即位。1940年にナチス・ドイツから侵攻を受け抗戦し、イギリスへ亡命。亡命後、ノルウェーの解放へ向けて活動し、1945年にナチス・ドイツの降伏とともに帰国。1957年9月21日、老衰により死去。没年85歳。

1964年
【死去】オットー・グローテヴォール(Otto Grotewohl)【政治家/ドイツ民主共和国】

第二次大戦後にドイツ民主共和国(東ドイツ)の初代首相(1949年〜1964年)となった人物。1920年にブラウンシュヴァイク州の州議会議員となり、州国民教育大臣、内務大臣・法務大臣を経て、1925年に国会議員へ。1933年、ナチス・ドイツの台頭により解雇、その後は雑貨商を営みながら抵抗運動を開始。1946年、ドイツ共産党(KPD)とともにドイツ社会主義統一党(SED)を結成しドイツ社会主義統一党議長へ就任。1949年にドイツ民主共和国樹立とともに初代首相に就任した。1960年から白血病を患い、1964年9月21日に脳卒中で死去。没年70歳。

1987年
【事故死】【夭折】ジャコ・パストリアス(Jaco Pastorius)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

ジャズ・フュージョン・グループのウェザーリポートにベースとして参加していたベーシスト、作曲家。ウェザーリポート時代にドラッグとアルコールに依存してゆき、脱退後はその酷い依存症に加え双極性障害を患い精神病棟へ入退院を繰り返していた。9月11日に地元であるフォートローダーデールで行なわれたサンタナのライブに飛び入りしようとするもガードマンに追い出され、その後泥酔状態で行ったクラブでガードマンに突き飛ばされ脳挫傷に。10日後、実父の意向で人工呼吸器が外され死亡。没年35歳。

1998年
【死去】【怪死】フローレンス・ジョイナー(Florence Griffith Joyner)【陸上競技選手/アメリカ合衆国】

現在も女子100メートル走の10秒49、女子200メートル走の21秒34という飛び抜けた世界記録を保持しているアメリカを代表する女子陸上競技選手。1988年のソウルオリンピックでは100メートル走、200メートル走、女子400メートルリレーの2種目で金メダルを獲得をしたことで知られ、陸上選手らしからぬ奇抜なファッションスタイル、長い爪や片足だけのタイツでも人気を博した。絶頂期の29歳で引退し、1998年9月21日にてんかんの発作を起こし心臓発作で急死。没年38歳。そのあまりに飛び抜けた記録と男性化した肉体のため、現役引退後はステロイド使用疑惑が絶えない人物であり、その急死がまたその疑惑を後押しした部分もある。