9月23日の不幸
- 1870年
-
【死去】プロスペル・メリメ(Prosper Mérimée)【小説家・役人・歴史家・政治家/フランス】
フランスの歴史記念物監督官として多くの歴史的建築の保存にあたった人物であり、晩年は元老員議員としても活動した人物。その一方で小説家としても目覚ましい活躍をみせ、後にオペラ作品としても世界中で人気を博した小説『カルメン』(1845年)等を発表した。1870年の普仏戦争の最中、カンヌに滞在している際に死亡。その遺言により現地の小さなプロテスタント教会に埋葬された。死後、パリコミューンの暴徒によりナポレオン三世の協力者であった彼の家は焼かれ、全ての原稿やノート、蔵書は失われた。
- 1939年
-
【死去】ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)【精神科医/オーストリア】
《精神分析》のジャンルをつくりあげたオーストリアの精神科医。心的外傷、夢判断、自我、無意識の研究など、それまでの精神医学に革命的な進化をもたらした。1938年にナチスドイツによるオーストラリア侵攻の際にはロンドンに亡命し、最晩年は彼の地で治療と研究、執筆活動を続けた。ガンにより83歳没。主治医に大量のモルヒネを投薬するように指示し、極めて自主的に死んでいった。
- 1978年
-
【射殺】ライマン・ボストック(Lyman Wesley Bostock, Jr.)【プロ野球選手/アメリカ合衆国】
1972年のドラフトでミネソタ・ツインズの26巡目指名(全体の596番目)により大学を中退したメジャーリーガー。1975年4月8日にメジャーデビューし、1977年シーズンにはリーグ2位という.336の高打率を記録し、シーズン終了後にカリフォルニア・エンゼルスに移籍。1978年シーズン終盤の9月23日の試合後にインディアナ州ゲーリーに住む叔父、トーマス・ターナーを訪ねた際に、同じくターナー宅を訪ねていたバーバラ・スミスとの浮気を疑われその夫のレナードに誤って射殺された。没年27歳。
- 1983年
-
【航空事故】【テロ】「ガルフエア771便爆破事件」
1983年9月23日、パキスタン・カラチ発バーレーン・マナーマ行きのガルフエア771便(ボーイング737-200)が、経由地のアブダビへの着陸中で手荷物室から爆発が発生。そのまま火災が発生しその有毒ガスで乗員乗客112人が即死した。結果的に、アブダビから50キロほど離れたジュベル・アリ近郊の砂漠に墜落。犯行はサウジアラビアを脅迫するパレスチナゲリラのアブ・ニダルに拠るものといわれ、事故後、クウェートとアラブ首長国連邦は資金面で解決を図ったといわれている。
- 1984年
-
【閉鎖】「蔵前国技館閉館」
1954年9月から大相撲の本場所に使用されていた会場の蔵前国技館がこの日の秋場所千秋楽で閉館に。翌年1月場所より2代目となる両国国技館に引き継がれた。
- 1987年
-
【死去】ボブ・フォッシー(Bob Fosse)【映画監督・振付師/アメリカ合衆国】
ブロードウェイ・ミュージカルの『シカゴ』等ので振付師として活躍した後に映画監督に転身。1973年には『キャバレー』アカデミー監督賞、演劇『Pippin』でトニー賞、ライザ・ミネリのテレビライブ『Liza with a Z』でエミー賞を受賞。さらに1979年には映画『オール・ザット・ジャズ』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した。心臓発作で60歳没。
- 1994年
-
【死亡】ロバート・ブロック(Robert Albert Bloch)【小説家/アメリカ合衆国】
H・P・ラヴクラフトの門下に学び、17歳の頃に『The Feast in the Abbey』で小説家としてデビュー。SF小説やホラー小説を次々と発表し、ヒッチコックの同名映画の原作として知られる『サイコ』(1959年)やテレビドラマとして人気を博した『トワイライト・ゾーン』等、数々の人気作を残した。晩年はガンの長い治療の末に死亡。没年77歳。
- 1996年
-
【死去】藤子・F・不二雄【漫画家】
富山県高岡市の小学生時代からの同級生である我孫子素雄とのコンビで「藤子不二雄」として活躍した国民的人気漫画家。本名・藤本弘。『ドラえもん』『オバケのQ太郎』『パーマン』『エスパー魔美』『忍者ハットリくん』『プロゴルファー猿』等の代表作全てがアニメ化・映画化されるという現代のマンガビジネスの基礎ともいえるミックスメディアをいち早く実現した黄金時代を1970年代から1980年代にかけて築いた。それまでも作品ごとに担当を分けていたが、1986年に藤本が胃ガンにかかったことを受けて死後の財産分与で争わないがために1987年にコンビを解消し、以降は藤子・F・不二雄名義で活動。前述の『ドラえもん』に象徴される、誰からも愛されるSFマンガを生涯描き続けた。自宅の仕事部屋で作業中に気を失い、そのまま肝不全で62歳没。
- 2000年
-
【死亡】工藤栄一【映画監督】
1952年に東映に入社後、1959年の『富嶽秘帖』で監督デビュー。代表作に『十三人の刺客』『ヨコハマBJブルース』等。また人気ドラマ『傷だらけの天使』等のテレビドラマの監督も手がけた。2000年9月23日に脳幹出血で死亡。没年71歳。
- 2012年
-
【射殺】コーリー・サンダース(Corrie Sanders)【プロボクサー/南アフリカ共和国】
2003年3月8日に当時のWBO世界ヘビー級王者、ウラジミール・クリチコとと対戦し2回TKO勝ちで第13代WBO世界ヘビー級王者に輝いた世界的ボクサー。通算46戦42勝31KO4敗。2012年9月22日に甥の誕生日を祝うために滞在していた南アフリカ・ブリッツのレストランで強盗事件に巻き込まれ、銃弾が腹部などに直撃。翌日46歳で死亡した。
- 2015年
-
【急死】中村勝広【プロ野球選手・指導者】
1990年代の低迷期に6年間にわたり阪神タイガースの監督を務めたプロ野球監督であり、その後、オリックスバッファローズのGMと監督、そして2012年からは阪神のGMを歴任した人物。現役選手としては早稲田大学からドラフト2位で1971年に阪神タイガースに入団。堅実な守備の二塁手として活躍した。阪神のGM在任中の2015年9月23日、チームの東京遠征先の滞在ホテルにて心肺停止しているところを当時の南信男球団社長らにより発見された。死因は脳出血。没年66歳。