『バビ・ヤールの処刑』画=Felix Lembersky

1941年9月29日は、第二次大戦中のナチスドイツによるユダヤ人虐殺“ホロコースト”の中でも1度に最多の死者を出したといわれる大量処刑「バビ・ヤール大虐殺」が行なわれた日である。
この日と翌30日にかけて、ウクライナ・キエフに住んでいた33,771人ものユダヤ住民がバビ・ヤール峡谷に連行された上に機関銃によって撃ち殺され、その遺体はそのまま峡谷に投げ捨てられて積み上がっていった。
この日のわずかな生存者の一人、キエフの人形劇場の女優、ディナ・プロニチェワはその掃射の直前に自ら谷に飛び込み、積み重なる死体の山の中で身を潜めて夜になってから這い出すという壮絶な生還劇を後に語っている。
そしてその悲劇は終戦まで繰り返され、バビ・ヤール峡谷で殺された人間は合計すれば10万人を超えるとされており、そこにはユダヤ人に限らず、ロシア、ウクライナ等多くの人種がその渓谷で虐殺されていったという。
ユダヤ人虐殺の現場としてだけではなく、ナチス・ドイツによる“世紀の虐殺の現場”として、バビ・ヤール峡谷は永遠にその記憶されてゆくべき場所であろう。

(画像はWikipedia Babi Yarより使用)

9月29日の不幸

1891年
【獄中死】津田三蔵【警察官】滋賀県警察部巡査の勤務中、来日パレードをしていたロシア帝国皇太子ニコライをサーベルで斬りつけた「大津事件(1891年)」の主犯。正確な動機は不明。事件後、無期徒刑で北海道の釧路集治監に収監されたが、同年急性肺炎のため獄死した。没年36歳。
1929年
【死去】田中義一【軍人・政治家】

陸軍士官学校、陸軍大学を卒業後、日清戦争に従軍。そのまま1923年から原内閣、第2次山本内閣で陸軍大臣に就任。その後政治家に転身し、1925年に政友会総裁(後に立憲政友会)に就任。1927年4月17日の第1次若槻内閣の総辞職を受けて4月20日に第26代内閣総理大臣に就任し、外務大臣、内務大臣、拓務大臣等の要職も兼任した。大物政治家たちを起用した組閣で積極外交を打ち出したが、満州事変の責任問題を昭和天皇から問われ1929年7月2日に総辞職。その直後から見るからに衰弱してゆき、同年9月27日に狭心症で死亡したため、昭和天皇は自らが叱責したことを咎めたという。没年65歳。

1930年
【死亡】イリヤ・レーピン(Ilya Yefimovich Repin)【画家・彫刻家/ロシア】

19世紀後期のロシア移動派を代表する作家のひとり。自らと同じ庶民階級の実情を描いた作品や歴史画の名手としてで知られ、その画風はヨーロッパ留学により確立されたバロック期の巨匠たちのようなものであった。晩年は、サンクトペテルブルクの北に位置するクォッカラで過ごしており、1917年のロシア革命でフィンランドが独立するちと同所はフィンランド領となったが、そのまま住み続けた。1930年9月29日に86歳没。死後発生したフィンランド・ロシア戦争によりクォッカラがロシアに編入されると、同所はレーピンにちなんでレーピノに解明された。

1941年
【大量殺人】「バビ・ヤールの大虐殺」『第二次大戦中のナチスドイツによるユダヤ人虐殺"ホロコースト"の中でも1回で最大の死者を出したといわれる大量処刑、ウクライナ・キエフに住んでいたユダヤ住民を全員処刑にした事件。この日と翌30日にかけて、バビ・ヤール峡谷に連行された33,771人ものユダヤ人たちが機関銃によって撃ち殺され、その遺体はそのまま峡谷に投げ捨てられた。
1973年
【死亡】W・H・オーデン(Wystan Hugh Auden)【詩人/イギリス・アメリカ合衆国】

イギリスのヨークに生まれ、移住先のアメリカで活躍した20世紀を代表する詩人のひとり。代表作に『アキレスの盾』『葬儀のブルース』等。1947年の『The Age of Anxiety(不安の時代)』で翌年のピューリッツァー賞を受賞した。私生活では同性愛者として知られ、1935年にはトーマス・マンの長女のエリカとラヴェンダー・マリッジ(同性愛者による偽装結婚)をしたことも。イギリスを離れた理由のひとつにはゲイに対する社会的寛容さを求めてとされている。長年のパートナーであった小説家のクリストファー・イシャーウッドとは『F6登攀』等の演劇を共作した。晩年は夏期をオーストリアで過ごすようになっており、1973年9月29日、オーストリア文学教会で詩の朗読をした数時間後、滞在していたウィーンのアルテンベルクホフ・ホテルで死亡した。没年66歳。

1996年
【死去】遠藤周作【小説家】カトリック教徒として知られる小説家。『海と毒薬』『沈黙』に代表されるキリスト教をテーマにした小説を数多く残し、ノーベル文学賞の候補となるほど世界的な評価を得ていた小説家のひとりだった。狐狸庵山人名義でのエッセイも多数。若くから肺結核に悩む人生であったが、1996年9月28日に昼食を喉に詰まらせ肺炎を発症。翌日73歳で死亡した。
1997年
【死去】ロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein)【画家/アメリカ合衆国】

アンディ・ウォーホールらと共に1960年代〜1970年代のアメリカのポップアートを牽引したイラストレーター。アメコミのコマを拡大したものや、アミ点まで拡大したようなドットで描いた作品群で知られる。

1999年
【無差別殺人】【大量殺人】「下関通り魔殺人事件」当時35歳の運送業、上部康明がJR下関駅改札口にレンタカーで突入。7名を轢いた後に文化包丁を持ってホームに上がり、8人を殺傷。その結果5人が死亡、10人に重軽傷を与えた。犯行の動機は以前自営していた設計事務所の経営不振。犯行に際しては9月8日に発生した「池袋通り魔殺人事件」を参考にしたと自供。2008年に死刑が確定し、2013年3月29日に上部の死刑が執行された。
2007年
【死去】鬼塚喜八郎【実業家・技術者】

1949年にスポーツ用シューズの製造技術の修行を始め、1949年に後のアシックスの前身となる鬼塚株式会社を設立。バスケットボール用シューズの製造販売を開始し順調に売り上げを伸ばし、、1964年の東京オリンピックで多くのメダリストたちの使用ブランドとして世界的知名度を獲得し、"オニツカタイガー"を世界的ブランドにまで押し上げた。に株式会社ジィティオ、ジェレンク株式会社と合併し、社名を株式会社アシックスに変更。創業社長となり、1992年からは死亡する2007年まで同社の会長職を務めた。2007年9月29日に心不全で死亡。没年89歳。

2012年
【死去】冴島奈緒【AV女優】グラビアモデルとして『11PM』等で活躍後の1987年に『冴島奈緒/FカップNo.1 奈緒の目覚め』でAV女優に転身、草創期に於けるAVアイドルとして、人気を博した。AV引退後はVシネマなどで女優活動の他、実業家としても多くの仕事を手がけた。晩年はガンで5年ほど闘病したが、44歳で死亡。
2013年
【死去】山崎豊子【小説家】毎日新聞社の記者出身の小説家。同じく小説家の井上靖は同社所属時の上司に当たる。実写映像化された代表作『白い巨塔』『華麗なる一族』『沈まぬ太陽』等の社会派の大作で知られ、生涯現役であり続けた。『週刊新潮』誌上で『約束の海』を連載中に緊急入院し、呼吸不全で死去。没年89歳。
2017年
【死亡】槐柳二【俳優・声優】

劇団テアトル・エコーに所属した俳優であり、早くから声優として活躍した人物。『仮面ライダーアマゾン』のモグラ獣人、アニメ『天才バカボン』のレレレのおじさん役など、特徴的な役柄で存在感を発揮した。2017年9月29日にうっ血性心不全で89歳没。