『1951年8月17日に北京の天橋刑場で銃殺される直前の山口隆一と、アントニオ・リヴァ』(写真中央)

1950年10月1日は、北京市在住の日本人、山口隆一と、イタリア人、アントニオ・リヴァらが、毛沢東をはじめとする中国共産党幹部の暗殺未遂事件を起こしたとされる日である。
天安門広場の楼上に上がった党指導部を、観衆の中から迫撃砲で狙撃しそうになっていたところを取り押さえられた2名は、軍事裁判を経て翌年8月17日に処刑された。
しかし、山口の夫人は、「夫には暗殺をする理由がなかった」として、朝日新聞の紙面(1951年8月25日)に『「毛沢東暗殺計画」の真相気違いじみた「芝居」山口氏夫人の手記』なる記事を発表。
その中でこの事件が中国共産党による濡れ衣であったと告発している。
それが本当であるならば大きな問題となるべきこの怪事件であるが、直後に日中が断交状態に突入してしまったこともあり、夫人の訴えも空しく、事件は風化していった。
現在ではその真相を知る術もなく、ただの記録として残っていくだけなのであろうか。
否、このもはやおぼろげともいえる記憶を失うことこそ、本当の《事件》なのではないだろうか。

(写真はWikipedia 炮击天安门案より。Public Domain)

10月1日の不幸

1948年
【死去】プラヤー・マノーパコーンニティターダー(Phraya Manopakorn Nititada)【政治家/タイ】

タイの政治家で初代首相(1932年〜1933年)となった人物。法学を学んだ後、最高裁判管や枢機院顧問などを経て、プラヤー・マノーパコーンニティターダー(本名はコーン・フタシン)の官位・欽錫名を得る。1932年に人民党による立憲革命が勃発し、人民代表院の選出により初代首相に就任。第2次マノーパコーン内閣下の1933年4月に反共法を施行、その2カ月後、同年6月10日に元官僚による軍のクーデターが発生し同月20日に辞職。辞職後は、マレーシアのペナン島に亡命するも帰国できぬまま、1948年10月1日に死去。没年64歳。

1950年
【暗殺未遂事件】【怪事件】「毛沢東暗殺陰謀事件」

北京市在住の日本人、山口隆一と、イタリア人、アントニオ・リヴァらが、天安門広場の楼上に上がった毛沢東率いる党指導部を、観衆の中から迫撃砲で狙撃しそうになっていたところを取り押さえられた暗殺未遂事件。2名は、軍事裁判を経て翌年8月17日に処刑されたが、山口の夫人は夫に暗殺する理由がなかったとして、朝日新聞の紙面(1951年8月25日)に『「毛沢東暗殺計画」の真相気違いじみた「芝居」山口氏夫人の手記』なる記事を発表。その中でこの事件が中国共産党による濡れ衣であったと説明している。

1977年
【現役引退】「ペレ引退」

ブラジルの3度のワールドカップ制覇に貢献し、現役生活で1281得点を記録した"サッカーの神様"ことペレが、ニュージャージーのジャイアンツ・スタジアムで行なわれた引退試合(ニューヨーク・コスモス対サントスFC戦)で現役を引退。前半は晩年所属したコスモスの選手、後半は黄金期を築いたサントスの選手としてプレーし、前半に1得点を挙げた。

1979年
【死去】水谷八重子(初代)【女優】

大正から昭和にかけて活躍した新派を代表する女優のひとり。義兄で作家の水谷竹紫の影響により女優の道へと進み、1914年に島村抱月の作品へ出演。1916年には小山内薫の帝劇公演『アンナ・カレーニナ』に出演し、1920年の新協劇団公演『青い鳥』から本格的な女優業へ。1921年、高校生であったため匿名で『寒椿』で映画デビュー、卒業後は竹紫の第二次芸術座で活躍。戦後は東京劇場などに出演し、1949年に花柳章太郎らと「劇団新派」を結成。その後は新派の女優として最晩年まで活躍し、1979年に乳ガンより公演中に倒れ、同年10月1日に死去。没年74歳。

2004年
【急死】リチャード・アヴェドン(Richard Avedon )【写真家/アメリカ合衆国】

ファッション誌『ハーパーズ・バザー』でプロカメラマンとしてデビューした後に『ライフ』『ヴォーグ』等のメジャー雑誌で活躍したファッションフォトの第一人者。きちっとフォーカスを合わせた写真の全盛期に背を向け、ブレやボケを辞さない挑戦的な作風で一時代を築いた。テキサス州サン・アントニオで『ザ・ニューヨーカー』誌の写真を撮影している最中の2004年9月25日に脳出血昏倒。そのまま10月1日に死亡。没年81歳。

2006年
【死去】米澤嘉博【漫画評論家・実業家・編集者】

明治大学大学在学中から漫画批評集団「迷宮」に参加し、漫画誌の編集やライターとして活躍。同時に、現在は世界最大級の同人誌即売会となった「コミックマーケット」に立ち上げ当初の1975年頃から関わり、1980年開催のC14から準備委員会初代代表の原田央男を引き継ぎ2代目の代表となった人物。以降26年にわたり"コミケ"の代表を続けたが、体調不良により2006年8月開催のC70をもって退任。すでに同年7月に肺ガンの告知を受けており、最後の"コミケ"には入院先から参加していた。9月30日付けで正式に代表を退任した翌日、53歳で死亡した。

2007年
【死去】アル・オーター(Alfred Adolf "Al" Oerter, Jr.)【陸上競技選手/アメリカ合衆国】

1950年代から活躍したアメリカの円盤投選手で、オリンピック史上初の4大会連続金メダリストとなった人物。高校から陸上競技を始め、大学時代に1956年の「メルボルン・オリンピック」で金メダルを獲得。続いて、1960年のローマ、1964年の東京、1968年のメキシコシティと4大会で金メダルを獲得した後に引退。その後、1977年に再びオリンピック代表を目指すも大会には出られなかった。2007年10月1日に心臓病により死去。没年71歳。

2008年
【放火事件】「大阪個室ビデオ店放火事件」

2008年10月1日、大阪市浪速区の個室ビデオ店「試写室キャッツなんば店」が放火された事件。この事件により店内にいた利用客16人が一酸化炭素中毒で死亡し、店員利用客あわせて9人が負傷した。火災当初はタバコによる失火が火災の原因とみられたが、事件同日の午後、小川和弘(当時46歳)が現住建造物等放火などの容疑で逮捕され、同月22日に殺人・殺人未遂・現住建造物等放火の罪で起訴され、その後、2014年に死刑が確定した。放火については個室ビデオ店に入った際に、周りの男性客を見て生きていくのが嫌になったことが原因で、ティッシュペーパーに火をつけたことを供述している。

2013年
【死去】トム・クランシー(Thomas Leo "Tom" Clancy, Jr.)【小説家・実業家/アメリカ合衆国】

保険代理店を営む傍ら書いたデビュー小説『レッド・オクトーバーを追え!』が爆発的なヒットを記録し、世界的な人気小説家となった人物。近未来的な世界情勢を予見する「軍事シミュレーション小説」をジャンル化した人物として知られる。1996年にはゲーム会社『Red Storm Entertainment』を設立し自身の名を冠したテレビゲーム作品を手がけ(2000年にUbisoftにより買収された)るなど、実業家としても活躍した。2013年10月1日に死亡。死因は公表されていない。没年66歳。映画化された『いま、そこにある危機』等を含むクランシーの代表的小説シリーズ『ジャック・ライアン・シリーズ』は、2011年の『ライアンの代価』から共著者であったマーク・グリーニーが引き継ぎ継続している。

2017年
【拳銃乱射事件】【殺人事件】【大量殺人】【無差別殺人】「2017年ラスベガス・ストリップ銃乱射事件」

2017年10月1日、アメリカ・ラスベガスのホテル「マンダレイ・ベイ・リゾート アンド カジノ」の32階から元会計士スティーブン・パドック(当時64歳)が銃を乱射した事件。事件当日、ラスベガス・ストリップ通り沿いにあるラスベガス・ヴィレッジでは『The Route 91 Harvestカントリー・ミュージックフェスティバル』が開催されており、スティーブンは会場へ向けて銃を乱射したため、58人が死亡、546人が負傷する事件となった。スティーブンは乱射後自殺し、ホテルの部屋からはAR-15系、AK-47系のライフルを含む23丁の拳銃や弾薬が発見された。動機については未だ不明である。