『チェ・ジンシルのポートレート』(Segye Newspaper撮影)

2008年10月2日は、韓国の人気女優、チェ・ジンシルが首吊り自殺体として発見された日である。
CMの出演から瞬く間に国民的女優としてのスターダムにのし上がり、同じく国民的スターであったプロ野球選手、趙成珉(チョ・ソンミン。日本プロ野球の読売ジャイアンツにも在籍)との結婚・離婚を経て、“おばさん女優”としての黄金期を送っていた、大スターであったチェ・ジンシル。
しかし、2008年9月8日に、交遊のあった俳優のアン・ジェファンが自動車内で練炭自殺していたことの関連性をネットで噂され、「生前彼が抱えていた数億円といわれる借金の半分、あるいは2億円以上をチェ・ジンシルが肩代わりしていた」「それは貸金業の一環であった」などという誹謗中傷がインターネット上でまことしやかに噂され、その“ネットの噂”を苦にしての自殺であったとされている。
その後の調査により、それらの噂は事実無根の情報であったと証明された。
このことを重くみた韓国政府は、彼女の死後、ネットでの発言の正確性について、厳しい法的規制が確立された。
だが、驚くべきことに、知人俳優の死から伝染したこの悲劇は、彼女の周りに伝染を続けた。
チェ・ジンシルの元マネージャーだったパク氏が同年10月27日に睡眠薬過剰摂取で自殺。
続いて、実弟で俳優でもあったチェ・ジニョンが最愛の姉の死を乗り越えられず2010年3月29日に自殺。
そして極めつきは、かつてDV問題で離婚した元夫の趙成珉までが2013年1月6日に彼女と同じく首吊り自殺を遂げている。
ある調査では、国民的スターであった彼女の自殺は700人の死に影響したともいわれているが、身近なところだけで3人もの自殺を呼び込んでいる。
ここまでの不幸の連鎖を知ると、“自殺は、伝染する”という説が、現実味を帯びてくるというものだ。

(写真はWikipedia Choi Jin-silより使用)

10月2日の不幸

1968年
【死去】マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)【美術家/フランス】20世紀の美術界に大きな影響を与えたアーティスト。第一次大戦中の1915年から活動の拠点をニューヨークに移し、ニューヨークダダの中心的人物となった。規制のものを利用した"レディメイド"のコンセプトを産み出したことで知られ、代表的な作品に男性用小便器にサインだけを施した『泉(Fontaine)』等がある。1968年10月1日に自宅においてマン・レイなどと夕食をともにした後、眠りについたが、深夜1時頃に自宅スタジオで心不全で死亡。
1978年
【死去】パーヴォ・ヌルミ(Paavo Johannes Nurmi)【陸上競技選手/フィンランド】

20世紀初頭に中距離走、長距離走で活躍したフィンランドの陸上競技選手。金メダリストのハンネス・コーレマイネンに感銘を受け陸上競技選手を目指す。1920年の「アントワープ・オリンピック」に初出場し、陸上競技において金メダル3個(10,000メートル競走・クロスカントリー個人・クロスカントリー団体)、銀メダル1個(5,000メートル競走)を獲得。続いて1924年の「パリオ・オリンピック」では金メダル5個(1500メートル競走・5000メートル競走・クロスカントリー個人・クロスカントリー団体・3,000メートル団体)。1928年の「アムステルダム・オリンピック」では銀メダル2個(5,000メートル競走・3,000メートル障害)に留まり、以後オリンピックには不参加。その後は自国で長距離走のアマチュア選手として10,000メートル競走で14年間無敗、クロスカントリー競走では19年間無敗という記録を打ち立てた。引退後は実業家として成功し、1973年10月2日に死去した。没年76歳。

1985年
【エイズ死】ロック・ハドソン(Roy Harold Scherer Jr.)【俳優/アメリカ合衆国】

20世紀に活躍したアメリカ合衆国の俳優でゲイであり、著名人として初のエイズ患者であることを公言した人物。第二次世界大戦に従軍後、1948年に『Fighter Squadron(特攻戦闘機中隊)』で映画デビュー。1954年の『Magnificent Obsession(心のともしび)』で人気を博し、1956年に主演した『ジャイアンツ』がアカデミー監督賞を獲得したことでアメリカを代表する俳優としての地位を確立。その後も『武器よさらば』(1957年)など多くの作品に出演していたが、1985年にエイズを発症しゲイであることを公言。同年10月2日にエイズ合併症で死去した。没年59歳。

1988年
【死去】アレック・イシゴニス(Sir Alexander Arnold Constantine Issigonis)【自動車技術者/イギリス】

1959年にブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)から発売された小型大衆車「ミニ」の設計者として知られるイギリスの自動車技術者。大学卒業後、自動車メーカーのハンバーに技師として入社。1936年にモーリス社に移籍し、その後、1952年にモーリス社とオースチン社が合併しブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)となると退社。アルヴィス社に移籍するも1955年に再びブリティッシュ・モーター・コーポレーションへ呼び戻され、小型大衆車の設計に専念。1959年、設計した小型大衆車「ミニ」がヒットし、テクニカル・ディレクターに昇格。1967年には王立協会の会員となり、英帝国勲章コマンダー(CBE)、ナイトの称号を授与された。1971年に会社から引退し、技術コンサルティング会社を経営。1988年10月2日、パーキンソン病により死去。没年81歳。

1990年
【航空事故】【テロ】「広州白雲空港衝突事故」台湾行きを主張した若い男によりハイジャックされた厦門航空のボーイング737型機が、燃料不足のために広州空港に着陸しようとしたところ、ハイジャック犯と機長との間で取っ組み合いになり、そのまま空港で待機していた地上の飛行機2機と衝突。ボーイング737に乗っていた104人のうち84人(ハイジャック犯含む)と地上のボーイング757の乗員乗客118人中47人、それに空港スタッフ1名合計132名が死亡する大惨事となった。
1996年
【航空事故】「アエロペルー603便墜落事故」ペルー・リマの空港からチリ行きのアエロペルー757-23Aが、太平洋リマ近海に墜落。乗員乗客70名全員が死亡する大事異なった。原因は清掃中に整備士が貼ったマスキングテープの取り忘れによる機材不調。この事故をきっかけに経営不振を極めたアエロペルー社は1999年に経営破綻。
2001年
【倒産】「スイス航空倒産」

1931年に設立されたスイスの国営航空会社、スイス航空がこの日をもって倒産。1998年9月2日の「スイス航空111便墜落事故」の賠償を負ったことで赤字経営が加速していたことに加え、2001年9月11日の「アメリカ同時多発テロ事件」で航空需要が激減したことがその原因となり、資本提携先のサベナ・ベルギー航空の倒産に続いて倒産となった。

2008年
【自殺】チェ・ジンシル(Choi Jin-sil/崔眞實)【女優/韓国】

CMの出演から瞬く間に国民的女優としてのスターダムにのし上がり、同じく国民的スターであったプロ野球選手、趙成珉(チョ・ソンミン)との結婚・離婚を経て、晩年も女優としての黄金期を送っていた大スター。交遊のあった俳優アン・ジェファンが自動車内で練炭自殺していたことの関連性をネットで噂され、生前彼が抱えていた数億円といわれる借金の半分、あるいは2億円以上をチェ・ジンシルが肩代わりしていた、それは貸金業の一環であったなどという誹謗中傷がインターネット上でまことしやかに噂され、その"ネットの噂"を苦にしての自殺。没年39歳。ちなみに、チェ・ジンシルさんの元マネージャーだったパク氏が同年10月27日に睡眠薬過剰摂取で自殺、実弟で俳優でもあったチェ・ジニョンが最愛の姉の死を乗り越えられず2010年3月29日に自殺、そして、かつてDV問題で離婚した元夫の趙成珉までが2013年1月6日に彼女と同じく首吊り自殺を遂げている。

2009年
【死去】津久井克行【歌手】1993年の大ヒット曲『夏の日の1993』で知られるユニットclassのメンバーとして知られる歌手。膵臓ガンで49歳没。
2012年
【死去】大滝秀治【俳優】

独特のしゃがれ声と語り口で数々の映画、ドラマで活躍した名俳優。代表作に市川崑監督の映画『金田一耕助シリーズ』等。関根勤のものまねのレパートリーとしても有名で、本人も公認であった。肺扁平上皮癌のため死去。没年87歳。

2015年
【テロ】「ニューサウスウェールズ警察本部銃殺事件」15歳のイラン出身の少年、 ファハド・カリル・モハマド・ジャバーが、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州パラマタにあるニューサウスウェールズ警察本部前で警官2名を射殺。犯行時少年は「アラー」の名を叫んでおり、イスラム国に同調したテロリズムであったとされる。犯人の少年は駆けつけた警官により射殺。