『“このマシンがファシストを殺す”と書いたステッカーを貼ったギターを持つ1943年のウディー・ガスリー』

1967年10月3日は、1950年代のアメリカで活躍したフォーク歌手のウディー・ガスリーが死亡した日である。
1920年代の世界恐慌時代に放浪を続けながら歌い始めたガスリーは、反体制的なフォークシンガーとして絶大な人気を集め、多くのプロテストソングを歌い続け、その生涯で“アメリカ・フォークの父”と呼ばれる功績を残した人物として知られるガスリー。
私生活では幼い娘を火事で失って以来鬱病に悩まされたことが、生来わずらっていたハンチントン病とともにガスリーの人生に深い影を落とした。
最後もニューヨーク・クイーンズの精神病棟で死ぬこととなったガスリー。
しかし、この写真のギターに貼られた“この機械がファシストを殺す”に象徴される攻撃的な姿勢は、後のボブ・ディラン、そして息子のフォークシンガー、アーロ・ガスリー等の後進に受け継がれ、その魂は現代にも生き続けている。
果たして、“アメリカ・ファースト”に翻弄され続ける現在のアメリカで、ガスリーは何を歌うのだろうか?

(写真は『ニューヨーク・ワールド・テレグラム・アンド・ザ・サン』紙カメラマン Al Aumuller撮影。Wikipedia Woody Guthrieより使用。Public Domain)

10月3日の不幸

1929年
【急死】グスタフ・シュトレーゼマン(Gustav Stresemann)【政治家/ドイツ】

ドイツの政治家でドイツ・ヴァイマル共和政期に外務大臣(1923年〜1929年)および首相(1923年8月13日〜同年11月23日)を務めた人物。1902年、ドイツの政治家フリードリッヒ・ナウマンに影響を受け国民自由党へ入党。1906年にドレスデン市議に選出され、翌年には最年少で帝国議会議員へ。1918年、ドイツ人民党を結成し外交委員会委員長へ就任。1923年、首相兼外務大臣に就任するも内閣不信任案可決により同年に首相を辞任することに。その後はマルクス政権下で外務大臣を務め、ロカルノ条約の締結に尽力、1926年にノーベル平和賞を受賞した。1929年10月3日、脳卒中のため急死。没年51歳。

1967年
【死亡】ウディ・ガスリー(Woody Guthrie)【歌手・ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1950年代のアメリカで活躍したフォーク歌手。多くのプロテストソングや貧困層のための歌を歌い、やがて反体制的なフォークシンガーとして絶大な人気を獲得。後のボブ・ディランに大きな影響を与えるなど、その生涯で”アメリカ・フォークの父”と呼ばれる功績を残した。私生活では幼い娘を火事で失って以来鬱病に悩まされた。最後はニューヨーク・クイーンズの精神病棟で、生涯患っていたハンチントン病の合併症で死亡。没年55歳。実子にフォークシンガーのアーロ・ガスリーがいる。

1986年
【海難事故】【原子力事故】「ソ連海軍・原子力潜水艦K-219沈没」

1986年10月3日、イギリス・バミューダ海域で哨戒活動中であったソ連の原子力潜水艦K-219が、R-27液体燃料ミサイル(弾道ミサイル)15基と核弾頭34発を搭載したまま爆発・炎上した事件。事故原因はミサイル用ハッチカバーのシーリングが破損したことでミサイルの液体燃料残留物と海水が化学反応を起こしたことによるものであった。この破損は機体の不具合から生じたといわれているが、ソ連側はアメリカの原子力潜水艦「オーガスタ」との衝突によるものと主張している。この事故により、乗員120人のうち4人爆発などで死亡、後日2人が被爆により死亡した。また事故から3日後、同艦は沈没している。

1990年
【最終回】「音楽番組『夜のヒットスタジオ』放送終了」

1990年10月3日、フジテレビ系の音楽番組『夜のヒットスタジオ』が放送終了へ。1968年11月4日の放送開始から22年間続いた長寿番組で、放送回数は1133回であった。

2004年
【死去】ジャネット・リー(Janet Leigh)【女優/アメリカ合衆国】

20歳にしてMGMと契約し女優としてデビューした女優。1970年の映画『サイコ』(アルフレッド・ヒッチコック監督)出演時におけるシャワー室での絶叫シーンで”絶叫クィーン”として後世に名を残した。私生活では4度の結婚を経験し、4度目の夫はレッド・ツェッペリンのヴォーカリストとして知られるロバート・プラント。3人目の夫で俳優のトニー・カーティスとの間に女優のジェイミー・リー・カーティスがいる。脈肝炎で77歳没。

2009年
【急死】【怪死】中川昭一【政治家】

自由民主党所属の衆議院議員で財務大臣(2008年〜2009年)などを歴任した人物。1983年、衆議院議員総選挙で初当選し、1989年に農林水産政務次官へ就任。1998年に農林水産大臣として初入閣し、以後、経済産業大臣(2003年〜2005年)、農林水産大臣(2005年〜2006年)を歴任し、2008年に財務大臣に就任。2009年2月、「G7」による財務大臣・中央銀行総裁会議へ参加、しかし、この際の記者会見で酩酊しているかのような姿が報道され批判を受けることに。この報道により同年8月の選挙で敗退し、同年10月に急死した。死亡日時については同月4日に自宅で倒れているところを発見されたが、同月3日と推測されている。

2010年
【急死】榊莫山(さかき ばくざん)【書道家】

20世紀に活躍した書道家で”バクザン先生”の愛称で知られる人物。1946年、教員をしながら書家・辻本史邑へ入門。入門後は書道家として頭角をあらわし、日本書芸院展で2年連続で最高賞を受賞。1958年に辻本が死去すると自身の書道団体を立ち上げ、多くの弟子を育てた。また、1990年頃から宝酒造の「よかいち」のテレビCMに出演。これがきっかけとなり、バラエティ番組などにも出演することとなった。2010年10月3日、急性心不全のため死去。没年84歳。

2012年
【死去】馬渕晴子【女優】

1950年代から活躍した女優で、日本人女優として初のヌードグラビアを披露した人物。1954年、日活にスカウトされ映画『女人の館』でデビュー。1957年にNHK専属女優となり”NHK3人娘”として小林千登勢・冨士眞奈美らと人気を博す。その後、大河ドラマ『春日局』(1989年)やTBSドラマ『コメットさん』など多くの作品に出演し、1977年に40代で雑誌『アサヒカメラ』でヌードグラビアを披露した。また、1986年に不動産業者とのトラブルがワイドショーで報道され、同年の新語・流行語大賞で「地揚げ・底地買い」で不快語追放応援賞を受賞している。2012年10月3日、肺ガンのため死去。没年75歳。

2013年
【死去】河西昌枝【バレーボール選手】

“東洋の魔女”と呼ばれた1960年代の女子バレーボール界で活躍した選手。1952年に日紡へ入社後、日紡の女子バレーボール選手として活躍。1962年の「モスクワ世界選手権大会」でソ連に優勝し”東洋の魔女”として一躍有名に。1964年の「東京オリンピック」ではコーチ兼主将として活躍しチームは金メダルを獲得。翌年、日紡を退社し、その後は淡島千景が設立したバレーボルチームの選手やママさんバレー教室の講師などを務め、2003年に日本バレーボール協会・女子強化委員長に就任。2008年にバレーボール殿堂入りへ。2013年10月3日、脳出血のため死去。没年80歳。

2017年
【死去】ジャラル・タラバニ(Celal Talebani)【政治家/イラク】

イラクの移行政府大統領(2005年〜2006年)および第四共和政初代大統領(2006年〜2014年)を務めた人物。10代から政治活動へ参加し、大学在学中に「クルド学生同盟」を結成。その後、クルド民主党(KDP)に参加し、1951年に中央委員へ選出される。1975年、クルド民主党から離党しクルド愛国同盟を樹立。2005年にクルド人として初のイラク大統領へ就任した。2017年10月3日、脳卒中により死去。没年83歳。

2017年
【運行終了】「JR大阪環状線「103系」営業運転終了」

2017年10月3日、JR大阪環状線として48年にわたり運行していた「103系」が営業運転を終了。1969年から運行した「103系」は老朽化のため「323系」との切り替えとなった。