『ジャニス・ジョプリンの宣材写真』1970年撮影

1970年10月4日は、不世出の歌姫、ジャニス・ジョプリンが死亡した日である。
無名のシンガーとして「ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー」に参加した1966年以降、死後発売されるアルバム『Pearl』を録音中にヘロインの過剰摂取で死亡した1970年まで、たった5年という期間で驚くべき社会的影響を与えるに至った“生きる伝説”であったジャニス。
ヒッピームーブメント全盛期に開催された1969年の「ウッドストック・フェスティバル」に出演し、時代の寵児として爆発的人気を得たジャニスであったが、常時嗜好していた過剰なドラッグとアルコールによって、27歳でその短すぎる人生を終えた。
彼女の死後、1971年発売の『Pearl』には、彼女の歌を吹き込めなかった『Buried Alive In The Blues』が、また、リハーサルのアカペラ音源である『Mercedes Benz』等が収録されており、突然死の雰囲気が生々しく記憶されている作品でもある。
しかし、どこか不完全でありながらも『Pearl』の音楽的な評価はロック史上に於いても燦然と輝くものであり、存在感、他のアーティストへの影響力という意味では、そこに並ぶものはないほどの名盤として知られている。
彼女の残した作品群の輝きは、50年近くが経った現在も色褪せるものではない。
果たして、27歳という彼女の人生の短さは、永遠とも思える作品群を残すことのできた彼女にとって、“不幸”であったといえるのだろうか。

(写真はWikipedia Janis Joplinより使用。Public Domain )

10月4日の不幸

1669年
【死去】レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn)【画家/オランダ】レンブラントの名で知られるバロック期を代表するオランダ人画家。代表作『テュルプ博士の解剖学講義』等、光と影のコントラストを強調した画風を得意とし、数々の大作を遺した。オラニエ公の仕事を手がけるなどして名声を得たが、徹底した表現主義でクライアントの希望に添わないことも多かったために仕事は減ってゆき、本人の浪費癖も相まって、晩年は貧しい生活を送り死去。没年63歳。
1903年
【拳銃自殺】【夭逝】オットー・ヴァイニンガー(Otto Weininger)【哲学者/オーストリア】

20世紀初頭のオーストリアの哲学者。大学在学中の1901年に論文『エロスとプシュケ』を発表。翌年から鬱病を発症しはじめ、ドッペルゲンガーに悩まされることに。1903年、主著『性と性格─或る基礎的研究』を刊行後、同年10月3日にウィーンのベートーヴェンが死没した部屋で拳銃自殺。没年23歳。この自殺によってヴァイニンガーは時代の寵児となり、著書が高く評価されることとなった。

1904年
【死去】フレデリク・バルトルディ(Frederic Auguste Bartholdi)【彫刻家/フランス】

『自由の女神像』の製作者として知られるフランスの彫刻家。美術学校で建築と彫刻を学び、1853年にパリのサロンで彫刻作品を発表。その後、彫刻家として『ベルフォールのライオン』(1880年)などのモニュメントを制作。1880年、アメリカの独立100年を記念した『自由の女神像』を発表し、1886年にフランス政府によりアメリカへ寄贈された。1904年10月4日、結核により死亡。没年70歳。

1970年
【夭折】【薬物過剰摂取】ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)【歌手/アメリカ合衆国】

無名のシンガーとして「ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー」に参加した1966年以降、およそ5年という活動期間で驚くべき社会的影響を与えるに至った伝説の歌姫。代表曲に『Summertime』『Ball and Chain』『Move Over』等。レコーディングのため宿泊していたロサンゼルス、ハリウッドのランドマーク・モーター・ホテル105号室のベッドの脇でヘロインの過剰摂取により死亡。27歳没。

1972年
【死去】東海林太郎【歌手】

ロイド眼鏡に燕尾服という出で立ちで直立不動で歌ったという昭和初期の国民的流行歌手。脳内出血で73歳没。

1978年
【誘拐事件】「1978年インシンカ社社長誘拐事件」

1978年5月にエルサルバドルで合弁企業インシンカ社(INSINCA)の社長・松本不二雄が、FARN(現・FMLN(ファラブンド・マルチ民族解放戦線))に誘拐された事件。同グループは政治犯釈放と身代金を要求したが交渉は難航し、そのまま同年10月4日に松本の遺体が発見された。

1989年
【死去】グレアム・チャップマン(Graham Chapman)【コメディアン/イギリス】

イギリスを代表するコメディユニット「モンティ・パイソン」のメンバーとして知られるコメディアン。大学で医学を学びながらコントを書き始め、同時期にジョン・クリーズと出会う。ジョンとコンビを組みコメディー番組などに出演後、1969年にコメディユニット「モンティ・パイソン」を結成。同年、BBCで放送されたコメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』で人気を博し、1974年に映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』を制作。その後はテレビ番組の脚本を書きながら、番組出演や講演会などを行なった。1989年10月4日、咽頭ガンと肺炎により死去。没年48歳。

1992年
【急死】デニス・ハルム(Denis Clive “Denny” Hulme)【レーシングドライバー/ニュージーランド】F1草創期にブラバム、マクラーレン等のチームで活躍したF1ドライバー。1967年にワールドチャンピオンを獲得。F1引退後もレースを続け、オーストラリアで開催されたバサースト1000に出場中、心臓発作で死亡。没年56歳。自らの体の異変を察知し、後続車両を気遣ってコースアウトして死んだと言われている。
1992年
【航空事故】「エル・アル航空1862便墜落事故」オランダ・アムステルダムのスキポール空港を離陸したイスラエルのエル・アル航空のボーイング747型貨物機が、離陸直後6分で高層アパートに激突。乗員3名上客1名とアパートの住人39名の合計43人が死亡した。金属疲労によるピンの破壊が原因とされる。
1996年
【死去】シルヴィオ・ピオラ(Silvio Piola)【サッカー選手/イタリア】ラツィオ、トリノ、ユベントス等で活躍したイタリアきっての点取り屋。歴代1位のセリエA通算得点記録274ゴール、キャリア通算得点364ゴールもイタリア人1位である。没年83歳。
1997年
【交通事故死】横井軍平【ゲームクリエーター】

『ゲーム&ウオッチ』などの開発に携わり、任天堂を世界的企業へと成長させたゲームクリエーター。1965年、花札・トランプメーカーであった任天堂へ入社。1966年、横井が暇つぶしに作った玩具を商品化した『ウルトラハンド』が大ヒット。同年、開発課が設置され『ラブテスター』、『光線銃シリーズ』などを商品化。1979年、開発課が分割され、開発第一部部長へ就任。『ゲーム&ウオッチ』、『ゲームボーイシリーズ』などの開発を手掛けた後、1996年に任天堂を退社。翌年に株式会社コトを立ち上げ、携帯ゲームや玩具などを企画。1997年10月4日、知人男性が運転していた車が衝突事故を起こし、車外へ出たところを後続車にはねられ死亡した。没年56歳。

1999年
【自殺】ベルナール・ビュフェ(Bernard Buffet)【画家/フランス】

パリ国立高等芸術学校出身の、フランスを代表する具象画家。妻のアナベルをモデルにした女性画と憂鬱な心象風景を荒削りな描線で描いた作風で、早くから世界的な評価を得て活躍した。1971年にレジオン・ドヌール勲章を受章。晩年はパーキンソン病に苛まれ、絵を描くことができなくなり、71歳で自殺。警察はビニール袋を被ってその口をビニールテープで首に巻き付けての窒息死だったと発表した。

2001年
【航空事故】【怪事件】「シベリア航空機撃墜事件」イスラエルーロシア間を飛行中のシベリア航空機1812便のツポレフTu-154Mが、原因不明の墜落。乗員乗客全78人が死亡した。同時刻に演習を行なっていたウクライナ防空軍のミサイルの誤射との嫌疑がかかったが、ウクライナ軍、政府ともにこれを否定。しかし2003年にはウクライナとイスラエル間で補償が合意し、ウクライナ軍から遺族への補償は行なわれた。
2003年
【テロ】「2003年イスラエル・ハイファ自爆テロ」

2003年10月4日、イスラエル・ハイファのレストランで起きた自爆テロ。この爆発により犯人を含む21人が死亡、およそ50人が負傷した。犯人はハナディ・ジャラダット(当時28歳・女性)で、犯行の翌日、イスラエル軍によりジャラダットの家は爆撃された。

2007年
【社会事件】「結合双生児ベトちゃん・ドクちゃん分離手術成功」

1988年10月4日、ベトナム・ホーチミン市で下半身がつながった結合双生児ベトちゃん・ドクちゃんの分離手術が行なわれた。およそ17時間に及びベトナム人医師70人、日本人医師4人が手術に携わり無事成功した。2007年、兄のベトは死亡している。

2013年
【死去】ヴォー・グエン・ザップ(Võ Nguyên Giáp)【ベトナム/軍人・政治家】

ベトナム軍曹司令官として臨んだフランスとの「インドシナ戦争」、特に「ディエンビエンフーの戦い」でベトナムの独立を実現するめざましい戦績を残し”赤いナポレオン”と呼ばれたベトナムの軍人。アメリカとの「ベトナム戦争」でも活躍し、ベトナム再統一に多大なる貢献を果たした。政治家としても副首相、内務大臣、国防大臣などの要職を歴任。1991年に政界を引退してからも高い国民的人気を博していた。100歳を超えてもなお寝たきりの状態で長寿を続けたが、2013年10月4日に死亡。没年102歳。

2015年
【獄死】奥西勝【死刑囚】

1961年に起こった大量殺人事件「名張毒ぶどう酒事件」の犯人として逮捕・起訴され死刑囚となった人物。事件当時、公民館に集まった男性12人・女性20人に対し、女性に振る舞われたワインに農薬が混入していたため、女性17人が急性中毒を発症。この内、奥西の妻と奥西の愛人を含む5人の女性が亡くなった。事件後、奥西は農薬混入を自白し逮捕されたが、逮捕後の取り調べ中に犯行を否認。1964年に無罪判決となるも1969年に第一審の無罪判決が破棄され、死刑判決へ。1972年に死刑判決が確定したが、冤罪であるとの主張と再審請求、再審請求中は刑が執行されないことから43年間、確定死刑囚のまま収監され続け2015年10月4日、肺炎のため医療刑務所で死去。没年89歳。

2017年
【怪死】【夭逝】進藤侑【競艇選手】

2000年初頭に活躍した元競艇選手。2003年に桐生競艇場でデビューし、同年の津競艇場で初勝利。2009年、「G1第23回新鋭王座決定戦競走」に初出場。同年の「第9回日本レジャーチャンネル杯」、翌年の「第13回東京スポーツ杯」で優勝。2015年にA1級として活躍。2017年10月4日、死去が報じられたが死因や死亡日時は未だ不明のまま。没年34歳。