『「Macworld Conference & Expo」で出演時のスティーブ・ジョブズ』2005年1月11日撮影

2011年10月5日は、アップルコンピューターの創始者であるスティーブ・ジョブスが死亡した日である。
現在もiPhoneという世界的な大ヒット商品で世界中に知られるアップルコンピューターの創業メンバーのひとりであり、強烈なカリスマ性を持った経営者として知られているジョブス。
しかしその強烈な個性は時として傍若無人ともとれる行動に繋がり、1985年にはアップルコンピューターを半ば追放という形で離れてしまう。しかし、同社の業績が創業以来最も落ちていた2000年にCEOとして復帰、その直後に既成のパソコンの概念を打ち破る半透明の一体型PC「iMac」で大ヒットを飛ばし、その後の2007年には世界中の人々の生活を一変させる世紀の商品「iPhone」を世に送り出し、その経営者としての強固かつ独特な視点を知らしめた。
現在もかつてないほどの好況の続くアップル・コンピューターであるが、iPhoneシリーズの新作が発表されるごとに、愛好家からは不満の声とともにジョブスの不在が声高に叫ばれている。
その声を聞くにつれ、彼が常々訴え続けた「シンプルな美しさ」が、いかに人々の感情をの奥深くに生き続けているかがわかるというものだ。

(画像はWikipedia Steve Jobsより使用)

10月5日の不幸

1813年
【暗殺】テカムセ(Tecumseh)【指導者/アメリカ合衆国】

アメリカ先住民ショーニー族の指導者で、白人による植民地抵抗運動の象徴的となった人物。弟のテンスクワタワとともに西部のインディアン部族の連合に尽力し、1808年にインディアナ州のプロフェッツタウンにインディアンの居住区を創立。1811年、アメリカとの戦いに初参加した「ティッペカヌーの戦い」ではアメリカに敗北、イギリスの植民地であったカナダへ逃れ、カナダのイギリス軍と同盟へ。1812年に「米英戦争」が勃発、1813年の「テムズの戦い」でイギリス軍が敗北。この後、同年10月5日にテカムセはアメリカの後の副大統領リチャード・メンター・ジョンソンに殺害され、一連の「テカムセの戦争」は終結した。

1934年
【夭折】ジャン・ヴィゴ(Jean Vigo)【映画監督/フランス】

1930年台に4本の映画作品しか発表していないが、そのうちの2本の劇映画『新学期・操行ゼロ』『アタラント号』でフランス映画史にその名を残す天才監督。特に『新学期・操行ゼロ』はフランス当局を刺激する徹底的な反権力描写により死後の1945年11月まで上映禁止処分となった問題作であるが、その作風は後の1950代末期からのフランス・ヌーヴェルヴァーグ作家たちに絶大な影響を与えた。結核により29歳没。その死後の1953年より、彼の功績にちなみ若手作家に与えられる「ジャン・ヴィゴ賞」がフランスで設立された。

1938年
【死去】高村智恵子【洋画家】

戦前に活躍した洋画家で彫刻家・高村光太郎の妻として知られる人物。日本女子大学校在学中に油絵に興味を持ち、卒業後は洋画家の道へ。1911年、雑誌『青鞜』の表紙絵を描き、洋画家として注目を受ける。1912年、太平洋画会展に作品を出展。1914年に以前から親交のあった高村光太郎と同棲生活を開始。同棲後も制作活動を続けていたが、父親の死、一族の破産や離散などを経験し1931年から統合失調症を患いはじめ、翌年に睡眠薬アダリンで自殺未遂。1933年、高村と入籍し療養生活を送るも改善することなく、1935年に精神病棟へ入院。入院中の1937年から再び創作活動を始め、千数百に及ぶ作品を制作。1938年10月5日、粟粒性(ぞくりゅうせい)肺結核のため死去。没年52歳。

1951年
【死去】小平浪平【実業家・電気技術者】

東京帝国大学工科大学電気工学科(現東京大学工学部)を卒業後、藤田組小坂鉱山に電気主任技術者として発電所開発に携わり、その後広島水力電気株式会社、東京電燈株式会社(現東京電力)を経て久原鉱業所日立鉱山入社。そこでの国産初の5馬力電動機の設計を機に、1910年に日立製作所を創業した人物。終戦直後の1947年に戦中は軍需工場でもあったために日立製作所の役員は社長の小平を始め全員公職追放となったが、1951年の追放解除で、同社の相談役に就任した。狭心症で77歳没。

1955年
【死去】河合小市【実業家・ピアノ製造技師】

山葉風琴製造所(現ヤマハ)で国産ピアノ開発に参加しその後独立。1927年に河合楽器を創業した人物。「自在アクション」とよばれる新型アクションを開発するなど新技術の発明家として知られ、”発明小市”と呼ばれた技術者でもあった。1955年10月5日に死亡。没年70歳。

1974年
【死去】ザルマン・シャザール(Zalman Shazar)【政治家・作家/イスラエル】

イスラエルの政治家および作家でイスラエル共和国第3代大統領となった人物。10代の頃にシオニスト組織”ポアレイ・ツィオン”に参加し逮捕され、2カ月間の投獄生活を送る。その後、『イディッシュ新聞』で作家デビュー。1924年、イスラエルの労働党創設に参加。1944年にイスラエルの新聞『ダヴァル』の編集長を務め、1949年にイスラエル労働党政府で教育大臣へ就任。1956年から1960年にかけてユダヤ人連絡庁の長官を務めた後、1963年にイスラエルの大統領へ就任。1974年10月5日、老衰により死去。没年84歳。

1980年
【現役引退】「山口百恵引退」

1973年にデビューし国民的な人気を誇ったアイドル・歌手・女優の山口百恵がこの日日本武道館で行なわれたァイナルコンサートで芸能活動を引退。俳優の三浦友和との結婚がその理由であった。最後の曲『さよならの向う側』の後にステージにマイクを置いたシーンは今も語りぐさとなっている。

1993年
【交通事故】「大阪市交通局南港ポートタウン線暴走事故」

1993年10月5日、大阪市交通局南港ポートタウン線(ニュートラム)の住之江公園駅構内で無人運転の車両が暴走し車止めに衝突した事故。原因は常用ブレーキの誤作動であった。この事故により、乗客215人が負傷した。

1994年
【死去】中条静夫【俳優】

戦後に活躍した大映出身の俳優。第二次大戦に従軍後、鉄工所のセールスマンを経て、1948年に大映東京撮影所へ入社。1954年、映画『金色夜叉』などから脇役を演じるようになり、1971年の大映倒産まで在籍後、劇団昴の俳優へ。1965年、TBSのドラマ『東京警備指令 ザ・ガードマン』にレギュラー出演したことにより人気俳優となり、以後『鉄人タイガーセブン』(1973年)や『あぶない刑事』(1986年)シリーズなど多くのドラマに出演した。1994年10月5日、ガンによる肝不全で死去。没年68歳。

1999年
【解散】「「SPEED」解散」

1999年10月5日、女性4人組ダンス&ボーカルグループ「SPEED」(新垣仁絵・上原多香子・今井絵理子・島袋寛子)が解散を発表。解散発表後、ファイナルツアー「SPEED DOME TOUR 1999 REAL LIFE」を4大ドームで開催。また、同年発売したアルバム『Carry On my way』はオリコン週間ランキング1位獲得作品となった。

2005年
【動物事故死】ティモシー・トレッドウェル (Timothy Treadwell)【活動家・研究家/アメリカ合衆国】

アメリカの環境保護活動家で主にグリズリーの研究家として知られる人物。20代でアルコールと薬物依存症を経験した後、熊との出会いにより社会復帰を果たし、熊保護活動へ目覚める。1990年からアラスカ・カトマイ国立公園で熊の観察を続け、2001年にメディアへ出演し始め著名人へ。2003年10月6日、恋人エイミー・ヒュグナードと共に同公園内のヒグマに捕食され死亡。捕食される間の6分間は音声のみであるがトレッドウェルのビデオカメラに収められている。没年46歳。2005年にトレッドウェルのドキュメンタリー映画『グリズリーマン』が公開された。

2008年
【死去】緒形拳【俳優】

新国劇入団後の1960年に映画『遠い一つの道』で主役デビュー。その後の1965年にNHK大河ドラマ『太閤記』の主役を務め、若くして全国的な人気俳優に駆け上がった人物。その後も数々の作品で存在感を発揮し、主演映画では『鬼畜』や今村昌平監督の代表作『復讐するは我にあり』『楢山節考』等、テレビドラマでは『必殺仕掛人』シリーズの藤枝梅安役で印象的な演技を披露した私生活では2000年頃より慢性肝炎、肝硬変を患い、2003年頃からは肝ガンに進行していたが、病気は公表せずに治療をしながら晩年まで俳優活動を続けてた。2008年9月30日には最後の出演作となったドラマ『風のガーデン』の制作発表に出席していたが、翌月10月4日に容態が急変し肝臓破裂を発症。そのまま翌日死亡した。没年71歳。長年の貢献から死後の2008年10月31日に旭日小綬章の授与が閣議決定された。実子にともに俳優の緒形幹太、緒形直人がいる。
新国劇入団後の1960年に映画『遠い一つの道』で主役デビュー。その後の1965年にNHK大河ドラマ『太閤記』の主役を務め、若くして全国的な人気俳優に駆け上がった人物。その後も数々の作品で存在感を発揮し、主演映画では『鬼畜』や今村昌平監督の代表作『復讐するは我にあり』『楢山節考』等、テレビドラマでは『必殺仕掛人』シリーズの藤枝梅安役で印象的な演技を披露した私生活では2000年頃より慢性肝炎、肝硬変を患い、2003年頃からは肝ガンに進行していたが、病気は公表せずに治療をしながら晩年まで俳優活動を続けてた。2008年9月30日には最後の出演作となったドラマ『風のガーデン』の制作発表に出席していたが、翌月10月4日に容態が急変し肝臓破裂を発症。そのまま翌日死亡した。没年71歳。長年の貢献から死後の2008年10月31日に旭日小綬章の授与が閣議決定された。

2011年
【死去】スティーブ・ジョブズ(Steven Paul “Steve” Jobs)【実業家/アメリカ合衆国】

アップルコンピューター共同創業者・同社前CEO。既成のパソコンの概念を打ち破る半透明の一体型PC「iMac」、そしての2007年には世界中の人々の生活を一変させる世紀の商品「iPhone」を世に送り出し、その経営者としての強固かつ独特な視点を知らしめた。膵臓ガンで56歳没。

2013年
【事故死】桜塚やっくん【芸人・タレント・ミュージシャン】

少年期よりジャニーズJr.として活動後、竹内幸輔とのコンビ「あばれヌンチャク」でお笑い芸人デビュー。2005年に解散後、ピン芸人に。2003年より放送開始された『エンタの神様』で披露したスケバン恐子なる女装キャラクター漫談で同番組の看板となり、一時期は爆発的な人気を誇った。ブレイク後はタレント、ミュージシャンとしても活動していたが、2013年10月5日、翌日に熊本県荒尾市で行なわれる予定だったバンド「美女♂men Z」のイベント出演に向かう途中の中国自動車道・伊佐パーキングエリア付近で中央分離帯に突っ込むという事故を起こした。その深夜の事故当時、桜塚は自ら運転手を務めており、路上に投げ出されたところを後続車に撥ねられての悲劇であった。すぐさま病院に搬送されたが、心臓破裂で死亡した。没年37歳。

2014年
【交通事故死】アンドレア・デ・チェザリス【レーシングドライバー/イタリア】

1980年代〜1990年初頭にかけて活躍したイタリアのF1ドライバー。1979年、F3・F2に参戦した後、翌年にアルファロメオからF1デビュー。1981年、マクラーレンへ移籍し、初完走をするもシーズンを通してリタイヤが多いこと、また、高額なマシンを何台も大破させたためロン・デニスから解雇処分へ。その後、アルファロメオ、リジェ、ミナルディ、ブラハム、リアル、スクーデリア・イタリア、ジョーダン、ティレル、ザウバーと移籍を繰返し1994年に引退。引退後はトレーダーとして成功した。2014年10月5日、オートバイ事故により死去。没年56歳。

2016年
【死去】井上竜夫【コメディアン】

“たつじい”の愛称で親しまれた吉本興業所属のコメディアンで、主に吉本新喜劇に出演していた人物。1959年に松竹新喜劇・曾我廼家五郎八の元へ入門し、新春座・新刃会に所属。翌年、舞台デビューした後、1963年に吉本新喜劇へ入団。以降、吉本新喜劇の舞台には欠かせない老人役として出演し続け、2016年10月5日、高度肺気腫のため死去。没年74歳。