『社会党・浅村稲次郎書記長を刺殺しようと飛びかかる山口二矢』

1960年10月12日は、当時17歳の山口二矢が、社会党・浅村稲次郎書記長を刺殺した「浅沼稲次郎暗殺事件」が起きた日である。
自民・社会・民主の三党による公開演説で、その日の日比谷公会堂は2,500人もの聴衆で埋め尽くされており、ラジオ中継、テレビ中継も用意されていた。
事件発生の瞬間は、ラジオでは生中継、テレビは急遽生中継に切り替わり、国民の多くがその日本放送史上に残る“実際の殺人”を目の当たりにした。
ちなみに犯人の山口は犯行翌月、収監中の東京少年鑑別所で、「七生報国 天皇陛下万才」という文字を歯磨き粉で壁に記し、首吊りで獄中自殺をしている。
辞世の句は「国のため 神州男児 晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路に」。
幼年時代から、同じく右翼思想を持っていた兄の影響を受けて政情を憂慮していたという山口が、大日本愛国党に入党したのが16歳の時。
そして17歳でこの刺殺事件を起こし、そのまま死を望み、その通りに死んでいった。
その暴力的な行動が許されるものであったかは判断が分かれるところだが、おそらく、ここまで思い通りに無駄なく人生という時間を終えた人物も他にいないであろう。
その死後、山口は多くの人物に多大な影響をもたらし、大江健三郎作の小説『セブンティーン』、若松孝二の映画『11、25自決の日 三島由紀夫と若者たち』等、多くの芸術作品のテーマになっただけでなく、一部の右翼団体からは彼の命日を祝祭日として祝う祭りまでが開催されている。
たった17年の人生で、ここまで人々の心に残る殺人者も、世の中には存在するのである。

(写真はPublic Domain)

10月12日の不幸

1858年
【死去】歌川広重【浮世絵師】

江戸時代末期に活躍し風景画の大作『東海道五十三次』で日本のみならず世界の美術界に多大な影響を与えた稀代の浮世絵師。当時流行したコレラにより61歳没。

1931年
【死去】桜井勉【官僚】

明治政府の内務省地理局長として、自ら全国の測候所の解説を働きかけ気象観測網の整備を進めた、日本における天気予報の創始者といわれる人物。京都、兵庫県、鳥取県、島根県の府県統廃合にも関わった。1931年10月12日没。没年88歳。

1960年
【暗殺】浅沼稲次郎【政治家】

学生時代から社会主義運動に加わり、政治家に転身。1945年に結成された日本社会党に参加し、1960年からは日本社会党委員長も務めたが、党首として臨んだ1960年10月12日の3党首立会演説会の演説中に17歳の右翼活動家・山口二矢に刺殺された。

1971年
【死去】ジーン・ヴィンセント(Gene Vincent)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1956年に発表した『ビー・バップ・ア・ルーラ』が全世界的に爆発的なヒットを記録したロック創生期のロカビリー歌手。ジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスとしても活動し、世界中をツアーで駆け巡ったが、1960年4月16日のイギリスツアー中にエディ・コクランらと同乗したタクシーが街路樹に衝突事故を起こし、ヴィンセントらは一命をとりとめたものの、コクランは翌日死亡した。胃潰瘍で36歳没。死後の1998年にロックの殿堂入りを果たした。

1996年
【死去】ルネ・ラコステ(René Lacoste)【プロテニス選手・実業家/フランス】

グランドスラム大会通算優勝7回を誇る1920年代の世界的テニスプレーヤーであり、結核のためにわずか25歳で現役を引退。その後、ポロシャツに代表されるスポーツアパレルブランド、ラコステの創業者として成功を収めた人物。晩年は前立腺ガンを患っていたが、1996年10月12日に心不全で死亡した。没年96歳。

1998年
【鉄道事故】「大月駅列車衝突事故」

1997年10月12日に東日本旅客鉄道中央本線大月駅で発生した特急スーパーあずさ13号(E351系)と回送列車(201系)の列車衝突事故。回送列車はスーパーあずさの通過後に移動するはずであったが、回送列車の運転士が停止現示を見落とし本線へ移動。この時、スーパーあずさは発車時間に遅れが生じていたため、入換中の回送車両がスーパーあずさへ衝突、両車両とも脱線することとなった。この衝突により回送列車の運転士を含む78人が重軽傷を負い、後日、回送列車の運転士は業務上過失傷害などに問われることとなった。

1999年
【急死】ウィルト・チェンバレン(Wilt Chamberlain)【バスケットボール選手/アメリカ合衆国】

216センチという長身を活かしてNBAのフィラデルフィア(1963年からはサンフランシスコ)・ウォリアーズ、フィラデルフィア・76ers、ロサンゼルス・レイカーズと所属したチーム全てで驚異的な活躍を見せ、1962年3月2日には1試合に100点を記録したことでも知られるNBA創生期の伝説的バスケットボール・プレイヤー。得点王7回、リバウンド王11回、アシスト王1回、シーズンMVP4回、ファイナルMVP1回という輝かしい個人成績を残し、引退後の1979年にはバスケットボール殿堂入りを果たした。また、派手な私生活を送った人物としても知られ、その自叙伝で生涯に2万人の女性と関係を持ったと告白している。現役時代から心臓に不安を抱えており、1999年10月12日虹宅で睡眠中に心臓発作で急死。没年63歳。生前彼が付けた背番号13は、3つの所属チームで永久欠番となっている。

2000年
【死去】ミヤコ蝶々【女優・漫才師】

父親の始めた芝居一座で座長を務めるなど幼少期から芸能の道に進み、1942年からは吉本興業に加入。弟子の鈴夫(後の南都雄二)との夫婦漫才コンビ「蝶々・鈴夫改め上方トンボ」でデビューし、人気ラジオ番組『漫才学校』『夫婦善哉』の司会で全国的な人気を獲得。1958年には離婚していたが、その後もコンビとして活動は続け、1973年に南都が死亡してからは女優、タレントとして単身で活躍。舌鋒鋭い辛口のご意見番としてテレビ・ラジオなどで活躍した。晩年まで芸能活動は続けたが、2000年10月12日に慢性腎不全で80歳没。

2002年
【怪死】【夭折】桃井望【AV女優】

2001年にデビューし、ロリータ系AVアイドルとして翌年10月までに200本ものアダルトビデオ作品に出演した人気AV女優。2002年10月12日の夜に長野県塩尻市広丘郷原奈良井川河川敷に停められた自動車内で焼死体となって発見された。没年24歳。車内からは同時に男性の死体も発見されたため、無理心中の線で捜査が進められたが、遺体の刺し傷等、様々な状況証拠から他殺説が浮上した。その後公判では他殺と認定されたものの、現在のところ犯人はわかっていない。

2007年
【死去】黒川紀章【建築家・活動家】

昭和から平成にかけて活躍した国際的な建築家であり、政治活動家。妻は女優の若尾文子。京都大学工学部建築学科で建築学を学び、大学院在学中に「株式会社黒川紀章建築都市設計事務所」を設立。1960年、”建築理論メタボリズム”を提唱し、メタボリズム・グループとして世界デザイン会議に参加。1969年に「株式会社アーバンデザインコンサルタント」と「社会工学研究所」を開設。以後、『中銀カプセルタワービル』(1972年)や日本初のカプセルホテルである『カプセル・イン大阪』(1979年)などを発表。欧州やアジアでも活躍し、1986年には建築界のノーベル賞に値するフランス建築アカデミーのゴールドメダルを受賞。一方、保守の政治活動家としても知られ、2007年には共生新党を立ち上げ、東京都知事選挙、参院選に立候補したが落選。その際の派手なパフォーマンスからバラエティ番組などへ出演が増えることになった。同年10月12日、多臓器不全のため死亡。没年73歳。

2012年
【脅迫事件】「黒子のバスケ脅迫事件」

2012年10月12日から数度にわたり発生した人気漫画『黒子のバスケ』(集英社)の作者・藤巻忠俊および関係者を標的とした脅迫事件。発端は藤巻がかつて在籍していた上智大学四谷キャンパスの体育館に、硫黄臭のする液体の入った容器ともに藤巻を中傷する文書が発見されたことから始まった。