『1900年に出版されたアメリカ版「The Story of Little Black Sambo」の表紙』

1946年10月13日は、『The Story of Little Black Sambo(ちびくろサンボ)』の作者として知られる児童文学作家のヘレン・バンナーマンが死亡した日である。
世界的には“出版禁止”の本として知られる『ちびくろサンボ』であるが、その原作はイギリス陸軍医の夫とインドに滞在していた際に娘たちのために作った物語であり、主人公のサンボはインド人の少年という設定であった。
しかし、著作権意識の薄かった出版当時は、写真のようにサンボを黒人の少年の設定にして各地で出版されることが多くなり、日本でもそれは同様であった。
その典型的な黒人像が、1970年代の黒人たちによる公民権運動の高まりとともに差別的であると標的にされ、『ちびくろサンボ』は発禁本の代表格として語られることになったのである。
作品自体の持つ普遍的な魅力が、大量のコピーを出回らせることに繋がり、その結果《差別》のレッテルを貼られることに繋がったのは、なんとも皮肉な結果である。
しかし、厳密には“発禁”であることはなく、あくまでも出版社による自主規制で発売を自粛していた時期があるというのが実情であった。
現在も母が子に贈った『ちびくろサンボ』は世界中の家庭でその素晴らしさを発揮している作品であるが、その歴史には《不幸》な瞬間があったことも記憶しておくべきだろう。

(写真はWikipedia The Story of Little Black Sambo より使用。)

10月13日の不幸

1946年
【死去】ヘレン・バンナーマン(Helen Bannerman)【児童文学・絵本作家/スコットランド】

イギリス陸軍医の夫とインドに滞在していた際に娘たちのために作った物語『The Story of Little Black Sambo(ちびくろサンボ)』の作者として知られる世界的児童文学作家。1946年10月13日、エジンバラにて血栓症で死亡。没年84歳。

1972年
【航空事故】「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」

モンテビデオ発サンティアゴ行きのウルグアイ空軍機571便(フェアチャイルド FH227型機)が視界不良によりチリのアンデス山中に墜落。乗員乗客45人のうち9人が即死し、3人がその日に死亡した。墜落者の捜索は開始後8日目の10月21日に打ち切られたが、極寒の雪山の中、仲間の遺体の人肉食も辞さないような過酷な環境での生活をくぐり抜け、事故から2カ月以上が経過した12月23日に生存者16人が救出された。

1974年
【死去】エド・サリヴァン(Edward Vincent Sullivan)【記者・司会者/アメリカ合衆国】

タブロイド紙の記者から日曜夜のバラエティ番組『トースト・オブ・ザ・タウン』の司会に転身。その番組が後に『エド・サリヴァン・ショー』として改名、1948年〜1971年まで、エルヴィス・プレスリー、ビートルズ等々、その時々のスーパースターが出演するアメリカを代表するテレビ番組となった。視聴率低下で番組終了後たった3年で食道ガンのため死亡。没年73歳。

1988年
【事故死】【競技中の死亡事故】マイク・ベネツィア(Michael Joseph Venezia)【競馬騎手/アメリカ合衆国】

現役生活25年で2,313勝を挙げたニューヨーク出身のジョッキー。1974年には日本の競馬界でも活躍。引退を考えていた矢先の1988年10月13日に行なわれたベルモント競馬場の第5レースで落馬し、後続の馬に頭部を蹴られて死亡した。没年43歳。

1992年
【事故死】 太地喜和子【女優】

高校生の頃に東映ニューフェイスに合格し女優デビュー。卒業後、文学座に入団し、1968年の新藤兼人監督作品『藪の中の黒猫』で一躍スターに。舞台、映画、テレビドラマとあらゆるジャンルで活躍する本格的な女優として活躍、同じく文学座のスターである”杉村春子の後継者”と言われた。静岡県伊東市で舞台『唐人お吉』を公演している期間中に、1992年10月13日深夜2時頃、自動車での走行中に桟橋から海に転落。同乗者2名は泳いで一命をとりとめたが、大量に飲酒をしていた太地は溺死した。没年48歳。

2000年
【夭折】藤井将雄【プロ野球選手】

地元福岡生まれの、福岡ダイエーホークスの右腕投手。ホークスが福岡移転後初のリーグ優勝を遂げた1999年には中継ぎ投手として26ホールドを記録して最多ホールドを獲得。日本シリーズ直前の身体検査で余命3カ月の末期肺ガンであることが判明(本人には告知されず)。シリーズ後入院し、翌年は退院して2軍で投球するまでに回復したが、2000年にチームが2連覇を見届けた後に死去。没年31歳であった。

2006年
【競技中事故死】橋本和美【オートレース選手】

川口オートレース場所属の26期生。通算勝利数126勝、通算優勝回数3回と将来を嘱望されるレーサーであったが、2006年10月13日開催の平成18年度埼玉県営第2回第2節初日のレース前のスタート練習で落車、後続の阿部剛士に激突されて頸椎損傷で死亡した。没年27歳。

2013年
【死去】やなせたかし【漫画家】高知新聞編集部、三越宣伝部を経てマンガの道に。1969年に発表した絵本『アンパンマン』が1988年に『それいけ! アンパンマン』としてアニメ化して大ヒット。死亡する直前まで活動を続けたが、心不全で93歳没。