『1973年のカッザーフィー(写真左)と、反カダフィ勢力に捕らえられ連行されるカッザーフィー』

2011年10月20日は、リビアの革命最高指導者“カダフィ大佐”ことムアンマル・アル=カッザーフィーが、反カッザーフィー勢力の群衆に捕らえられ、リンチのような状態で殺された日である。
1969年のリビア革命によって政権を掌握し、長期間にわたり独裁政権を推し進めたリビアのカリスマ的指導者であったが、2011年の「リビア内戦」によって独裁政権は崩壊し、カッザーフィー自身も命からがらの逃走生活を余儀なくされていた。
カッザーフィーが最期に籠もったシルトも、反カッザーフィー勢力のリビア国民評議会によって陥落し、そこへNATO軍による空爆が重なり、遂には身柄を拘束された。
そして衝撃であったのは、そこから移送される最中にリンチされ、血まみれで殺害されてゆくカッザーフィーの姿が、独裁者を捕らえ怪気炎を上げる兵士たちの携帯電話等で全世界に配信されたことである。
一介の民兵たちによる独裁者への私刑、それは時代が大きく変わってゆくことを伝えるには、あまりに“伝わりすぎる”ショッキングな映像であった。
そしてその反米勢力の最後の砦ともいえた“大佐”のむごたらしい死は、広く世界に報じられた。
それは、彼の築いてきたものを一瞬で消し去るほどの、“社会的な殺人”だったともいえるだろう。

(写真はWikipedia Muammar Gaddafiより使用)

10月20日の不幸

1964年
【死去】ハーバート・フーヴァー(Herbert Clark Hoover)【政治家・鉱山技師/アメリカ合衆国】

鉱山技師としてオーストラリア、中国などを渡り歩き、共和党員となり政治家に転身。商務長官を経て1929年3月4日に第31代アメリカ合衆国大統領に就任。同年10月から始まる世界恐慌への対策も功を奏せず、1932年の大統領戦でフランクリン・ルーズベルトに記録的惨敗を喫し、翌年政治家として引退をした。なお、大統領在任中に『The Star-Spangled Banner』をアメリカ国家に採用した人物としても知られている。おびただしい内出血で90歳没。

1967年
【死去】吉田茂【政治家・官僚】

戦前は外務官、外務次官として活躍し、終戦直後に組閣された東久邇宮内閣で外務大臣に就任。翌年5月の日本自由党総裁・鳩山一郎の公職追放を受けて後任の同党総裁に就任。同年5月22日に第45代内閣総理大臣にも就任した政治家。その後も第48代から第51代まで総理大臣を務め、5期にわたる総理大臣を経験した唯一の人物となった。1951年にアメリカとの「サンフランシスコ平和条約」を締結した総理として知られている。1967年8月に心筋梗塞を患い、10月20日に89歳没。死後の10月31日に日本武道館で戦後唯一の国葬が行なわれた。

1978年
【夭折】グンナー・ニルソン(Gunner Nilsson)【レーシングドライバー/スウェーデン】

無線技士としてスウェーデン海軍で務めた後の1972年にドイツでレーシングドライバーに。1975年にはイギリスのF3チャンピオンとなり、1976年のF1第2戦南アフリカGPでチーム・ロータスからF1デビュー。同年の第4戦スペインGPで3位入賞を果たした。翌1977年の第7戦ベルギーGPで初優勝し、将来を嘱望されたが、シーズン後に精巣ガンが発覚。翌年にアロウズと契約を結ぶも、病状悪化で参戦することもなく、シーズン終了直後の10月20日に29歳没。

1982年
【群衆事故】「ルジニキの惨事」

1982年10月20日、ソビエト時代のモスクワ・セントラル・レーニン・スタジアムでサッカーのUEFAカップが開催。ゲーム終盤に地元のサッカークラブ・スパルタクが得点したことで、帰ろうとしていた客と歓声を聞きつけ戻ろうとする客が交差し、大規模な将棋倒しが発生した。事故当時、ソビエト政府は死者を66人と発表していたが、1989年に政府スポーツ委員会から発行された新聞『ソビエトスポーツ』では340人以上が死亡したと報じられている。

1993年
【社会事件】「新右翼「風の会」代表・野村秋介拳銃自殺」

1993年10月20日、東京都中央区の朝日新聞東京本社に新右翼「風の会」代表・野村秋介が乱入。きっかけは、1992年の参議院議員通常選挙に野村が「たたかう国民連合・風の会」から立候補した際に、『週刊朝日』が山藤章二の風刺イラストコーナー「ブラック・アングル」内で「風の会」を「虱(しらみ)の党」と揶揄したことであった。野村は同社の社長室で当時の社長・中江利忠に対し、抗議と謝罪を求め話し合いを行なった後、「皇尊弥栄」と三唱し拳銃自殺した。

1993年
【社会事件】「皇后美智子失声症」

1993年10月20日、皇后美智子が、『週刊文春』などの週刊誌に掲載された批判記事による心労が元となり赤坂御所で倒れ、失声症へ。10月20日は皇后本人の誕生日でもある。

1994年
【死去】バート・ランカスター(Burt Lancaster)【俳優・映画プロデューサー/アメリカ合衆国】

1946年の映画『殺人者』でデビュー以降、1957年の映画『OK牧場の決斗』の主演など、数多くの人気作品で活躍した20世紀のアメリカ映画界を代表する大俳優。1960年の映画『Elmer Gantry(エルマー・ガントリー 魅せられた男)』ではアカデミー主演男優賞受賞した。1980年、1981年に心臓発作を起こし、その後は仕事を減らしたが1989年のヒット映画『フィールド・オブ・ドリームス』では印象的な出演をみせた。1994年10月20日に心臓麻痺で80歳没。

2006年
【死亡】藤岡琢也【俳優】

関西学院大学文学部を病気のため中退後、1957年に劇団「葦」へ加入し俳優に。森繁久彌主演のテレビドラマシリーズ『おやじのヒゲ』のレギュラーとして活躍し、その後1990年より開始した人気テレビドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の父親役で人気を博した。また、35年間という長年にわたり出演し続けた『サッポロ一番味噌ラーメン』のテレビCMでもお茶の間の顔として知られた。2006年2月21日に肺炎のため『渡る世間は鬼ばかり』を降板(後任は宇津井健)。そのまま同年の10月20日に慢性腎不全で76歳没。同月24日に増上寺で行なわれた葬儀では、弔辞を『渡る世間は鬼ばかり』で共演した泉ピン子が読み上げた。

2011年
【暗殺】ムアンマル・アル=カッザーフィー(Muammar Gaddafi)【政治家・革命家・軍人/リビア】

リビア革命指導者・リビア首相。1969年のリビア革命によって政権を掌握し、長期間にわたり独裁政権を推し進めたカリスマ的指導者であったが、2011年の「リビア内戦」によって独裁政権は崩壊し、カッザーフィー自身も命からがらの逃走生活を余儀なくされ、立て籠もったシルトもリビア国民評議会によって陥落。NATO軍による空爆も重なり、身柄を拘束され、移送中に兵士たちに撲殺された。没年推定71歳。

2016年
【死去】平尾誠二【ラグビー選手・指導者】

現役時代は"ミスターラグビー"と呼ばれる日本代表選手と神戸製鋼の中心選手であり、引退後も日本代表監督、神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督として日本のラグビー界を牽引した人物。同志社大学時代の1982年には史上最年少(19歳4カ月)で日本代表に選出され、同大学ラグビー部の史上初となる大学選手権3連覇に貢献するなど、早くからその才能を開花させた。神戸製鋼コベルコスティーラーズGM在任中の2016年10月20日午前7時16分、京都市内の病院で胆管細胞ガンにより死亡。没年53歳。

2016年
【急死】小路啓之【漫画家】

1997年に『殺しのライセンス』がちばてつや賞準大賞となりデビュー。その後『イハーブの生活』『かげふみさん』『来世であいましょう』『ごっこ』『犯罪王ポポネポ』などの作品を発表し続けたが、2016年10月20日に「和歌山にサイクリングに行く」と言い、リカンベント型自転車で奈良県御所市城山台の国道24号を運転中に心筋梗塞を起こしその傍らの歩道で顔面から流血して倒れているところを発見され、その1時間後に死亡。没年46歳。当時連載中の『雑草家族』『10歳かあさん』が絶筆となった。