『ポール・セザンヌ作「La Maison du pendu, à Auvers(オーヴェルの首吊り館)」』(1872年頃の作品)

1906年10月22日は、19世紀のフランスを代表する画家、ポール・セザンヌが死亡した日である。
当初は印象派の正統的作家と見なされていたが、独特の実験的な画風を取り入れ、ポスト印象派、そして20世紀近代美術の祖とも言われる新境地を開拓した人物として知られている。
その印象派からの脱却を図る記念碑的作品として知られるのが1972年〜1973年頃に制作されたこの『La Maison du pendu, à Auvers(オーヴェルの首吊り館)』である。
オーヴェルとはパリ北部にある小さな村、オーヴェル=シュル=オワーズのことであり、その地にはカミーユ・ピサロや、ファン・ゴッホを始めとして多くの芸術家たちが居を構えたことでも知られ、セザンヌも1970年頃からアトリエを構えていた。
明るいタッチの風景画でありながら、入り組んだ坂道や木に邪魔されるようにして並んだ閉塞感のある家など、明らかにそれまでの作品とは一線を画した不思議な作品である。
さらに加えて不思議なのが、この作品タイトル、“首吊り館”である。
この作品は1874年にモネやドガらによって開催されたグループ展に出品された作品であるが、そのタイトルの理由は、現在に至るまで明らかにされていない(ちなみにゴッホがオーヴェルで死亡したのは1890年のことであり、死因は銃弾によるもの)。
一説に拠れば「単にその屋敷が“首吊り館”と呼ばれていた」という理由も挙げられているが、この構図と当時のセザンヌの意欲的な発言を考えると、より過激で不吉な何かを想像してしまうというものだ。
もはやセザンヌの代表作=クラシックとして今もオルセー美術館に収蔵されているこの作品であるが、その偉大なミステリーは未だ生き続けている。

(画像はWikipedia Paul Cézanneより使用。Public Domain)

10月22日の不幸

1880年
【自殺】【夭折】アルフォンス・ペノー(Alphonse Pénaud)【航空設計士・エンジニア/フランス】

"近代航空工学の創始者"と言われ、イギリスのジョージ・ケイリー卿と並び評される19世紀フランスの航空設計士およびエンジニア。1870年代にゴムを動力とした模型飛行機プラノフォア(Planaphore)や捻じったゴムを動力としたヘリコプターを設計。こうしたペノーの設計は後のライト兄弟に影響を与えている。1880年10月22日、制作活動を続けるも金銭的支援を得ることができず、貧困と生来の坐骨疾患を苦にして自殺。没年30歳。

1906年
【死去】ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)【画家/フランス】

19世紀のフランスを代表する画家であり、当初は印象派の正統的作家と見なされていたが、独特の実験的な画風を取り入れ、ポスト印象派に属する作家と目されている人物。キュビズムへの影響など、後世の作家への影響力は絶大であり、"近代美術の父"とも言われている。その実力は同世代の誰もが認めるところであったと言われているが、晩年まで商業的成功を収めることは敵わず、晩年まで創作活動を続け、その大作家としての評価が確立したのはその死後であった。1906年10月15日に野外制作を行なっていたところ大雨に見舞われ体調が悪化、肺炎から肺充血を発症し同月22日に死亡した。没年67歳。なお、死亡届には23日と記載されている。

1937年
【夭折】【自殺】中原中也【詩人・翻訳家】

日本のダダイズムを代表する詩人。代表作に詩集『山羊の歌』『在りし日の歌』、訳詩『ランボオ詩集』等。生前から詩人としての評価は高く、ランボーをはじめとしたフランス文学の代表的訳者でありながら、ほとんど原稿料を得られるような仕事はなく、その生涯を通じて実家からの仕送りに頼りながらの生活を送った。 私生活では2歳の長男・文也が夭折したことから幻覚まで見るような精神状況になり、入院療養をするなかでの苦悩を『春日狂想』の冒頭で 「愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません。」とその無念を綴った。その後もは痛風や視覚障害、歩行障害を患い、1937年10月22日に急性脳膜炎で死亡。没年30歳。

1991年
【死去】春日八郎【歌手】

『赤いランプの終列車』『お富さん』等の爆発的ヒットで終戦直後の歌謡界を牽引したスター演歌歌手。通算1,000曲以上をレコーディングし、晩年に至るまで長きにわたり活動を続けた。1991年6月に左脚大腿部の腫瘍の摘出手術を受け、その後回復し9月6日の「キングレコード60周年コンサート」に出演したものの、この日を最期にステージに立つことはなかった。その後再入院し、1991年10月22日に肝硬変と心肺不全で67歳没。

2005年
【死去】アルマン(Armand Pierre Fernandez)【現代美術家・彫刻家/フランス・アメリカ合衆国】

スタンプ絵画、廃棄物を拾集した作品、破壊したもので作った彫刻などで知られる20世紀フランスの現代美術家および彫刻家。美術学校を退学し、1949年からパリで活動を開始。1954年、ダダイズムの作家クルト・シュヴィッタースの廃物を集めた作品から影響を受け、スタンプ絵画の制作を開始。1956年、パリで初の個展を開催。1959年から日用品や廃棄物を拾集した作品や破壊したもので作った彫刻を発表し、ヨーロッパで注目を集める。1960年、ヌーヴォー・レアリスムへ参加、翌年、ニューヨーク近代美術館に出展しネオダダへも傾倒していくことに。1982年、コンクリートの塔に60台の車を埋め込んだ彫刻『Long Term Parking』、1995年にはレバノン政府の依頼を受け、ベイルート市街に83台の戦車・軍用車両を積み重ねた彫刻『Hope for Peace』を発表している。2005年10月22日、ガンにより死去。没年76歳。

2006年
【死去】崔圭夏(Choe Gyu-ha)【政治家/大韓民国】

大韓民国の政治家で第10代大韓民国大統領(1979年〜1980年)となった人物。1945年、京城師範大学教授を経て、1951年から外務部通商局長、外務次官などを歴任。1971年、外交担当特別補佐官へ就任し、1975年に国務総理へ。1979年10月に大統領であった朴正煕が暗殺され大統領権限代行となった後の同年12月に第10代大統領へ就任した。大統領退任後は、国政諮問会議議長、民族史是正国民会議議長などに就任し、2006年10月22日、うっ血性心不全により死亡した。没年87歳。

2006年
【死去】ばってん荒川【タレント・歌手・俳優】

18歳で熊本の郷土芸能である「肥後にわか」の劇団「ばってん組」に入団し、10代の頃から"お米ばあさん"なる老婆キャラクターで人気を博し、以降、九州地区のみで活躍するローカルタレントとして晩年まで活動を続けた人物。また『火の国一代』等のヒット曲を持つ歌手としてもしれられている。2006年3月より持病の糖尿病の治療に専念するために芸能活動を休止。その後もたびたびレギュラー番組に出演することはあったものの、同年10月22日に死亡。死因は膀胱ガンによる心不全であった。没年69歳。

2016年
【急死】平幹二朗【俳優】

俳優座からデビューし、テレビドラマ『三匹の侍』で人気俳優に。その後は劇団四季を始めとした舞台での人気作品で主演を続け、『ハムレット』『マクベス』『リア王』等、多くの代表作を残した。その一方でテレビドラマ、映画への出演も続け、日本を代表する二枚目俳優として晩年まで活躍を続け、その長年の功績から1998年に紫綬褒章、2005年に旭日小綬章を受章した。2016年10月23日に自宅の浴槽の中で倒れているところを、息子で俳優の平岳大が発見。その後死亡が確認された。没年82歳。警察の捜査により事件性がないことが発表され、遺族の意向により死因は不明、死亡日は前日の22日と発表された。