『キング牧師と写るローザ・パークス』

2005年10月24日は、1950年代に発生したアメリカの黒人公民権運動の象徴的存在、ローザ・パークスが死亡した日である。
彼女の存在は1951年12月1日に起きた“小さな戦い”、「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」で後世に名を残すことになる。
当時アラバマ州モンゴメリーの百貨店に勤務していた42歳の女性、ローザは仕事帰りのバスで、黒人席(有色人種席)の最前列に座っていた。
当時アメリカの南部では、「ジム・クロウ法(Jim Crow laws)」なる人種分離法が施行されていたため、バスの中でもその座席は人種間で明確に区別されていたのだった。
そして、その法律は白人優先の思想に基づいており、バスが白人で混雑した場合は、運転手の判断で後方にあった黒人席を最前列から一列減らすことができるというものであった。
この日も白人のためにその措置がとられていたのだが、席を立った他の3人の黒人とは違い、ローザだけはその席を立つことはなかった。
それは運転手のジェイムズ・ブレイクが警察に通報をすると警告しても変わることはなく、ローザはそのまま逮捕されたのである。
このニュースは瞬く間にアメリカ全土を駆け巡り、そこに反応した活動家のエドガー・ニクソンはマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師らとともに、黒人たちによるバス乗車のボイコット運動を呼びかけた。
するると、多くの市民がこれに応じ、モンゴメリーのバスは財政破綻寸前の事態にまで追い込まれ、1956年11月13日、アメリカの連邦最高裁判所はモンゴメリーの人種隔離政策に違憲判決を下したのであった。
後年、勤務の疲れで立たなかったのではないかと訊ねられたローザは、「The only tired I was, was tired of giving in.(唯一の疲れは、降参することだけだった)」と語った。
たったひとりの女性の威厳が、世界を変えることに繋がったのである。
なお、1972年のこの日は、人種差別が存在していた創成期のメジャーリーグで“アフリカ系黒人初のメジャーリーガー”として活躍したプロ野球選手、ジャッキー・ロビンソンが死亡した日でもある。
10月24日を、《アメリカでの人種差別と格闘した黒人の記念日》として記憶するのもよいだろう。

(写真はWikipedia Rosa Parksより。Public Domain)

10月24日の不幸

1886年
【国際事件】【社会事件】「ノルマントン号事件」

1886年10月24日、イギリスの貨物船ノルマントン号が紀州沖で座礁沈没。このとき、ジョン・ウイリアム・ドレーク船長およびイギリス・ドイツ人の乗組員26人は救命ボートで全員脱出。しかし、乗船していた日本人乗客はボートにひとりもおらず、日本人乗客25人全員を見殺しにした疑いでドレークの責任が問われるも、イギリス側は船長以下全員を無罪判決へ。このことにより、不平等条約による領事裁判権および人種差別問題に対する反発が日本国内で起こることとなった。

1944年
【死去】ルイ・ルノー(Louis Renault)【実業家・技術者/フランス】

フランスの実業家で自動車産業創成期のパイオニアのひとりといわれ、ルノー社の創業者としても知られる人物。幼い頃より工学や力学に興味を持ち、1898年に自身でエンジンなどを改造した車『ヴォワチュレット』を開発。1899年にルノー兄弟社を創設。油圧ショックアブソーバー、ターボチャージャーといった装置を発明。「第一次世界大戦」時には戦車『ルノーFT-17』などを開発し、レジオンドヌール勲章を授与された。しかし、「第二次世界大戦」が勃発するとナチス・ドイツにフランスが占領されたため、ルノー社は接収。1942年に失語症を患い、大戦後の1944年9月にはナチス・ドイツとの産業利敵協力により逮捕され、同年10月24日に死去。没年67歳。死因は刑務所内での虐待、または重度の尿毒症を患っていたことが原因ではないかといわれている。

1945年
【銃殺刑】ヴィドクン・クヴィスリング(Vidkun Abraham Lauritz Jonsson Quisling)【軍人・政治家/ノルウェー】

ノルウェーの軍人および政治家で「第二次世界大戦」時にナチスによるノルウェー占領に協力し、クヴィスリング政権を樹立させたことで、「売国奴」の代名詞として辞書に記載されている人物。ノルウェー軍の軍人を経て、1931年に国防相として入閣。1933年、国民連合を創設し、ファシズムへと傾倒。その中でナチスの思想家アルフレート・ローゼンベルクへ共感。1939年にアドルフ・ヒトラーとの会見を行ない、翌年、ナチスによるノルウェー侵攻を手引きし、クヴィスリング政権を樹立したが、1945年に連合国軍により逮捕され、同年10月24日に国家反逆罪により銃殺刑となった。没年58歳。

1945年
【処刑】クルト・ダリューゲ(Kurt Max Franz Daluege)【軍人・政治家/ドイツ】

ナチス党の秩序警察(OrPo)初代長官、親衛隊上級大将(SS-Oberstgruppenführer)などを務めた軍人および政治家。1916年、プロイセン王国軍に入隊し「第一次世界大戦」へ従軍。1922年にナチス党へ入党し、突撃隊(SA)の偽装組織「フロントバン」に参加。1926年、再び編成された突撃隊(SA)部隊のベルリン指導者へ就任。1929年から親衛隊(SS)部隊の指揮を取り、1932年に国会議員に当選。その後、親衛隊上級大佐、秩序警察長官などに就任し「第二次世界大戦」勃発後は親衛隊上級大将へ。大戦後、1945年5月にイギリス軍に逮捕され、同年10月23日に死刑判決を受け、翌日の同月24日に死刑執行となった。没年49歳。

1950年
【轢死】【交通事故死】ピストン堀口【プロボクサー】昭和初期の日本ボクシング界を代表する人気ボクサー。日本フェザー級、東洋フェザー級、日本ミドル級の元チャンピオン。ロープに追い詰めて左右の連打を繰り出す”ピストン戦法”で知られる。通算176戦138勝82KO24敗14分け。兄弟4人全員がボクサーであった。引退後はボクシングに携わりながら探偵業等もこなしていたが、1950年10月24日の深夜に泥酔して終電を逃して線路脇を歩いていたところを列車に撥ねられ死亡。没年36歳。
1957年
【死去】クリスチャン・ディオール(Christian Dior)【ファッション・デザイナー・実業家/フランス】

“オートクチュールの帝王”としてパリのファッション界を牽引し、自身のブランド「クリスチャン・ディオール」を世界的なブランドにしたフランスを代表するファッションデザイナー。イタリアのモンテカティーニ・テルメでの休暇中に心臓発作で急死。原因は魚の骨を喉に詰まらせたとも、旺盛な性生活にあるとも噂されたが、真相は不明。没年52歳。自身のブランドの後任デザイナーはイヴ・サン=ローラン。

1960年
【爆発事故】【軍事事故】「ニェジェーリンの大惨事」

1960年10月24日、カザフスタンにある当時ソビエト連邦の管轄下であったバイコヌール宇宙基地で大陸間弾道ミサイルR-16の試験打上げ中に発生した爆発事故。発射台でミサイルが誤って大爆発がしたため、準備を行なっていた軍人・技術者をはじめ、一般人も巻き込んで推定150人以上が死亡する事故となった。この爆発で初代ソ連戦略ロケット軍総司令官ミトロファン・ニェジェーリン砲兵総元帥が死亡したため、事件にはニェジェーリンの名が使われることとなった。

1972年
【死去】ジャッキー・ロビンソン(Jackie Robinson)【野球選手/アメリカ合衆国】

“カラーライン”なる、曖昧だが厳然たる人種差別が存在していた創成期のメジャーリーグで活躍した”アフリカ系黒人初のメジャーリーガー”といわれている伝説的なプロ野球選手。1947年4月15日にブルックリン・ドジャースの1塁手としてメジャーデビュー。いきなり新人王に輝く活躍を見せ、その後は、リーグMVP1回、首位打者1回、盗塁王2回、6度のオールスターゲーム出場と、文句のないスーパースターといえる成績を残した。引退後はテレビ解説者、実業家として活躍したが、生来の糖尿病により晩年は右目を失明、歩行困難になるなどの合併症に苦しみ死亡。没年53歳。死後の2004年、メジャーリーグは彼のデビューした4月15日を「ジャッキー・ロビンソン・デー」に制定し、彼の背番号42を、希望するプレイヤー全員で身に着けるということを行なっている。

1991年
【死去】ジーン・ロッデンベリー(Gene Roddenberry)【テレビ・映画プロデューサー/アメリカ合衆国】

アメリカの超人気SFシリーズ『スタートレック』シリーズの生みの親。1966年のテレビドラマ版『宇宙大作戦』では脚本、監督を務め、映画化されてさらに巨大化してゆく同作の映画版6作目『スタートレックVI 未知の世界』の制作中に心肺停止し、運ばれた診療所で死亡した。没年70歳。死後は本人の希望で宇宙葬が行なわれた。

2003年
【営業終了】「コンコルド全機引退」

2003年10月24日、ブリティッシュ・エアウェイズが運用していた超音速旅客機「コンコルド」による営業飛行を終了。2000年に墜落事故を起こし、翌年から営業を再開していたが、老朽化と維持費の問題から「コンコルド」は全機引退となった。最終フライトはニューヨーク・ジョンFケネディー空港からロンドン・ヒースロウ空港である。

2005年
【死去】ローザ・パークス(Rosa “Lee” Louise McCauley Parks)【活動家・教育者/アメリカ合衆国】

1955年12月1日に発生し黒人公民権運動のきっかけとなった「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」において白人のためにバスの席を譲らなかったことで逮捕された女性であり、事件後のキング牧師らとの活動で”the mother of the freedom movement(自由運動の母)”として知られる米国公民権運動活動家。1987年に「ローザ・レイモンド・パークス自己開発教育センターを設立し人権教育に努めた。2005年10月24日に92歳没。

2007年
【死去】内藤ルネ【イラストレーター・デザイナー】

1950年代半ばから活躍したイラストレーターおよびデザイナー。中原淳一に影響を受け、1951年に中原の出版社であるひまわり社に入社。雑誌『ひまわり』などの挿絵を「内藤瑠根」名義で描く。1960年代から『少女クラブ』(講談社)、『りぼん』(集英社)といった少女雑誌のイラストのほか、インテリア雑貨などのデザインも手がける。同時期に「瑠根」を「ルネ」に改名し、1970年代にはゲイ雑誌『薔薇族』の表紙を担当。1990年代に美術館を計画した詐欺に遭い財産のほとんどを失うも、2001年に内藤ルネ人形美術館を静岡県にオープン。翌年に回顧展『内藤ルネ展 〜ミラクル・ラヴリー・ランド〜』を開催し、著書が復刻されるなど再び注目されることとなった。2005年、自伝『内藤ルネ自伝すべてを失くして』を出版。自伝の中で、同性愛者であることを告白した。2007年10月24日、急性心不全により死去。没年74歳。

2011年
【死去】北杜夫【小説家】

1960年代から活躍した小説家。父は歌人で医師の斎藤茂吉、娘はエッセイストの斎藤由香。医学部在学中から小説を書き始め、卒業後は精神科医を務める傍ら、同人雑誌『文藝首都』に参加。1954年に小説『幽霊-或る幼年と青春の物語』を自費出版。1958年に水産庁の漁業調査船「照洋丸」に船医として乗船し、この経験を元に書かれた旅行記的エッセイ『どくとるマンボウ航海記』がベストセラーへ。作家として注目され、1960年に小説『夜と霧の隅で』で芥川龍之介賞を受賞。以降、人気作家となった。しかし、1976年、壮年期から患っていた躁鬱病により自己破産と準禁治産宣告を受けることに。作家活動として活動中の2011年10月24日、体調を崩し病院で死去。没年84歳。

2014年
【交通事故死】ムブイレニ・ムラウジ(Mbulaeni Mulaudzi)【陸上選手/南アフリカ】2004年アテネオリンピック男子800mで準優勝した南アフリカの国民的英雄であった陸上選手。2013年に引退後、南アフリカでの陸上大会へ向かう途中の自動車移動中に交通事故死。没年34歳。