『1946年の原口統三』

1946年10月25日は、当時第一高等学校3年の学生であった原口統三が、『二十歳のエチュード』を書き遺して逗子海岸で入水自殺をした日である。
京城(現ソウル)に生まれ、その後も旧満州国内を転々としていた流浪の幼少期を過ごし、ランボーに激しく感化された原口は、同じ学校に通っていた後に詩人となる清岡卓行、後にフランス文学者となる橋本一明に影響を与えるような強烈な文学的才能を持っていたが、ほとんど誰とも交わらない学生であったという。
そして、若くして《死》にとらわれた原口は、1946年の10月2日に自殺未遂事件を起こし、その同月の25日に改めて逗子の海岸で入水自殺をしている。
そんな原口が、同級生の橋本に託した遺作『二十歳のエチュード』は、自死の前日の24日から当日にわたって記されたものである。
ランボーの教えに傾倒しながらも、古今の著名人から自らの親友たちまでを引用し、明快に自らの死を定義してゆくこの作品は、とても死にゆく19歳の若者の手によるものとは思えぬほど強固な人生観を表現しきっており、1948年に橋本の編集により出版されて以来、多くの読者たちを魅了してきた。

「原口は人生に最初から失恋して生まれて来たような男だったよ」(原口統三著『二十歳のエチュード』より)

そして19歳の詩人は、その絶望を笑って海に沈んだ。
我々に人生の長さ、そして《死》というものを考えるに十分なヒントを残して——。

(写真はWikipedia 原口統三より。Public Domain)

10月25日の不幸

1945年
【自殺】【獄中死】ロベルト・ライ(Robert Ley)【政治家/ドイツ】

ナチス党の政治家で初代ドイツ労働戦線全国指導者および第2代組織全国指導者となった人物。1924年にナチス党に入党し、ラインラント大管区指導者、組織全国指導者などを歴任。1933年、自らドイツ労働戦線(DAF)を発足し、その全国指導者へ就任。1945年の「第二次世界大戦」終戦間近に義勇軍の司令官となるも、同年5月にアメリカ軍により逮捕され、同年10月25日に独房内で首吊り自殺をした。没年55歳。

1946年
【自殺】原口統三【詩人】京城(現ソウル)に生まれ、旧満州国内を転々としていた流浪の幼少期を過ごし、ランボーに激しく感化された原口は、同じ学校に通っていた詩人の清岡卓行、フランス文学者の橋本一明に影響を与えるような強烈な文学的才能を持っていたが、やがて死にとらわれた原口は1946年の10月2日に自殺未遂事件を起こし、その同月の25日に改めて逗子の海岸で入水自殺した。その自殺直前に同級生の橋本一明に託した遺作『二十歳のエチュード』1948年に橋本の編集により出版されて以来、多くの読者を魅了した。没年19歳。
1955年
【原爆症】【夭折】佐々木禎子【市民】

広島平和記念公園内にある『原爆の子の像』のモデルとして知られる被爆者。1945年8月6日、広島市に落とされた原子爆弾により2歳で被爆。1954年11月頃から原爆症による亜急性リンパ腺白血病を発症し、1955年2月に入院。同年10月25日、原爆症により死亡した。没年12歳。入院生活中に折った1,000羽以上の折鶴は、像のモチーフとして使われている。

1956年
【死去】リスト・リュティ(Risto Heikki Ryti)【政治家/フィンランド】

「第二次世界大戦」中に第23代フィンランド共和国首相(1939年〜1940年)および第5代フィンランド共和国大統領(1940年〜1944年)となった人物。弁護士を経て、1919年に国民進歩党の国会議員に選出。法務委員会、財務委員会の委員長を歴任し、1921年に財務大臣、1924年にはフィンランド銀行総裁へ就任した。その後、「第二次世界大戦」の「冬戦争」勃発時である1939年に、第23代フィンランド共和国首相へ就任。翌年、第5代フィンランド共和国大統領となった。1940年、対ソ連のためリュティはナチス・ドイツと密約を結び、1944年に同国からの軍事援助を成立させた後に大統領を辞職。戦後はナチス・ドイツに加担した戦争犯罪人として禁錮10年の判決を受けたが、健康上の理由から1949年に釈放された。以後、政界に復帰することなく1956年10月25日、病により死去。死に際しては自ら汚名を負いフィンランドを救国した人物として国葬が行なわれている。没年67歳。

1968年
【死去】村岡花子【翻訳家・児童文学者】

大正から昭和にかけて活躍したクリスチャンの翻訳家および児童文学者。東洋英和女学校在学中に同級生で後に「白蓮事件」を起こす”大正三美人”のひとり柳原白蓮の紹介で歌人・佐佐木信綱の「竹柏会」へ参加。この頃、安中花子の名義で童話を執筆。1835年に刊行された森鴎外翻訳の『即興詩人』に影響を受け、翻訳家を目指す。卒業後は英語教師として働きながら、1915年に歌集『さくら貝』を発表。翌年から少女雑誌『少女画報』に童話や小説を執筆し、1917年に訳書『爐邉(ろへん)』を出版。その後、キリスト教図書出版社である日本基督教興文教会へ入社。1926年から英語児童文学の翻訳家として活動をはじめ、『王子と乞食』『ジャックと豆の木』『フランダースの犬』『赤毛のアン』など多くの翻訳を手がける。また、1932年からラジオ番組『子供の時間』の『コドモ新聞』コーナーに出演し”ラジオのおばさん”として人気を博した。晩年はキリスト教文化協会婦人部委員や公明選挙連盟理事などを歴任し、1968年10月25日、脳血栓により死去。没年75歳。

1973年
【死去】アベベ・ビキラ(Abebe Bikila)【マラソン選手/エチオピア】1960年のローマ、1964年の東京という2つのオリンピックのマラソン競技において連続で優勝を収めたエチオピアの伝説的なマラソンランナー。ローマオリンピックで靴が壊れたために裸足で走り、当時の世界最高記録2時間15分16秒2という驚異的な記録で優勝した。1968年のメキシコ大会では途中棄権。その半年後の1969年に起こした自動車事故で下半身不随になり(陰謀説あり)、1973年10月25日で脳出血で死亡。没年41歳。
1976年
【死去】レーモン・クノー(Raymond Queneau)【編集者・小説家・翻訳家/フランス】

20世紀フランスのシュルレアリスト作家のひとり。1932年に処女作『Le Chiendent(はまむぎ)』を発表。同作品は文壇から支持は得なかったが、ジョルジュ・バタイユ、ミシェル・レリスなどから支持され、カフェ『ドゥ・マゴ』でクノーのための文学賞が新設された(後のドゥ・マゴ賞)。その後、フランスの出版社ガリマール社で働きながら、『文体練習』(1947年)、『地下鉄のザジ』(1959年)などの小説を発表。『地下鉄のザジ』発表後は作家として注目されることとなった。その後も編集者、小説家、翻訳家として活動しながら、1976年10月25日に肺ガンのため死去。没年73歳。

1985年
【詐欺事件】「むつ市5億円強奪事件」

1985年10月25日、青森県むつ市で当時自営業をしていた被害者3人に架空の融資話を持ちかけ、呼び出した後に3人を監禁。預金通帳と印鑑を奪った後、計4億8,000万円を神戸市の銀行に振り込むといった詐欺事件が発生。その後、主犯の三木(旧姓・篠原)誠を含む犯行グループ7人が逮捕され、三木には懲役11年の刑が科された。

1993年
【死去】ヴィンセント・プライス(Vincent Leonard Price, Jr.)【俳優/アメリカ合衆国】

「第二次世界大戦」後に活躍したアメリカの俳優で、主にホラー映画で知られ、イギリスのピーター・カッシング、クリストファー・リーと並び”三大怪奇スター”称される人物。祖父はベーキングパウダーの発明者、父は製菓会社の社長という裕福な家に産まれ、イェール大学で美術史・芸術を学ぶ。1935年に舞台デビューし、1938年には映画デビュー。1950年代からホラー映画に多く出演するようになり、1953年のカラー3D映画リメイク版『肉の蝋人形』がヒット。その後も『ハエ男の恐怖』(1958年)、『ハエ男の逆襲』(1959年)などで人気を集め、『アッシャー家の惨劇』(1960年)でホラー映画界での地位を確立。晩年もホラー映画に出演し続け、1983年にはマイケル・ジャクソンの『スリラー』で曲中のナレーションも務めた。実写映画では『シザーハンズ』(1990年)が遺作となり、1993年10月25日、肺ガンのため死去。没年82歳。

1993年
【クーデター】【戦争】「パスカル・リスバ大統領追放事件(コンゴ共和国内戦)」

1997年10月25日、コンゴ共和国で、軍人および政治家のドニ・サスヌゲソがパスカル・リスバ大統領を追放し政権を掌握し、自ら大統領に就任。事件のきっかけは1993年に行なわれた選挙に不正があったとしてリスバ派とサスヌゲソ派の対立が激化し内戦にまで発展したためであった。

1999年
【事故死】【航空事故】ペイン・スチュワート(Payne Stewart)【プロゴルファー/アメリカ合衆国】

1980年代から1990年代に活躍したアメリカのプロゴルファー。1961年からゴルフを始め、1979年にプロ入り。1982年に参戦したPGAツアーで初優勝。以降、1989年の全米プロゴルフ選手権、1991年の全米オープンでも優勝しメジャー大会で2冠を達成。その後、数年にわたる低迷期を過ごすも、1999年の全米オープンで優勝。同年10月25日、PGAツアー選手権の開場へプライベートジェット機リアジェット35型で向かう途中でジェット機が墜落。事故死した。没年42歳。

2002年
【死去】リチャード・ハリス(Richard Harris)【俳優・歌手/アイルランド】1968年のヒット曲『マッカーサー・パーク』で知られるアイルランドの俳優。代表作『孤独の報酬』でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞した。晩年は『ハリーポッター』シリーズの魔法学校校長=アルバス・ダンブルドア役で活躍した。ホジキンリンパ腫で72歳没。
2002年
【暗殺】【怪死】石井紘基【政治家】

安保闘争参加時に江田三郎に憧れ、後に政治家を志した民主党所属の衆議院議員。2002年10月25日、世田谷区の自宅駐車場において、山口組系右翼団体代表を名乗る伊藤白水により柳刃包丁で左胸を刺されて死亡。伊藤は「借金の申し入れを断られたため」とその動機を語ったが、石井が国家予算の追求や官僚のスキャンダルを暴こうとしていたために暗殺されたという見方も強い。殺害現場からは、石井が国会へ提出するための書類が紛失していたという。没年61歳。

2008年
【死去】ジェラルド・ダミアーノ(Gerard Damiano)【ポルノ映画監督/アメリカ合衆国】

史上最大の成功を収めたポルノ映画として知られる1972年の『ディープ・スロート』(主演=リンダ・ラヴレース)を監督。脳卒中で80歳没。

2009年
【テロ】「イラク法務省庁舎・バグダード州庁舎自爆攻撃」

2009年10月25日、イラクの首都バグダッドで、法務省庁舎および同州庁舎を標的としたトラックと自動車による2件の自爆攻撃が発生。トラックは法務省付近の交差点、自動車は州庁舎付近でそれぞれ爆発。この爆発により、155人以上が死亡、700人以上が負傷した。

2013年
【死亡】岩谷時子【作詞家・マネージャー】

宝塚歌劇団の機関誌『歌劇』の編集長から、当時宝塚歌劇団のスターだった越路吹雪の独立とともにそのマネージャーに転身。シャンソン歌手として大成してゆく越路と行動をともにしながら、彼女の代表曲となる『愛の賛歌』『サントワマミー』『ろくでなし』『ラストダンスは私に』等、海外のスタンダードナンバーの訳詞を担当。その一方でザ・ピーナッツの『ふりむかないで』『恋のバカンス』、ピンキーとキラーズの『恋の季節』、弘田三枝子の『夢見るシャンソン人形』、沢たまきの『ベッドで煙草を吸わないで』、加山雄三の『君といつまでも』等、日本ポップスの黎明期に数多くのヒット曲の作詞を手がけ、日本を代表する作詞家となった。早世した本田美奈子との仕事を多数手がけるなど晩年まで活躍したが、2013年10月25日に肺炎で97歳没。

2017年
【死亡】遠藤賢司【ミュージシャン】

1960年代から活動を始め、最晩年の2010年代までの50年間という長きにわたり”エンケン”の愛称で活躍し続けたロックンローラーであり、自称”純音楽家”。代表曲に『夜汽車のブルース』『カレーライス』『不滅の男』等多数。2016年3月に胃ガンと診断され入退院を繰り返すも、2017年10月25日に死亡。70歳没。