『マルセル・セルダンのポートレイト(左)と、セルダンと写るエディット・ピアフ』

1949年10月27日は、「1949年エールフランス・ロッキードコンステレーション墜落事故」により、ボクシング元ミドル級世界王者のマルセル・セルダンが死亡した日である。
この悲劇的な航空事故は、パリからニューヨークに向かう定期便であり、途中経由地のアゾレス諸島サンタマリア空港に着陸する際にサンミゲル島のバラ山の岸壁に激突し乗員乗客合わせて48人の全員が死亡。このフランス人チャンピオンの他には、将来を嘱望された天才フランス人ヴァイオリニストのジネット・ヌヴーらも含まれていた。そしてこのセルダンの死は、別の側面を持った死亡事故であった。
生前、彼が交際していたのはフランスの国民的歌手、エディット・ピアフであったのだが、彼女の不朽の名曲『Hymne à l'amour(愛の賛歌)』は、この事故によって死んだセルダンのことを思って書いた歌であった。叶わぬ恋を歌ったこの歌は、墜落事故にうちひしがれて書かれたものだと思われたのだが、しかし実際のところ、この歌は生前のセルダンのために書かれたもので、妻子ある男性だった彼との恋への終止符として書かれたものであったという。どちらにしろその恋は叶わぬ悲恋となったが、ピアフその悲痛な叫びは、永遠の美しさとなって、これからも歌い継がれてゆくであろう。

(画像はともにPublic Domain)

10月27日の不幸

1949年
【航空事故】「1949年エールフランスロッキード コンステレーション墜落事故」

パリ発ニューヨーク行きのエールフランス機ロッキード L-749A-79-46 コンステレーションが、経由地のアゾレス諸島サンタマリア空港に着陸寸前に山に激突し墜落。乗員乗客48人の全員が死亡した。乗客の中には世界的ヴァイオリニスト、ジネット・ヌヴーや元世界王者のプロボクサー、マルセル・セルダン、ウォルト・ディズニー・カンパニーの取締役、ケイ・カーメン等が含まれていた。

1949年
【航空事故死】ジネット・ヌヴー(Ginette Neveu)【ヴァイオリニスト/フランス】7歳でパリ音楽院に入学し11歳で首席卒業したという天才ヴァイオリニスト。16歳でニューヨーク、18歳でベルリンでデビューし、絶大な人気を獲得し、やがて世界中で活躍した。3度目のアメリカ演奏のために乗った飛行機が「1949年エールフランスロッキードコンステレーション墜落事故」に遭い死亡。没年30歳。
1949年
【航空事故死】マルセル・セルダン(Marcel Cerdan)【ボクサー/フランス】フランス領アルジェリア出身のプロボクサー。通算成績123戦119勝(74KO)4敗。攻撃的な強打の王者で、世界初挑戦のトニー・ゼール戦でKO勝ちを収め世界ミドル級チャンピオンに。フランスの国民的英雄となったが、1949年6月16日に行なわれた初防衛のジェイク・ラモッタ戦にTKO負け。同年に雪辱戦が決まり、開催地のニューヨークに向かったが「1949年エールフランスロッキードコンステレーション墜落事故」で死亡した。没年33歳。
1975年
【急死】角川源義【実業家・俳人】

て國學院大學予科、教員を経て1945年に角川書店(現KADOKAWA)を創業した人物。岩波書店、新潮社という老舗出版社に対抗し俳句総合誌『俳句』や、『昭和文学全集』で新興の文芸出版社として存在感を発揮した。経営者としては"角川天皇"と呼ばれるほど独裁的な方針で知られ、同時に、多くの愛人を抱える奔放な私生活を送る人物としても知られていた。社長在任中の58歳で急死、2代目社長には長男の角川春樹が就任した。

1975年
【スクールシューティング】「セントピウス・エックス高校銃乱射事件」

カナダ、オンタリオ州オタワにあるセントピウス・エックス高校に通学していた18歳の生徒、ロバート・プーリン(Robert Poulin)が、17歳のスリランカ人少女、キム・ラボットを強姦殺人。その直後に高校に行きクラスメイトたちに向かいショットガンを乱射した事件。5人が負傷し、プーリンは犯行直後に自ら拳銃自殺を遂げた。

1977年
【死去】ジェームズ・M・ケイン(James Mallahan Cain)【小説家・脚本家・新聞記者・編集者/アメリカ合衆国】

第一次大戦中に服役中に軍部向けの雑誌を編集、戦後は『ボルティモア・アメリカン』『ボルティモア・サン』などの新聞社で記者を務め、並行して小説も執筆。1934年に発表した『郵便配達は二度ベルを鳴らす(The Postman Always Rings Twice)』が大ベストセラーとなり、一躍犯罪小説の大家として人気を博した。死の直前まで執筆を続け、85歳で死亡。

1986年
【死去】小佐野賢治【実業家】

国内外のホテル経営で莫大な財を為した国際興業グループの創業者であり、田中角栄の交際を含む政界への影響で、政財界の"黒幕"として暗躍したといわれている人物。1976年に発覚した汚職事件「ロッキード事件」に証人として召喚され、そこで繰り返した発言「記憶にございません」が社会的な流行語となった(偽証罪で懲役1年の実刑判決)。晩年まで実業家として活躍を続けたが、ストレス性潰瘍により死去。没年69歳。

2008年
【死去】フランク永井【歌手】

低音を活かしたムード歌謡で人気を博した国民的歌手。有楽町のデパート、そごうのキャンペーンソングとして作られた『有楽町で逢いましょう』が半年で50万枚も売れる大ヒットに。一躍人気歌手となった。1961年の『君恋し』で第3回日本レコード大賞を獲得。NHKの紅白歌合戦には26回連続で出場していたが、1983年に落選。1985年には自宅の階段で首吊りの自殺未遂事件を起こすが、夫人の発見で一命をとりとめる。自殺前後の記憶を失ったため、その原因は不明だった。事件の後遺症から知能が回復せず、鬱病にかかった夫人も1991年に自殺未遂事件を起こし、翌年離婚。晩年は有料老人ホームで過ごした。肺炎で76歳没。

2013年
【死去】ルー・リード(Lou Reed)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1965年に後の世界的ロックバンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」を結成、そのヴォーカル、ギタリストを務めた。アンディ・ウォーホルのバナナのイラストのジャケットで知られるアルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』でデビュー。1970年にバンド解散後もソロで活動し、世界のロックシーンに影響を与え続けた。2013年5月に肝臓移植を受けたが、その年の10月27日に肝疾患で死亡。没年71歳。