『レナード・コーエンのアルバム「Various Positions」のジャケット』

2016年11月7日は、カナダを代表する詩人であり現代のポップミュージックシーンに多大な影響を与えたシンガーソングライターのレナード・コーエンが死亡した日である。
詩人・小説家として数多くの著作を遺した人物であるが、近年の印象は世界的なシンガーソングライター、中でも多くのミュージシャンにカバーされ新たなスタンダードナンバーとなった『Hallelujah』の産みの親として顔が強く、人種・年齢を越えた幅広い敬愛を集めている。
同曲がアルバム『Various Positions』の収録曲として発表されたのが1984年。
しかし、その“現代の賛美歌”が発見されたのは、その約7年後、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルによる1991年のカバーによってだった。
そして同曲が神話化されることに大きな役割を果たしたのが、30歳で事故死を遂げた早世の天才シンガー、ジェフ・バックリィだった。1997年に死亡した彼のバージョンの『Hallelujah』が2007年にリリースされると、すぐさまその“長年評価を先送りされ続けていた曲”は、ビルボードのデジタル部門で1位になるなどの全世界的なヒットを記録したのであった。
その後同曲は若年層から老年まで、等しく“絶対的な価値”を持つ神話の領域に入ったことは現在のポップミュージックシーンを一瞥すればわかるだろう。
そして2016年11月10日、同月7日にレナード・コーエンが死亡したことが発表されると、レナードによるオリジナル版の『Hallelujah』は、ビルボードホット100を始めとする世界各国のヒットチャートに、ランクインした。
それはYouTubeでは1億再生回数をに迫る近年同曲の持つ影響力にしては極めてささやかな、一人の作家への葬儀だったのかもしれない。

I did my best, it wasn't much
I couldn't feel, so I tried to touch
I've told the truth, I didn't come to fool you
And even though it all went wrong
I'll stand before the lord of song
With nothing on my tongue but hallelujah

ベストを尽くしてきたが、満足ではなかった。
そう感じられなかったから、到達しようとしてきた。
真実を語ってきたが、馬鹿にしてきたわけじゃない。
私にはこの世界全てがおかしくなっても、『ハレルヤ』と歌い続けるしかないのだから。

(英詩/Leonard Cohen『hallelujah』より)

(写真はレナード・コーエン『Various Positions』1984年/発売=コロンビア)

11月7日の不幸

1862年
【死去】バハードゥル・シャー2世(Bahadur Shah II)【王族/インド】

19世紀北インド・ムガル帝国の最後の皇帝で第17代ムガル皇帝(1837年〜1858年)となった人物。第16代皇帝アクバル2世の息子として生まれ、1837年に62歳で皇帝に即位。1857年5月に「インド大反乱」が勃発、デリーへ入城した反乱軍により最高指導者として擁立されることに。同年9月、イギリス軍によりデリーが占拠され降伏。翌1858年にラングーンへ追放されムガル帝国が終焉。その後は同地で過ごし1862年11月7日に死去。没年87歳。

1930年
【死去】大木戸森右エ門【大相撲力士】

1890年代から1900年代初頭にかけて活躍した大相撲力士で第23代横綱となった人物。地元の草相撲などで活躍し「日清戦争」中に知り合った力士仲間の紹介で大坂相撲の第13代湊由良右衛門の下へ入門。1896年に大城戸平八(光蔵)の四股名で初土俵を踏み、1898年に三段目へ昇進し大木戸森右エ門と改名。1903年に新入幕を果たし1904年に関脇、1905年に大関へと昇進。1908年から1909年にかけて3場所連続9戦全勝優勝を記録。1910年に大坂相撲から横綱免許を授与され奉納横綱土俵入りを行なうも東京相撲の吉田司家がこれに激怒し破門を宣告するなど大事件へ発展。1912年に大坂相撲が東京相撲・吉田司家へ謝罪したため、大木戸は横綱免許授与を改めて申請し公認横綱へ。横綱公認後は成績が振るわないまま1913年に脳溢血で倒れ半身不随となり、1914年に幕内戦歴143勝20敗6引分4預で引退。引退後は頭取として湊を襲名するも病身のため、1916年に廃業。晩年は居酒屋や煙草屋を経営し1930年11月7日に脳卒中で死去。没年54歳。

1944年
【死刑】リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)【諜報員/ソ連】

第一次第二次世界大戦時に、ソ連の諜報員として上海、日本等で活動。日本ではマックス・クラウゼン(ソ連人スパイ)、尾崎秀実(朝日新聞記者)、ブランコ・ド・ヴーケリッチ(ユーゴスラビア人スパイ)らとともに日独連合軍の情報を本国に送っていたが、アメリカ共産党員の北林トモの逮捕から芋づる式に捕らえられ「ゾルゲ事件」が発覚、1941年10月18日に逮捕された。死地で得たその貴重な諜報活動にもかかわらず、当時のソ連書記長のスターリンからは二重スパイの嫌疑をかけられていた。東京拘置所で絞首刑に。没年49歳。処刑直前に発した言葉は「ソビエト赤軍、国際共産主義万歳」。

1944年
【死刑】尾崎秀実【ジャーナリスト・スパイ】朝日新聞記者を務める傍ら、共産主義者として「ゾルゲ事件」に首謀者として加担していたロシア側の諜報員。1941年10月15日にゾルゲ事件の容疑で逮捕され、11月7日にゾルゲとともに絞首刑で死刑。没年43歳。
1950年
【転落事故】【交通事故】「国鉄バス大栃線転落事故」

1950年11月7日、高知県美川市香北町橋川野付近を流れる物部川へ国鉄バス大栃線の車両が転落し乗員乗客合わせて34人が死亡。事故は道路事情や定員超過のほか運転手の飲酒などが原因であった。

1980年
【死去】スティーブ・マックィーン(Terence Steven “Steve” McQueen)【俳優/アメリカ合衆国】

映画『荒野の七人』『大脱走』『タワーリング・インフェルノ』等、数々の映画作品で”不屈のタフガイ”を演じてきたアメリカの英雄であり、20世紀を代表する世界的な人気俳優。私生活ではオートバイやカーレース、飛行機の熱狂的なマニアで、何度かレースに出場もしている。3度の結婚と飲酒運転での逮捕など、派手な私生活でも知られ、マンソン・ファミリーの標的となっていたことも後年明らかになっている。1979年にアスベストが原因とされるで胸膜中皮腫が発見され、様々な治療の果てに、最後はメキシコの病院で5ポンドもの巨大な腫瘍の切除手術を決行し、直後に心停止で死亡。没年50歳。

1980年
【死去】越路吹雪【歌手・女優】

宝塚歌劇団出身のシャンソン歌手。代表曲『愛の賛歌』『サントワマミー』『ろくでなし』『ラストダンスは私に』等で日本におけるそのジャンルを切り開いた、”日本シャンソンの女王”と呼ばれている。歌の他にも映画出演や少ないながらもテレビ出演もあり、後者の代表としてはフジテレビ制作の音楽バラエティ『ミュージックフェア』の初代MCがある。胃ガンのため56歳没。本人には”重度の胃潰瘍”と伝えられ、胃の5分の4を摘出するという大手術の果ての最期であった。

1985年
【人質事件】【大量殺人】「コロンビア最高裁占拠事件」

1985年11月6日から同月7日にかけて、コロンビア首都ボゴタの最高裁判所兼法務省ビルに左翼ゲリラ組織4月19日運動(M-19)のルイス・オテロ司令官含む武装ゲリラ35人が侵入し国会議員や判事などをおよそ300人を人質に取った事件。事件後メンバーはコロンビア大統領との和平直接交渉を要求したため政府は攻撃中止を要請するも治安部隊が突入作戦を開始。その後、およそ200人の人質を救出するも28時間に及ぶ銃撃戦が行なわれ最高裁長官・判事11人、市民60人を含む人質115人が死亡した。

2004年
【死去】出射厚【プログラマー】

1990年代から2000年代初頭にかけて活躍したプログラマーでMS-DOS上で動作するフリーウェアのファイル管理ソフト『FD』の開発者として知られる人物。1989年から1996年にかけて『FD』を開発。公開後は大反響を呼びフリーソフトウェア大賞ユーティリティ部門賞を受賞。その後ファイラーと呼ばれるジャンルを形成し、『FD』は日本のソフトウェア文化史上でフリーウェアを代表するひとつに。以後も『MIEL』といったテキストファイル閲覧ソフトなどを共同開発するなどプログラマーとして活躍中の2004年11月7日に脳腫瘍で死去。没年56歳。

2004年
【急死】玉井たけし【漫画家】『コロコロコミック』や小学館の学年誌で少年向けの作品を連載していたギャグ漫画家。代表作に『ウルトラ怪獣かっとび!ランド』等。生来内臓疾患に悩まされており、2004年11月7日に関係者により机に向かって執筆している状態で死亡しているところを発見された。没年44歳。
2008年
【死去】筑紫哲也【ニュースキャスター・ジャーナリスト】早稲田大学卒業後、朝日新聞社入社し記者に。その後『朝日ジャーナル』編集長に就任。出版ジャーナリストから一転、1989年からTBSの深夜帯のニュース番組『筑紫哲也 NEWS23』のメインキャスターに起用され、2007年に肺ガン治療に専念するまでは夜の顔として活躍。2008年に73歳で死亡した。
2011年
【急死】隆の里俊英【大相撲力士】

1860年代後半から1980年代にかけて活躍した大相撲力士で第59代横綱となった人物。高校生時代に二子山部屋の二子山親方からスカウトされ1968年に初土俵を踏む。その後、幕下であった1972年に糖尿病を患い入院し成績が振るわず、1975年に新入幕を果たす。1980年に四股名を隆ノ里から隆の里へ改名。1981年にエッセイ『糖尿病に勝った!』を出版。1982年に大関へ昇進し15戦全勝で初優勝を果たし1983年に第59代横綱へ昇進。同年に新横綱として45年ぶりの15戦全勝優勝を果たすことに。1985年に怪我などにより幕内戦歴464勝313敗80休で現役を引退。引退後は年寄となり鳴戸を襲名し二子山部屋の部屋付き親方として活躍し、1989年に自身の鳴戸部屋を創設。2003年にエッセイ『親方はちゃんこ番』を出版。晩年は相撲指導以外にも審判委員など活動を続けていた2011年11月7日に急性呼吸不全で急死。没年59歳。

2016年
2016年【死去】レナード・ノーマン・コーエン(Leonard Norman Cohen)【詩人・小説家・シンガーソングライター/カナダ】

カナダを代表する詩人であり現代のポップミュージックシーンに多大な影響を与えたシンガーソングライター。詩人・小説家として数多くの著作を遺した人物であり、1996年には、臨済宗の和尚となったことでも知られている宗教家でもあるが、近年の印象は世界的なシンガーソングライター、中でも多くのミュージシャンにカバーされ新たなスタンダードナンバーとなった『Hallelujah』の産みの親として幅広い層に知られている。2016年11月10日、同月7日に死亡したことがフェイスブックで発表された。没年82歳。その死後、オリジナル版の『Hallelujah』は、ビルボードホット100を始めとする世界各国のヒットチャートに、ランクインした。