11月8日の不幸
- 1939年
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【暗殺未遂】「ヒトラー暗殺未遂事件」
1923年11月8日にヒトラーらナチス党員がが起こしたクーデター「ミュンヘン一揆」を祝うべくその現場であるミュンヘンのビアホール「ビュルガーブロイケラー」でヒトラーによる演説が行なわれたところを、家具職人のゲオルク・エルザーが爆殺しようとした暗殺未遂事件。1カ月以上もかけてホール内の柱に時限爆弾を仕掛けたが、この日のヒトラーは2時間〜1時間半の予定であった演説を1時間で切り上げて会場を出たために暗殺は失敗。その場にいた7人が死亡し、80人ほどが重軽傷を負った。エルザーは事件当日の夜にスイスとの国境で逮捕され、厳しい拷問を受けたが単独犯であることを主張。そのまま幽閉され終戦直前の1945年4月9日にダッハウ強制収容所で処刑された。
- 1983年
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【薬物過剰摂取】ジェームズ・ブッカー(James Carroll Booker III)【ミュージシャン・歌手/アメリカ合衆国】
超絶技巧を誇るニューオリンズ生まれの天才ジャズピアニストであり、シンガー。隻眼のルックスで破天荒なファッション、派手な私生活でも知られ、1967年にはヘロインの不法所持でアンゴラ刑務所に服役したことも。晩年もアルコールとドラッグの過剰摂取と鬱病に悩まされ、1983年11月8日にコカインの過剰摂取で急死。没年43歳。
- 2000年
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【自殺】向坂松彦【アナウンサー】
1956年にNHKに入社、大相撲中継等のスポーツ担当アナウンサーとして活躍。1976年のモントリオール五輪で体操女子の金メダリストであるナディア・コマネチを”白い妖精”と形容したことでも知られる人物。フジテレビでアナウンサーを務める向坂樹興は甥。定年後は大相撲ジャーナリストとして活躍したが、2000年に横浜市の自宅で左手の手首を切って自殺。没年66歳。
- 2001年
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【死去】横山隆一【漫画家・アニメーション作家】
早稲田大学のマスコットキャラクターとしても知られるマンガ『フクちゃん』の作者であり、同作を始めとした黎明期のアニメーション作家としても活躍した人物。1947年に紫綬褒章受章。脳梗塞で92歳没。
- 2010年
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【死去】ジョー樋口【レフェリー・プロレスラー】
全日本プロレス全盛期に主にジャイアント馬場の試合を裁いたスキンヘッドの名レフェリー。よく試合に巻き込まれて失神することが多く、また、マットの叩きすぎで、腕が慢性的な血行障害に陥っていたことで知られる。晩年は三沢光晴が立ち上げたプロレスリング・ノアで監査役も務めた。肺腺ガンで81歳没。
- 2013年
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【死去】島倉千代子【歌手】
戦後昭和期を代表する女性流行歌手、演歌歌手。15歳でコロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、16歳の時に『この世の花』でデビュー、即200万枚のセールスを記録。19歳で歌った『東京だョおっ母さん』も150万枚の大ヒット、1歳年上の美空ひばりと並ぶ国民的大スターに10代で登り詰めた。仕事面の成功とは裏腹に私生活では離婚や多額の借金など、晩年のヒット曲『人生いろいろ』のごとく波瀾万丈の人生を歩んだ。肝臓ガンで75歳没。