『狼に育てられたとされたインドの野生児、アンリとカマラ』

1929年11月14日は、インドのベンガルで1920年10月17日に発見された二人の少女“ミドナプールの野生児”のひとり、カマラが死亡した日である。
キリスト教伝道師ジョセフ・シングによりシロアリ塚で狼と友に暮らしているところを発見されたというニュースで世界的に有名になったふたりの少女“アンリとカマラ”。
シングはその生態を記録した日記を発表し、彼女たちがもちろん言葉は話せないことや四つん這いで生活していること、さらには超人的な嗅覚や聴覚を持っていることなどを知らしめたが、後の研究により、それら全ては重度の障害児を脚色した、シングの創作によるものであったと結論づけられている。
発見から1年後の9月21日に年少のアンリが腎臓炎で死亡、その後の訓練で二足歩行や簡単な会話を身につけたカマラは、1929年11月14日に尿毒症で死亡した。
有史以来、時折社会を騒がせる《野生児》の中でも、“狼に育てられた”というパターンはかなり古くから知られているもので、それをさかのぼればローマ神話の王政ローマ初代皇帝、レムルスとロームの話にまで繋がるものだ。
このミドナプールの例はふたりの少女の尊厳を犠牲にした《悲劇》でしかないが、古来人間が抱いてきた原始への憧れ、《野生児幻想》という意味に於いては、起こるべくして起こった典型的な事件といえるだろう。

(写真はWikipedia Amala and Kamalaより使用。Public Domain)

11月14日の不幸

1282年
【死去】日蓮【僧侶】鎌倉時代に日蓮宗を確立したの仏教僧。「南無妙法蓮華経」の題目と共に全国を布教して回った。佐渡に流罪になったことも。池上宗仲の邸宅で死亡。60歳没。
1716年
【死去】ゴットフリート・ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz)【数学者・哲学者・法学者/ドイツ】

17世紀から18世紀にかけて活躍したドイツの数学者および哲学者で微積分法の発見者として知られる人物。ライプツィヒ大学哲学教授であったフリードリッヒ・ライプニッツの息子として生まれ、同大学で数学や哲学を学ぶ。1667年に法学博士となり、翌年にマインツ大司教の元で勤務。1673年にマインツ大司教が死去したため無職となるも1675年に微積分法を発見。1676年にカレンベルク侯ヨハン・フリードリヒの顧問官兼図書館長となりドイツ・ハノーファーへ移住。1697年に中国学『中国最新事情』を出版。1700年にベルリン科学アカデミー設立へ尽力し初代会長へ就任。1710年に匿名でキリスト教を考察した『弁神論』を発表。1711年に神聖ローマ皇帝カール6世の下で帝国宮中顧問官に就任。1714年に哲学書『モナドロジー』の草稿を書きあげるも1716年11月14日に死去。没年70歳。

1825年
【死去】ジャン・パウル(Jean Paul)【小説家/ドイツ】

18世紀から19世紀にかけて活躍したドイツの小説家。大学時代からで読書や創作活動を開始し1793年に小説『陽気なヴッツ先生』を出版。同年に長編小説『見えないロッジ』で自身の文体を確立し、以後『宵の明星』『フィクスライン』(1795年)で自国の小説家としての地位を確立。1798年にヴァイマルへ移住し小説家ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーとの共著『批判と批判』(1799年)『カリゴーネ』(1800年)などを発表。1802年に長編小説『巨人』を発表。1804年に長編小説『生意気ざかり』に取り組むも未完に終わり、その後政治書『自由小書』(1805年)、教育論『レヴァーナ』などを発表。1817年にハイデルベルク大学名誉哲学博士号を授与。1811年から小説『彗星』へ取り組むも未完のまま1825年11月14日に死去。没年62歳。

1866年
【死去】ミゲル1世(Dom Miguel I)【王族/ポルトガル】

19世紀にポルトガル王(1828年〜1834年)となった人物。ポルトガル王ジョアン6世の息子として生まれる。1820年に反革命運動「ヴィラフランカーダ」に参加、サモラ・コレーア伯を授与され、1824年に陸軍最高司令官へ就任。就任後「四月の乱」を起こし自由主義者から王の安全を守るためジョアン6世を幽閉するも同年にウィーンへ追放されることに。1826年にジョアン6世が死去し兄ペドロの娘であるマリア・ダ・グロリアが女王へ即位、妹のイザベル・マリアが摂政を務めるも政治情勢が不安定だったため、1827年に摂政としてリスボンへ帰郷。1828年にポルトガル王へ即位するも同年に王位継承問題からポルトガル内戦が勃発。1834年に「アッセイセイラの戦い」で敗退、「エヴォラモンテの譲歩」により王位を剥奪されイタリアへ亡命。その後イギリス、ドイツと移住しながら亡命生活を送り1866年11月14日に死去。没年64歳。

1908年
【死去】光緒帝(Guangxu Emperor)【皇帝/中国】

19世紀後半から20世紀初頭にかけて清の第11代皇帝(1875年〜1908年)となった人物。第11代皇帝・道光帝の息子として生まれ1875年に3歳で皇帝に即位。即位後は西太后が実権を握り、1887年に政権を委譲される。1894年の「日清戦争」での敗退、1895年の「下関条約」締結により変法運動へ興味を持つことに。その後、西太后の政権下から逸脱するため1898年に体制の改革を宣言(戊戌の変法)するも「戊戌の政変」により監禁される。1900年に義和団の乱により西安へ逃亡。翌年に北京へ帰還し西太后による近代化改革「光緒新政」が行なわれる。以降、政治利用をされ続け1908年11月14日に死去。没年37歳。

1929年
【死亡】【夭折】カマラ(Kamala)【野生児/インド】

インド・ベンガルのミドナプールで1920年10月17日に発見された二人の少女”ミドナプールの野生児”の年長の方といわれている少女。キリスト教伝道師ジョセフ・シングがシロアリ塚で狼と友に暮らしているところを発見したニュースで世界的に有名になった。その生態を記録した日記を発表し、彼女たちがもちろん言葉は話せないことや四つん這いで生活していること、さらには超人的な嗅覚や聴覚を持っていることなどを知らしめたが、後の研究により、それら全ては重度の障害児を脚色した、シングの創作によるものであったと結論づけられている。発見から1年後の9月21日に年少のアンリが腎臓炎で死亡、その後の訓練で二足歩行や簡単な会話を身につけたカマラは、1929年11月14日に尿毒症で死亡した。推定没年齢17歳。

1971年
【死去】金田一京助【言語学者】

明治から昭和にかけて活躍した言語学者で主にアイヌ語研究の第一人者として知られる人物。大学在学中にアイヌ語研究を開始。1908年に国語教師となり、赴任先の下宿で親友の石川啄木と共同生活へ。同年、教員資格がないことがわかり失職し、三省堂に入社。1913年、アイヌの叙事詩「虎杖丸」をローマ字で筆記。その後も北海道で調査を続け、1931年『アイヌ叙事詩 ユーカラの研究』Ⅰ・Ⅱを刊行し、翌年に同書で恩賜賞を受賞。晩年は『明解国語辞典』(1943年)、『中等国語 金田一京助編』(1950年)などを執筆。1971年11月14日、動脈硬化および気管支肺炎により死去。没年89歳。

1971年
【暴動】「渋谷暴動事件」

1971年11月14日に東京都渋谷区で革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の学生らおよそ150人が機動隊や渋谷駅前派出所を火炎瓶などで襲撃。この暴動により機動隊員1人、暴動へ参加していた日本教職員組合青年部員の女性1人が死亡。発端は同月10日の沖縄県での沖縄返還協定批准を阻止するためのゼネラル・ストライキからであった。

1988年
【死去】三木武夫【政治家】明治大学法学部卒業直後に衆議院議員総選挙に無所属で出馬し当選。それ以降死ぬまで19回の選挙で当選し、51年間務め続けた政治家。運輸大臣、逓信大臣、科学技術庁長官、通商産業大臣、国務大臣等を歴任し、第66代内閣総理大臣まで務めた。1974年の総理大臣就任時は、前任の田中角栄が汚職事件で失脚したために、”クリーン三木”として自民党から擁立されたが、政治改革を急ぐあまり実力者から疎まれ、たった2年の短命政権に終わった。1986年に脳出血で倒れ、その療養中に急性心不全で死去。没年81歳。
1991年
【エイズ】トニー・リチャードソン(Tony Richardson)【映画監督】1963年の映画『トム・ジョーンズの華麗な冒険』でアカデミー監督賞を受賞したイギリスの映画監督。女優のヴァネッサ・レッドグレイヴと結婚し2児を設けたが、映画『マドモアゼル』の撮影時にジャンヌ・モローと不倫関係になり、前妻とは離婚。ジャンヌ・モローに看取られるようにしてエイズの合併症で死亡した。没年63歳。バイセクシュアルであったが、生前それを明かすことはなかった。
1992年
【死去】エルンスト・ハッペル(Ernst Happel)【サッカー選手・サッカー指導者】

20世紀オーストリアで活躍したサッカー選手およびサッカー指導者でオーストリア・サッカー史上最も偉大な監督と称される人物。1942年にオーストリアのサッカークラブ・SKラピード・ウィーンでプロデビュー。1954年にFIFAワールドカップへオーストリア代表として参加。同年にフランスのラシン・パリへ移籍するも1956年から再びSKラピード・ウィーンの選手として活躍。1962年に選手を引退、FCデン・ハーグ(現・ADOデン・ハーグ)の監督に就任し1968年にオランダカップを獲得。翌年にフェイエノールトの監督に就任しUEFAチャンピオンズカップおよびインテーコンチネンタルカップ(1970年)エールディヴィジ(1971年)で優勝。1978年にFIFAワールドカップ・アルゼンチン大会オランダ代表の監督として参加し準優勝を獲得。その後、セビージャFC、ハンブルガーSVなどの監督を歴任。1983年にハンブルガーSVで再びチャンピオンズカップを獲得し、オーストリア・サッカー史上初となる異なる2チームでチャンピオンズカップを獲得した監督へ。1987年にFCヴァッカー・インスブルックの監督に就任、1989年・1990年とオーストリア・ブンデスリーガで優勝。監督として活躍中の1992年11月14日にガンで死去。没年66歳。

1993年
【死去】野坂参三【政治家・諜報員】戦後の日本共産党の創設者の一人であり、第一書記を務めた政治家。参議院議員、衆議院議員。人生のほとんどを日本共産党名誉議長として送った人物でありながら、最晩年の1992年にソ連のスパイであったことが『週刊文春』の取材記事により発覚し、100歳で除名処分が行なわれた。野坂も概ねその情報を認めたが、高齢のためもあり、コメントを出さないまま人生を終えた。老衰で101歳没。
2000年
【急死】東野英心【俳優】子供向けドラマ『あばれはっちゃく』の主役少年のカミナリ親父役と、その時の決め台詞「てめぇの馬鹿さ加減にはなぁ、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ」で人気を博した俳優。同じく俳優である東野英治郎の息子でもある。2000年11月13日に外食中のレストランで倒れ、そのまま翌14日に高血圧性能出血で死亡。没年58歳。
2004年
【死去】ミシェル・コロンビエ(Michel Colombier)【プロデューサー・ミュージシャン・作曲家/フランス】

20世紀フランスで活躍した作曲家およびキーボーディストで音楽プロデューサーとしても知られる人物。幼い頃から音楽教育を受け10代でジャズへ傾倒し即興演奏を始める。1961年にバークレイ・レコード社の音楽ディレクターに抜擢され、シンガーソングライターのシャルル・アズナブールのアルバムのアレンジメントを手掛けることに。以降、映画音楽、舞台用音楽、バレエ音楽なども手掛け、映画監督シャルル・ゲインズブールの作品やバレエの振付師モーリス・ベジャールの作品に関わる。1968年にイギリスの歌手ペトゥラ・クラークのアメリカでの音楽プロデューサーに就任。1970年に代表曲『Wings』を発表。その後も音楽プロデューサー、作曲家として活躍を続け、2004年11月14日にガンにより死去。没年65歳。

2006年
【自殺】【いじめ問題】「新潟県神林村男子中学生自殺事件」

2006年11月14日、新潟県村上市の村立平林中学校でズボンを脱がされた男子生徒(当時14歳)が自殺。事件当時、文部科学省のいじめの定義では事件をいじめとして認定することが困難とされ、定義への問題点が取り沙汰される事件となった。

2009年
【火災事故】「釜山射撃場火災」韓国釜山広域市の室内射撃場「ガナダラ実弾射撃場」で火災が発生。日本人観光客10人を含む15人が死亡。当時の韓国李明博大統領から日本の鳩山由紀夫首相に遺憾の手紙が送られた。現地警察は射撃の際に出た加薬に引火したと説明したが、捜査関係者からは「遺体の一部から銃弾が見つかった」という証言もあり、その真相は明らかになっていない。射撃場経営者と現場責任者が逮捕され、裁判の結果禁固3年の実刑が確定した。
2015年
【急死】阿藤快【俳優】劇団「俳優座」出身の俳優。独特のルックスで主に悪役として活動していたが田原俊彦主演のヒットドラマ『教師びんびん物語』に出演し人気を獲得。以来、俳優活動に加えてそのおおらかな人柄を活かしたリポーターとして開花。グルメ番組や、『ぶらり途中下車の旅』等で活躍した。2015年11月15日に仕事の現場に来ず、事務所スタッフが自宅に向かうとベッドで死亡していた。死因は胸部大動脈瘤破裂。前日の69歳の誕生日に死亡していたとみられる。ちなみに、元々の芸名である阿藤海から阿藤快に改名したのも2001年
2015年
【死去】ニック・ボックウィンクル(Nick Bockwinkel)【プロレスラー/アメリカ合衆国】

「相手がワルツを踊ればワルツを踊り、ジルバを踊ればジルバを踊る」という名言で知られる当代きっての技能派レスラー。悪役レスラーだった父のウォーレン・ボックウィンクルの後を追い、15歳の時のルー・テーズ戦でプロレスデビュー。陸軍、大学と掛け持ちをしながらキャリアを続け、28歳で専念。父と同じくヒールとしてAWAで活躍し、一時は世界チャンピオンを獲得した。日本プロレス、国際プロレス、全日本プロレスと日本マット界でも長年にわたり活躍。晩年はWWEでも活躍し引退後は殿堂入りしている。痴呆と心臓病で80歳没。

2016年
【死亡】高井研一郎【漫画家】

手塚治虫のアシスタントを経て、漫画家として活動を開始。1986年に代表作となる『総務部総務課山口六平太』を連載開始し、その死亡による連載終了まで、30年第731話にわたり長期連載を続けた。その他に武田鉄矢原作による『プロゴルファー織部金次郎』なども手がけた。死因は肺気腫による肺炎で、79歳没。

2017年
【死去】塩見孝也【活動家・指導者】

“日本のレーニン”と呼ばれた昭和の新左翼活動家およびテロリスト。1962年に京都大学に入学、在学中から共産主義者同盟(ブント)の活動家となり京都府学連書記長、社学同書記長に就任。1969年に武装闘争を掲げ関東派と対立・決別し共産主義者同盟赤軍派を結成・議長へ就任。同年に「大阪戦争」「東京戦争」などを指揮するも凶器準備集合罪により53人が逮捕されることに(大菩薩峠事件)。その後、国際根拠地論を提唱し1970年に「フェニックス作戦」と名づけたハイジャックを計画するも逮捕される。逮捕直後、実行部隊であった田宮高麿らがよど号ハイジャック事件を起こし北朝鮮へ亡命。法定中の1974年に赤軍派(プロレタリア革命派)、1979年に日本社会科学研究所(マルクス・レーニン主義、毛沢東思想)を結成。1982年に刑が確定し府中刑務所へ収監され1989年に出所。晩年はぱとり・自主日本の会、銀河の会などを主催し政治活動を行なう。2015年に東京都市議会議員選挙に立候補し落選。2017年11月14日、心不全のため死去。没年76歳。

2017年
【暴行事件】「日馬富士公平暴行事件・第一報」

2017年11月14日、スポーツニッポンが横綱・日馬富士公平の平幕・貴ノ岩に対しての暴行事件を1面でスクープ。その後、相撲界で騒動へと発展。