『イーディー・セジウィックのポートレート』撮影=アンディー・ウォーホール
1960年11月16日は、1960年代を席捲したアーティスト、アンディー・ウォーホールのミューズとして時代を彩ったモデル、イーディーセドウィックが死亡した日である。
『Poor Little Rich Girl』『ビニール』『Beauty #2』『チェルシー・ガールズ』等に主演しポップアートの革命児であるウォーホールの作品でその飛び抜けた存在感を発揮したイーディーであったが、10代の頃から精神的に不安定な生活を送っており、拒食症、精神科入院、兄の自殺など、極端に暗い10代の時期を送ったことでも知られている。
ロック・スターであったボブ・ディランとの交際等のスキャンダルも含め、時代を代表するような眩しい光を放った彼女が、その渦中で最後までドラッグを絶てずに薬物過剰摂取死したことも、その幼少期を考えれば当然の結末であったのかもしれない。
28年という短すぎるその人生を惜しむ声はいまだに後を絶たないが、イーディーはウォーホールの作品群、そしてディランの作品(『Leopard-Skin Pill-Box Hat』『Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again』)として永遠の命を得たともいえるだろう。

(画像は『Eight Miles Higher』より使用。)

11月16日の不幸

1724年
【処刑】ジャック・シェパード(Jack Sheppard)【大工/イギリス】

18世紀初頭のイギリスで犯行を繰り返した犯罪者。大工の家に産まれ、自身も大工として独り立ちしたが、収入の足しに窃盗や空き巣を繰り返す。1723年、初の窃盗でシルバーのスプーンを2本盗む。翌年初めて逮捕されたが、監獄の天井に穴を開け脱獄。その後も逮捕と脱獄を繰り返し、4度目の逮捕で脱走を企てたが失敗。1724年11月16日、イギリス・タイバーンの絞首台で処刑された。没年22歳。

1885年
【処刑】「ルイ・リエル処刑」

1885年11月16日、カナダの政治家および反乱指導者のルイ・リエルが「レッドリヴァーの反乱」(1869年〜1870年)「ノースウェストの反乱」(1885年)この2つの反乱(「リエルの反乱」)における反逆罪により絞首刑に処された。

1930年
【抗議活動】「煙突男」

1930年11月10日、神奈川県川崎市・富士瓦斯紡績川崎工場で起きた労働争議で、田辺潔が争議の支援活動として工場の煙突(40メートル)に登り演説を行なったが、6日後の1930年11月16日に工場側が妥協したため、約130時間ぶりに地上に降りた事件。

1934年
【過失事件】「昭和天皇誤導事件」

1934年11月16日、群馬県で行なわれた陸軍大演習に昭和天皇が出席後、桐生市を視察する予定であったが、一行の先導役・本多重平警部が左折すべき道を直進するといった誘導ミスが発生。先に視察予定であった桐生西小学校では「天皇御一行が行方不明になった」と騒然となった。この誤導により関係者が処分されたが、事件から2日後自宅謹慎中であった本多が日本刀による自決を図るも一命を取り留めている。事件の原因は同市の先導役が辞退したため、本多が急遽代役となったことにあった。

1942年
【死去】ヨーゼフ・シュミット(Joseph Schmidt)【テノール歌手/オーストリア】

20世紀初頭のドイツで活躍したユダヤ人テノール歌手の大スター。ラジオで全国的人気を博し映画界に進出、1933年の『歌は世界を駆けめぐる』では、自ら歌った同名の主題歌と共に記録的なヒットを飛ばした。しかし、ナチス・ドイツが政権を握ると、ドイツ内での活動は不可能になり、オーストリア、フランスを経由しスイスに密入国。しかしスイス政府からは正式な亡命とは認められずに収容所に抑留され、解放後すぐに咽頭炎で死亡した。没年38歳。

1943年
【社会事件】「スイス人化学者アルバート・ホフマンがLSDを初合成」

1938年11月16日、スイスの化学者アルバート・ホフマンが、麦角アルカロイドからリゼルグ酸誘導体の系列における25番目の物質「LSD」の合成に成功。幻覚作用は1943年にホフマンにより発見された。

1960年
【急死】クラーク・ゲーブル(Clark Gable)【俳優/アメリカ合衆国】

不朽の名作映画『風と共に去りぬ』でのレット・バトラー役で世界的人気を確立したアメリカを代表する俳優。1934年の映画『或る夜の出来事』ではアカデミー主演男優賞を受賞した。心臓発作で59歳没。遺作は1961年の『荒馬と女』で、同作は1962年に死亡したマリリン・モンローにとっても遺作となっている。

1971年
【薬物過剰摂取】【夭折】イーディ・セジウィック(Edie Sedgwick)【女優・ファッションモデル/アメリカ合衆国】

拒食症、精神科入院、兄の自殺など、激動の10代を送ったファッション・モデル。ニューヨークで活躍中の1965年に時代を牽引したアーティスト、アンディ・ウォーホールと出会い、その作品のアイコンとして映画に出演。その後ボブ・ディランとの交際・破局、ウォーホールとの別離等、スキャンダルの渦中でドラッグに耽溺しカリフォルニアの実家に帰還。精神病院で出会った夫と結婚したが、最後までドラッグを絶てずに薬物過剰摂取で死亡した。没年28歳。

2006年
【死去】仲谷昇【俳優】

昭和に活躍した俳優で演劇集団「円」の代表を務めた人物。大学在学中に演劇活動を始め、1950年に学座演劇研究所へ入団。1953年、映画『にごりえ』でデビュー。以後映画、舞台、ドラマなどで活躍し、1963年に劇団「雲」を結成。その後、1975年に芥川比呂志らと演劇集団「円」を結成し芥川の死後は代表を務める。晩年も俳優として出演し続け2006年11月16日に慢性閉塞性肺疾患のため死去。没年77歳。

2009年
【死去】水の江瀧子【女優・映画プロデューサー】

"ターキー"の愛称で知られる戦前から活躍した女優および映画プロデューサーで、日本の女性歌劇で初めて男性様の髪型で男役を演じた人物。1928年、東京松竹楽劇部の第1期生として入団し同年舞台デビュー。1931年の『先生様はお人好し』で急遽断髪し男性役として出演したことで人気を博し以後"男装の麗人"として活躍。その後も松竹歌劇のスターとして舞台や広告への出演を続け、戦後に劇団「たんぽぽ」を旗揚げ。1954年、日活の契約プロデューサーとなり、日本映画界で初の女性映画プロデューサーへ。1956年に映画『太陽の季節』、『狂った果実』を制作、両作品はヒットしプロデューサーとしても成功を収めることに。1984年、甥の三浦和義が起こした「ロス疑惑」の報道被害に遭い芸能界を引退。1993年に生前葬を行なった翌日に復活祭を開催、翌年に映画『女ざかり』に特別出演。その後は隠居生活を送り2009年11月16日に死去。没年94歳。

2012年
【死去】野中のばら【漫画家】

1990年代から活躍した4コマ漫画家で代表作には芳文社の『ガテンのカコちゃん』、『ネコがスキ』など。1989年に芳文社『まんがタイムスペシャル』でデビュー。その後、同社の『まんがホーム』『Kiss』『まんがライフ』などで活躍。2012年11月16日、病のため死去。没年齢不明。