『アルカトラズ刑務所時代のストランドと、その著書「Diseases of Canaries」』

1963年11月21日は、2件の殺人を犯した犯罪者であり、その終身刑の最中に鳥類の研究家として活躍したロバート・ストランドが死亡した日である。
13歳でアルコール依存症の父親の元から家出し、当時36歳の売春婦キティと出会い、そこからはポン引きとして活動。18歳の時に未払いの客を射殺し懲役12年の刑に服することになったストランド。
刑務所の中でも暴行罪で懲役を追加されるなど数々の問題を起こし、1916年には面会権を剥奪した看守を刺殺してしまう。
母親の嘆願で死刑は免れ、若くして終身刑となったストランドだったが、ここからもうひとつの人生が始まる。
運動場で小鳥を発見し強い興味を惹かれたストランドは、独房の横の工場内でカナリアを飼育することを許可され、その生態の解明に大きな貢献を果たす2冊の著書『Diseases of Canaries』(1933年)『Stroud's Digest on the Diseases of Birds』(1943年)を発表するのである。
その後の研究でカナリアの病気治療に大きく貢献を果たし、治療薬の販売にまで乗りだしたストランド。
果たしてその人間の命を奪い、小鳥たちの命を救ったその人生への評価は、善悪の判断が極めて難しいものである。
最終的には1942年にアルカトラズ刑務所へと移送され、愛したカナリヤの飼育もできなくなった状態で死んでいったストランド。
“アルカトラズのバードマン”と呼ばれたその人生は、今も多くのものたちの心を惹きつけて止まない、不思議な人生である。

(写真はWikipedia Robert Stroudより使用。Public Domain)

11月21日の不幸

496年
【死去】ゲラシウス1世【ローマ教皇/イタリア】

5世紀にカトリック教会では3人目のアフリカ出身者(ベルベル人)として第49代ローマ教皇(492年~496年)となった人物。492年に教皇となり496年11月21日、教皇のまま死去した。没年齢不明。

1011年
【死去】冷泉天皇【天皇】

平安時代中期に第63代天皇(967年〜969年)となった人物。967年に18歳で天皇に即位。即位後、為平親王と守平親王との間で皇太子をめぐる争いが勃発し「安和の変」に発展。争いの理由は冷泉天皇が幼い頃より父・村上天皇に手紙の返事に陰茎が大きく描かれた絵を送りつけるなど奇行が多かったことで後継の問題がすぐに持ち上がったためであった。1011年11月21日、赤痢のため死去。没年62歳。

1859年
【死刑】【夭折】吉田松陰【武士・思想家・教育者】

「明治維新」の指導者的存在であり松下村塾の指導者として知られ、幕末を代表する尊皇思想家および武士のひとり。山鹿流兵学師範の家系に産まれ、長州藩の藩校「明倫館」に9歳で出仕。1850年、「アヘン戦争」を知り九州遊学へ出発。1852年に津軽海峡へ外国船を見学しに行ったため士籍剥奪・世禄没収の処分を受ける。1854年、ペリーの来航に影響を受け海外留学を決意、旗艦ポーハタン号に乗船しようとするも拒否され、その後、下田奉行所へ自首したため伝馬町牢屋敷に投獄されることに。処分後の1857年に松下村塾を開塾、高杉晋作、伊藤博文など数々の知識人を育て上げた。1858年「日米修好通商条約」が無勅許で締結されたことに憤慨し倒幕を企てたため、長州藩から危険視され野山獄へ幽閉される。翌年、「安政の大獄」が起こり伝馬町牢屋敷へ投獄され、老中暗殺計画を告白したため、1859年11月21日に斬首刑となった。没年29歳。

1918年
【死去】マグレガー・メイザース(Macgregor Mathers)【魔術師/イギリス】

20世紀イギリスのオカルト主義者で隠秘学結社「The Hermetic Order of the Golden Dawn(黄金の夜明け団)」創立者のひとり。1877年にフリーメーソン、1882年には英国薔薇十字協会へ入会。1887年、ユダヤ教の神秘思想書のカバラ文献『Zohar(ゾーハル)』を翻訳。翌年「黄金の夜明け団」を創立。1889年には、大英博物館に保管されていたソロモンの名を冠する7冊の断章を翻訳・編集した魔術書『The key of Solomon the king(ソロモンの大いなる鍵)』を出版した。1900年「黄金の夜明け団」の分裂問題から追放処分となり、「A∴O∴(アルファ・エト・オメガ)」を設立。1918年11月21日に死亡。没年64歳。死因はインフルエンザとも類推されている。

1963年
【死亡】ロバート・フランクリン・ストラウド(Robert Stroud)【ポン引き・犯罪者・研究家】

2件の殺人を犯した犯罪者であり、その終身刑の最中に鳥類研究家として活躍したことで”アルカトラズのバードマン”と呼ばれた人物。13歳でアルコール依存症の父親の元から家出し、当時36歳の売春婦キティと出会い、そこからはポン引きとして活動。18歳の時に未払いの客を射殺し懲役12年の刑に服することになり、刑務所の中でも暴行罪で懲役を追加されるなど数々の問題を起こし、1916年には面会権を剥奪した看守を刺殺。母親の嘆願で死刑は免れ、若くして終身刑となったが、運動場で発見したカナリヤに強い興味を惹かれ、飼育・研究することに。そしてカナリヤの生態の解明に大きな貢献を果たす2冊の著書『Diseases of Canaries』(1933年)『Stroud’s Digest on the Diseases of Birds』(1943年)を発表し、カナリアの病気治療に大きく貢献を果たし、治療薬の販売にまで乗りだした。晩年の1942年にアルカトラズ刑務所へと移送され、1963年11月21日に死亡。没年73歳。54年を刑務所内で、42年を独房で暮らす人生であった。

1978年
【スポーツ】「空白の一日」高校3年時のプロ野球ドラフト会議で1位指名権を獲得した阪急ブレーブス、大学4年時の同クラウンライターライオンズからのドラフト1位指名を拒否してアメリカ留学中だった江川卓が1978年11月20日に緊急帰国。22日に開かれる予定のドラフト会議の前日である11月21日に協約の隙間をぬって読売ジャイアンツが江川卓と強引に契約したことから「空白の一日と呼ばれた」。結果的には翌日指名権を獲得した阪神タイガースとのトレードで巨人に入団。新人らしからぬ”社会の敵”というダーティなイメージが定着。
1995年
【死去】ピーター・グラント(Peter Grant)【アーティストマネージャー/イングランド】

世界的なロックバンド「レッド・ツェッペリン」、「バッド・カンパニー」のマネージャーとして知られ、”レッド・ツェッペリンを導いた男(The man who led Led Zeppelin)”と称された人物。用心棒、プロレスラー、俳優などを経て1963年に音楽業界へ進出。1969年、友人の音楽プロデューサーであるミッキー・モストらとRAK Recordsを設立し「ヤードバーズ」などのマネジメントを行なう。その後、「レッド・ツェッペリン」のマネジメントを担当、同グループのレコード・レーベル「スワン・ソング」の社長へ就任。同グループ解散後もマネジメントを続けていたが、ドラッグの後遺症に苦しみつつ隠居生活を送り、1995年11月21日に心筋梗塞で死亡した。没年60歳。

2002年
 【死去】高円宮憲仁親王【皇族】

“皇室(オク)のスポークスマン”として国民から愛された皇族のひとり。1978年、学習院大学法学部卒業し国際交流基金の一般職員として勤務。1984年に実業家鳥取滋治郎の長女であった鳥取久子と結婚。1987年、日本サッカー協会の名誉総裁、2001年には社団法人日本水難救済会名誉総裁へ就任。2002年11月21日、カナダ大使館でスカッシュの練習中に心不全で倒れ、病院に運ばれるも死去した。没年47歳。

2005年
【死去】山下毅雄【作曲家】

『タイムショック』『アタック25』『大岡越前』『時間ですよ』『プレイガール』等の人気テレビ番組のテーマ曲を手がけた作曲家。脳血栓で75歳没。

2015年
【死去】5代目立川談志【落語家】

16歳で5代目柳家小さんに入門以降し、1963年には立川談志を襲名。1968年には人気テレビ番組の『笑点』初代司会者として活躍するなど、落語の枠に収まらないその才能を早くから発揮していたが、1983年には落語立川流を創設し初代家元となり、遂には落語協会という枠からも脱退。1971年には無所属で参議院議員に当選。1997年、1988年に食道ガンの手術を受け、2008年に咽頭ガンにかかり医師からは声紋切除を勧められたが芸のために拒否、2011年3月6日の川崎市で行なわれた「立川談志一門会」で疲労した『長屋の花見』『蜘蛛駕籠』が最後の高座となった。没年75歳。