11月22日の不幸
- 1774年
- 【自殺】ロバート・クライヴ (Robert Clive)【政治家・軍人・貴族/イギリス】東インド会社の初期として入社後、インドでの軍功を挙げて下院議員に、最終的にはベンガル知事に任命され英ムガル帝国皇帝からベンガル支配後任の詔勅を受け取り、国領インドの基礎を築いた政治家。しかし1765年の赴任後2年で帰国すると贈賄で弾劾され、1773年に無実の判決が下ったが、阿片中毒の果てに翌年ロンドンの自宅で喉を割いて自殺。最後も阿片の過剰摂取状態だった。没年49歳。
- 1913年
- 【死去】徳川慶喜【武士・政治家】江戸幕府最後にして日本史上最後の征夷大将軍。1866年に29歳で江戸幕府第15代将軍に就任し、翌年大政奉還により江戸幕府は滅亡、将軍色も返上となった。戊辰戦争後は静岡で隠居生活をし、1897年には東京に戻る。1901年には東京小石川に転居し、公爵に。貴族院議員として再び政治にも携わった。1910年に貴族院議員を辞し、1913年に急性肺炎を伴った感冒で死亡。徳川将軍では最も長命の77歳だった。
- 1916年
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【自殺】ジャック・ロンドン(Jack London)【小説家/アメリカ合衆国】
代表作『野性の呼び声』『白い牙』等で知られるアメリカの小説家。の作家。アメリカ社会党に入党し日露戦争の取材で来日し、禁止区域の写真撮影によりスパイ容疑で逮捕されたことも。カリフォルニア州グレンエレンの自宅においてモルヒネを飲んで自殺。健康状態を苦にしての自殺であった。
- 1963年
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【死去】C・S・ルイス(Clive Staples Lewis)【小説家/イギリス・北アイルランド】
キリスト教の信徒伝道者として知られる人物であり、世界的人気を誇る全7巻の児童文学『The Chronicles of Narnia(ナルニア国ものがたり)』の作者として知られる小説家。『指輪物語』のJ・R・R・トールキンとの親交やアメリカの詩人、ジョイ・デイヴィッドマン・グレシャムとの結婚でも知られている。1963年に心筋梗塞で昏睡状態に陥るが、翌日には意識を回復。だが3年前に患った腎炎の影響により慢性腎不全を患い、そのまま衰弱してゆき、1963年11月22日に死亡。没年64歳。米国聖公会では聖人とされ、命日の11月22日が祝聖日とされている。
- 1963年
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【暗殺】【未解決事件】ジョン・F・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy)【政治家/アメリカ合衆国】
当時人気絶頂だったハリウッド女優、マリリン・モンローとの不倫関係が知られるなど、アメリカきってのスターだったアメリカの第35代大統領。無名だったマサチューセッツ州の上院議員時代から、演説の素晴らしさやメディア戦略の巧みさで国民的人気を獲得し、フランク・シナトラや裏社会とも通じていたという豪腕ぶりも利用して一気に大統領まで登り詰めるという、まさにアメリカン・ドリームを体現していた青年大統領であったが、就任してたった2年10カ月で暗殺されるという20世紀でも最もショッキングな暗殺事件で死亡した。没年46歳。犯人として逮捕されたリー・ハーヴェイ・オズワルドが公判直前に射殺されるなど、真犯人はいまだに不明。ちなみに、実弟のロバート・ケネディも大統領選出馬後に42歳で暗殺されている。
- 1970年
- 【死去】大宅壮一【評論家】ノンフィクション作家に贈られる「大宅壮一ノンフィクション賞」の元となった評論家。新潮社で評論家活動を開始し、1933年にゴシップ誌『人物評論』を編集・刊行。戦後は大宅マスコミ塾を開塾し、死亡するまで480人もの卒業生を輩出した。その膨大な雑誌の蔵書が「大宅壮一文庫」として現在も活かされている。腎不全、心不全で70歳没。
- 1988年
- 【死去】ルイス・バラガン(Luis Barragan Morfin)【建築家/メキシコ】20世紀メキシコを代表する建築課。メキシコを象徴するような鮮やかな色使いの建築が特徴のモダニズム建築で知られ、1980年にはプリツカー賞を受賞。1982年頃からパーキンソン病に悩まされ、1988年に自宅にて死亡。没年86歳。その自宅「バラガン邸」はユネスコの世界遺産に指定された。
- 1997年
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【自殺】【怪死】マイケル・ハッチェンス(Michael Hutchence)【ミュージシャン/オーストラリア】
オーストラリアを代表するロックバンド「INXS」のヴォーカリストとして世界的知名度を誇ったロックスターで、カイリー・ミノーグとの交際などで浮き名を流し”世界で最もセクシーな男”とも呼ばれた。1997年にシドニーのホテルで首吊り自殺。没年37歳。死の直前、娘の養育権で争っていたことも原因だったといわれているが、アスフィクシオフィリアという低酸素嗜好の性癖が原因の事故であったとも噂されている。
- 2000年
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【死去】エミール・ザトペック(Emil Zátopek)【陸上競技選手/チェコスロバキア】
1936年ベルリン五輪に日本代表として出場した村社講平に憧れて競技を始めたという不世出の長距離ランナー。1948年ロンドンオリンピックの男子1万メートル、1952年ヘルシンキオリンピックの5千メートル・1万メートル・マラソンという前人未踏の長距離3冠で金メダルを獲得した。苦悶の表情で全力を尽くすその姿から”人間機関車”と呼ばれており、日本では阪神タイガースの村山実はそのダイナミックな投法から”ザトペック投法”と名付けられた。脳卒中の合併症でプラハにて死亡。78歳没。
- 2002年
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【死去】サンダー杉山【プロレスラー】
1964年東京オリンピックに出場したアマチュアレスリングのエリートとして日本プロレスに入団。直後に新団体の国際プロレスに移籍し、アメリカ武者修行後にエース豊登のパートナーとして活躍。1970年には日本人として初めて”人間風車”ビル・ロビンソンを破りIWA世界ヘビー級王座を獲得するなど、国際プロレスのエースとして活躍し、そのキャリアの終盤は全日本プロレスに移籍し、フリーランスで活動した。また、飲食業等の実業家としても成功した晩年を送っていたが、現役時代からの持病であった糖尿病が悪化して肝臓病、胃ガンまでも併発。最終的には右手首と両足も切断していた。心不全により死去。没年62際。