『2008年のムンバイ同時多発テロで生き残った犯行グループのひとり、アマル・カサブ』インド政府撮影

2008年11月26日は、インド・ムンバイで10カ所以上のテロ事件が4日間にわたり同時多発的に進行した「ムンバイ同時多発テロ事件」が起きた日である。
死亡者は合計174人以上(犯行グループの9人を含む)、負傷者は600人以上という甚大な被害をもたらしたこの事件の犯行に携わったのは、カシミール地方の分離独立狙う南アジア最大の武力系イスラム主義組織「ラシュカレ=トイバ」とみられている。
「ラシュカレ=トイバ」はこの事件を期に世界的に知られるようになった組織であり、世界的に有名なイスラム系テロ組織「アルカイーダ」のウサマ・ビン・ラディンがスポンサーをしていたことでもクローズアップされることとなった。 
アメリカが中心となり西欧社会を中心としたグローバリズムは推し進められて久しいが、このようなイスラム系テロ組織同士による横の繋がりもまた、着々と進行していることが思い出される悲劇であった。

(写真はWikipedia 2008 Mumbai attacks より使用)

11月26日の不幸

1911年
【自殺】ポール・ラファルグ(Paul Lafargue)【思想家・政治家/フランス】

19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの社会主義者およびジャーナリストで著作『怠けの権利』で知られる人物。義理の父はマルクス主義を打ち立てたカール・マルクス。リセを卒業後パリで薬学を学びながら、共産主義に触れ政治活動を開始。1864年、無政府主義者プルードンの影響を受け、第一インターナショナルに参加。翌年に国際学生会議へ参加、同時期にマルクスの家に出入りし、1868年にマルクスの次女ラウラと結婚。1871年に勃発した「パリのコミューン」が2カ月で鎮圧されると、スペインへ避難。同国でマルクス主義の思想を広める。1873年、イギリスへ渡りフリードリヒ・エンゲルスの支援を受けながら、1880年に社会主義新聞『L’Égalité』を編集。同新聞に『怠けの権利』を発表。1882年にパリへ戻るとフランス労働党を指導しサント・ペラジー刑務所へ投獄されることに。1891年、獄中でフランス国会議員に選出され、出所後の1908年に社会主義勢力をまとめようとするも断念し、以後公的な活動から引退。晩年は執筆活動に専念し、1911年11月26日、自身の年齢を70歳を越えさせないこと、また共産主義と第二インターナショナルを鼓舞するような内容の遺書を残し妻とともに自殺した。没年69歳。

1926年
【急死】ジョン・ブローニング(John Moses Browning)【技術者/アメリカ合衆国】

1870年代から活躍したアメリカの銃器設計者で銃の作動方式「ブローバック式」などを開発した人物。銃技師であった父の家業を継ぎ、1879年に「レバーアクション式単発ライフル」を開発。同ライフルを販売したことでウィンチェスター社の目に止まり、同社に特許を売却。1883年にJ.M.BROWNING & BRO.(ブローニング兄弟商会)を設立。1885年にレバーアクションライフルを開発し再びウィンチェスター社へ特許を売却。1873年、ウィンチェスターライフルを設計。その後、機関銃およびリボルバー式拳銃を開発しコルト社へ製造権を売却。コルト社からアメリカ国内初のオートマチック式拳銃コルトM1900が販売されることに。1897年、ブローバック式を開発しベルギーのファブリックナショナル(FN)社と契約、ブローニング・オート5が販売へ。1923年にFNブローニング・ハイパワー拳銃、1925年にブローニング・スーパーポーズドを設計。翌1926年11月26日、ベルギーのFN社の工場見学した後、うっ血性心不全で急死。没年71歳。

2003年
【死去】小林千登勢【女優・タレント】

“おっかさん”の愛称で親しまれた女優。1958年にNHKと専属契約し、馬渕晴子と冨士眞奈美との「NHK三人娘」と呼ばれ、戦後テレビのスターとなった。独立後は『おはようワイド・土曜の朝に』の司会、『象印クイズ ヒントでピント』レギュラー解答者を14年間務めるなどテレビ・タレントとして活躍した。1997年に骨髄腫の疑いありと診断され、2000年には多発性骨髄腫が告知された後も芸能活動を続けたが、2003年に多発性骨髄腫で死亡。66歳没。

2004年
【死去】フィリップ・ド・ブロカ(Philippe de Broca)【映画監督/フランス】

フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル等のヌーヴェル・ヴァーグ作家の助監督を務めて自らも監督に。代表作である1963年の世界的ヒット映画『リオの男』でニューヨーク映画批評家協会賞の外国語映画賞を獲得し、アカデミー賞最優秀脚本賞にもノミネートされた。肺ガンで71歳没。

2006年
【競技中事故死】【夭折】イサーク・ガルベス(Isaac Gálvez López)【自転車競技選手/スペイン】

ホアン・リャネラスとのコンビで1999年2006年の世界自転車選手権のマディソンで2回優勝をしたトラックレース・ロードレサー。2006年11月26日にベルギーで開催された「ヘント6日間レース」に出場したが、レースの最中にベルギーのディミトリ・ドフローに衝突し柵に衝突死。没年31歳。結婚してたった3週間での悲劇であった。ちなみに、この事故以来鬱病となったドフローは2009年11月6日に自殺している。

2007年
【死去】ビル・ハータック(William John Hartack Jr.)【騎手/アメリカ合衆国】

1953年のデビュー以来3年でアメリカ競馬のトップに登り詰めたリーディングジョッキー。1957年のケンタッキーダービーに初優勝し、以降同レース通算5勝。通算21,535戦で4,272勝、1年間に賞金300万ドルを獲得した最初の旗手としても知られる。引退後の2007年11月26日にテキサス州南部のキャンプ場のキャビンで死亡。毎冬にハンティングのために訪れていた場所での自然死であった。没年74歳。

2007年
【死去】磯村隆文【政治家】

大阪市立大学教授から転身し第16代大阪市長に。1995年〜2003年の2期を務めたが2004年に職員の厚遇が問題化され辞任。退任後の2007年に肝臓ガンで死亡。没年77歳。死亡する寸前に大阪市立大学に3,000万円を寄付した。

2008年
【テロ】「ムンバイ同時多発テロ」

インド・ムンバイで10カ所以上のテロ事件が29日までの4日間にわたり同時多発的に発生。死亡者は合計175名(犯行グループの9名を含む)、負傷者は600人以上という甚大な被害が生まれた。犯行に携わったのは、カシミール地方の分離独立狙う南アジア最大の武力系イスラム主義組織「ラシュカレ=トイバ」とみられている。

2011年
【急死】田井宏之【ミュージシャン】「BEAT CRUSADERS」のキーボード、ギター、ボーカルのThaiとして活動したミュージシャン。BEAT CRUSADERSを2003年8月に脱退後は「ANITA CHILIPEPPERS」のボーカルとして活動していたが、心筋梗塞で急死。没年34歳。
2011年
【死去】沼田武【政治家】

千葉県千葉市生まれ。東京帝国大学文学部社会学科卒業後の1946年に千葉県庁に入庁。県職員から1975年に千葉県副知事、1981年に千葉県知事に就任し、以降5期20年にわたり知事の職務を全うしたが、高齢を理由に退職。その後肺炎で88歳没。