『エレバス山に現在も残されている901便の機体』(2004年に撮影されたもの)

1979年11月28日は、“ホワイトアウト現象”により南極ロス島のエレバス山の斜面に飛行機が激突し、乗員乗客257人全員が即死した「ニュージーランド航空901便エレバス山墜落事故」が発生した日である。
1977年に開始されたニュージーランド航空企画によるガイド付き南極観光飛行の3年目にあたったこの日の901便には、地元住民の他にもアメリカ、日本を始めとして世界各国からの観光客が参加しており、その意味で世界中に衝撃が走った事故であった。
“ホワイトアウト現象”とは雪や雲という気象条件が重なることによって一面の地形が判別不可能になる現象であるが、必ずしも吹雪などの悪天候である必要はないという。当日の記録からは、操縦室の誰もが山の存在を認識していないことがわかっているが、唯一、ブルックス航空機関士は無線が途切れがちなことで障害物の存在に気付いた。
しかしその時にはもう目の前にエレバス山があり、急いで上昇をかけたが間に合わず壁面に正面衝突したのだとみられている。
当初は視界が確保できていない状態で低空飛行をしたパイロットに責任があると結論づけられたが、その後の調査で、緊急的に座標変更があったことやその通知を怠ったことに問題があるとして、最終的には当日の地上職員らを含むニュージーランド航空に責任があるとされた。
場所が場所だけに、遺体回収は困難を極めたが、ヘリコプター5台を投入しなんとか可能な限りの回収に成功。
現地拠点となったスコット基地には、慰霊のための木の十字架が立っている。
そしてその脇には、日本人乗客24名のための桜の木が植えられているという。

(写真はWikipedia Air New Zealand Flight 901より使用。Public Domain)

11月28日の不幸

1960年
【死去】常ノ花寛市【大相撲力士・指導者】

大相撲第31代横綱常ノ花として活躍した大相撲力士であり、第2代日本相撲協会理事長を務めた人物。現役時代は幕内最高優勝10回、幕内通算221勝58敗8分という成績で第31代横綱として活躍し、元力士としては初めて日本相撲協会の理事長に就任した。その任期中には蔵前国技館の完成にも貢献したが、1957年5月4日にその国技館内の取締役室をガスで満たし、腹と首を裂いて鎧通しでの割腹自殺を図った。自殺の理由としては、相撲興行を巡る金銭の問題に自らの一族が関わっていたからとみられている。発見が早かったために一命を取り留めたが、その後継問題でも、千代の山の独立問題が発生することに。1960年の九州場所千秋楽直後の11月28日、滞在中の二日市温泉の旅館で胃潰瘍で急死。没年64歳。

1964年
【死去】松尾芭蕉【俳諧師】

江戸時代前期の俳諧師で芸術性の高い「蕉風」と呼ばれる俳諧の概念を確立させたことでも知られる人物。農民の家に生まれ、1662年に[伊賀国上野の侍大将・藤堂新七郎良清の息子である良忠に仕えながら、俳人の北村季吟に師事し俳諧の道へ。1664年に松江重頼撰『佐夜中山集』へ“松尾宗房”の名で初入集。以後、以降、俳諧師として萩野安静撰『如意宝珠』(1632年)、岡村正辰撰『大和巡礼』(1633年)、吉田友次撰『俳諧藪香物』(1634年)に入集。1672年に処女句集『貝おほひ』を発表。1674年に北村から俳諧作法書『俳諧埋木』を伝授され江戸へ移住。移住後は磐城平藩主・内藤義概の社交場に出入りし“桃青”の名で活動を行なう。1678年に宗匠となり職業的な俳諧師となり句集『桃青三百韻』を発表。1680年頃から”芭蕉”を名乗る。 1684年に東海道などの旅を記した『野ざらし紀行』を刊行し「古池や蛙飛びこむ水の音」など蕉風俳諧を象徴する作品を発表。その後も旅をしながら『笈の小文』『更科紀行』などを記し1689年に代表作『おくのほそ道』の執筆を開始。1691年に句集『猿蓑』を編纂。俳諧師として活動中の1694年11月28日に病により死去。推定没年齢50歳。『おくのほそ道』は死後の1702年に刊行されている。

1972年
【航空事故】「日本航空シェレメーチエヴォ墜落事故」

1972年11月28日にソ連(現・ロシア)の首都モスクワの シェレメーチエヴォ国際空港でデンマーク発モスクワ経由羽田空港へ向かう日本航空446便(ダグラス DC-8-62)が離陸直後に墜落。この事故により乗客乗員合わせて76人中62人が死亡。ボイスレコーダーから事故原因は人為的ミスであることが判明した。

1979年
【航空事故】「ニュージーランド航空901便エレバス山墜落事故」

1979年11月28日に観光飛行中だったニュージーランド航空901便(DC-10型機)が”ホワイトアウト現象”により南極ロス島のエレバス山の斜面に飛行機が激突し、乗員乗客257人全員が即死。地元住民の他にもアメリカ、日本を始めとして世界各国からの観光客が参加しており、その意味で世界中に衝撃が走った事故であった。場所が場所だけに、遺体回収は困難を極めたが、ヘリコプター5台を投入しなんとか可能な限りの回収に成功。現地拠点となったスコット基地には、慰霊のための木の十字架が立っており、その脇には日本人乗客24人のための桜の木が植えられているという。

1985年
【死去】白洲次郎【実業家】『ジャパン・アドバタイザー』の記者、セール・フレイザー商会、日本食糧工業(後の日本水産)取締役等の経歴から吉田茂と懇意になり、終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官等を歴任、GHQ占領下の日本で吉田茂の右腕として活躍した官僚であり、その後に東北電力会長などを務めた。妻は随筆家の白州正子。1985年11月にの旅行後に胃潰瘍と内臓疾患で入院、そのまま11月28日に死亡。83歳没。遺言には「葬式無用 戒名不用」と記し墓碑には正子発案の不動明王を表わす梵字が刻まれている。
1987年
【航空事故】「南アフリカ航空295便墜落事故」

1987年11月28日、台湾発モーリシャス経由南アフリカ着の南アフリカ航空295便(ボーイング747-200B)がモーリシャス近海のインド洋を飛行中に貨物エリアから火災が発生し墜落。 乗客乗員を合わせた159人全員が死亡。 事故原因は機内のコンピュータ機器から発火した可能性が高いとされるも未だ不明のまま。

1991年
【宗教問題】「創価学会破門」

1991年11月28日、日蓮正宗(宗門)から創価学会および創価学会インタナショナル(SGI)が破門される(魂の独立記念日)。

1993年
【死去】水原明窗【切手収集家・切手研究家】

世界的に有名な中国切手の収集家。1946年に中国から復員し日本郵趣協会の理事長に就任。日本及び外国の切手カタログの出版や郵趣用品を開発し普及させた。1966年から今現在まで毎秋開催されている日本初の全国切手展を開催し、日本における切手収集の基礎を築いた。主な著書に『華郵集錦』『中国解放区郵票図鑑』などがある。「切手の博物館」を運営する「財団法人フィラテリーセンター」を設立後、膵臓ガンによって死去。69歳没。

1994年
【獄中死】【殺人】ジェフリー・ダーマー(Jeffrey Lionel Dahmer)【連続殺人犯/アメリカ合衆国】

1978年〜1991年という長期にわたりオハイオ州やウィスコンシン手で17人もの青年を殺害し、解体、死姦、人肉食を行なった”ミルウォーキーの食人鬼”。幼い頃からの虐待などで心神喪失の兆候がみられたために情状酌量も検討され、元FBI捜査官として知られるロバート・K・レスラーによる事情聴取も行われたが、死刑制度のないウィスコンシン州の極刑である終身刑が確定。服役先のコロンビア連邦刑務所のシャワー室で黒人収容者クリストファー・J・スカーヴァーにベンチプレス用の鉄棒でもう一人の白人の囚人と共に撲殺された。スカーヴァーはその理由を”神に殺すように言われた”と語ったが真相は不明。

2010年
【死去】シルヴィア【歌手】

本名・松田理恵子。大阪府東大阪市の出身で元実業団のバレーボール選手だったが、歌っているところをスカウトされ、ロス・インディオス&シルヴィアとして活動開始。1979年9月にデビュー曲『別れても好きな人』がリリースされ、ミリオンセラーを記録。一躍スター歌手へ上り詰めた。1982年には、菅原洋一とのデュエット曲『アマン』をヒットさせデュエットの女王として地位を確立。2009年5月に体調不良により、病院で精密検査をしたところ、末期の肺ガンで既に転移していたことが判明。その後も歌手活動を続けていたが、2010年9月に入って体調を崩し、再入院。危篤状態になり、意識が戻らないまま、約1年半にわたる闘病生活の末、前夫と一人息子で歌手の中山貴大に看取られながら死亡。52歳没。

2014年
【死去】菅原文太【俳優】映画『仁義なき戦い』シリーズ、『トラック野郎』シリーズという日本映画史に残るヒット作で知られる、戦後日本を代表する俳優。スタイリッシュなルックスと、ドスの利いたアウトローの演技で国民的人気を誇った。晩年は俳優をリタイヤし、山梨県韮崎市で農業に従事。12月5日には「いのちの党」なる国民運動グループを結成し、その代表として活動したが、2014年に転移性肝ガンによる肝不全で82歳没。奇しくも、同時代を牽引した日本映画界のもう一人の巨星、高倉健の死からたった2週間ほど遅れての死だった。
2016年
【航空事故】「ラミア航空2933便墜落事故」

2016年11月28日にボリビアのビルビル国際空港からコロンビアのホセ・マリア・コルドバ国際空港へ向かっていたラミア航空2933便(アブロRJ85)がコロンビアのメデジン郊外アンティオキア県ラ・ウニオンの山中で墜落。この事故により乗客乗員合わせた77人中71人が死亡。同機にはブラジル・セリエA所属サッカークラブのアソシアソン・シャペコエンセ・ジ・フチボウら首脳メンバーらが搭乗しておりサッカー関係者が多数死亡した。事故原因はサッカー選手からチェック・インした荷物内にあるビデオゲームを取り出したいと頼まれ対応した結果、経由地で給油が行なえなかったなど人的ミスが重なった結果であった。

2017年
【国際事件】【窃盗事件】「北海道渡島小島・不審船窃盗事件」

2017年11月28日に北海道渡島小島湾内に木造船が停泊しているのをパトロール中であった警察のヘリコプターが発見。翌29日に海上保安庁の巡視船が向かったところ木造船の乗組員らが逃亡、函館港沖で逮捕された。逮捕された乗組員は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)朝鮮人民軍第854部隊に所属する木造船で当時無人だった渡島小島に侵入し10人の乗組員が10日間にわたり島内施設の家電製品などを多数窃盗していたことが判明。船長は窃盗罪の有罪判決となり船長含む乗組員10人全員がその後強制送還されている。