12月4日の不幸
- 1972年
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【海難事故】【未解決事件】「メアリー・セレステ号事件」
1972年11月7日にニューヨークからジェノバへと出港していたメアリー・セレステ号が行方不明に。そのままポルトガル沖を無人のまま漂流していたところを12月4日に発見された。船には6カ月分の食料が残された状態で、血痕や争った形跡と、血塗れの件が残されていたが、真相は不明のまま現在に至る。
- 1976年
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【薬物過剰摂取】【夭折】トミー・ボーリン(Tommy Bolin)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】
ロック・バンド「ゼファー」「ジェイムス・ギャング」等で活躍後の1975年にリッチー・ブラックモアの後任として加入したギタリスト。1976年7月のディープ・パープルは解散後は自らのバンドを結成するなど活動していたが、1976年12月4日に前座として参加していたジェフ・ベックのツアーで滞在中のフロリダ州マイアミのホテルで死亡。没年25歳。死因は長年にわたり過剰摂取したヘロインのオーバードース。
- 1991年
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【倒産】「パンアメリカン航空倒産」
1927年3月14日に創業し長らくアメリカ最大手の航空会社として君臨したパンアメリカン航空がこの日をもって倒産。原因は高価格貸したコストの削減ができなかったことと1970年代のジミー・カーター政権下で導入された航空自由化政策の悪影響など。
- 1993年
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【死去】フランク・ザッパ(Frank Vincent Zappa)【ミュージシャン・作曲家/アメリカ合衆国】
ロック・バンド「マザーズ・オブ・インベンション」のリーダーとしてデビューし、サイケデリック・ロック、アシッド・ジャズ等多くの現代ポップシーンに影響を与えたミュージシャン、ギタリスト。晩年はクラシック音楽やコンピューター音楽の作曲にも進出していた。生涯60枚以上のアルバムをリリースした多作な人物として知られ、代表作に『Freak Out !』『We’re Only in It For the Money』『Hot Rats』『Over Night Sensation』等がある。また、検閲機関への抗議活動や大統領選出馬を含む政治的発言でも知られる人物であった。ディープ・パープルの1972年の大ヒット曲『Smoke on the Water』のモデルになったのはザッパが1971年にモントルーのカジノでライブを開催した際に狂信的なファンが起こした火災であるが、その12月4日に、前立腺ガンで死亡した。52歳没。
- 1999年
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【夭折】大翔鳳昌巳【大相撲力士】
1990年1月に立浪部屋からデビューし1993年1月場所に小結まで昇進した大相撲力士。1997年1月からは怪我の影響もあり十両に陥落し、そのまま現役生活を続けていたが、1999年3月場所後の精密検査膵臓ガンが発見され(本人には急性膵炎と告知)、同年6月に現役引退。幕内通算222勝261敗27休。準年寄・大翔鳳となったものの闘病生活となり、そのまま1999年12月4日に死亡した。没年32歳。
- 2011年
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【死去】ソクラテス(Sócrates)【サッカー選手・医師/ブラジル】
1982年、1986年のワールドカップにテレ・サンターナ率いるブラジル代表の一員として出場した名選手。ジーコ、ファルカン、トニーニョ・セレーゾとの”黄金の4人”で中盤を形成した魅力的な攻撃サッカーで世界を席巻したが、優勝をすることはできなかった。現役引退後はスポーツ・クリニックを経営していたが、重度の喫煙と飲酒が原因で消化器出血と肝臓疾患を併発。最終的には腸内感染症からの敗血症により死去。没年57歳