『エンバーミング処理されたロザリア・ロンバルドの遺体』

1920年12月6日は、パレルモの“カプチン・カタコンベの眠れる美女”と呼ばれるロザリア・ロンバルドの死亡した日である。
パレルモの役人であったマリオ・ロンバルドの娘であったロザリアは、たった2歳で肺炎のために死亡した。
その早過ぎる死を惜しんだマリオは、腕利きのエンバーマーとして知られたアルフレード・サラフィアに愛娘の遺体を委ね、公開することを望んだ。
果たして、そのエンバーミングは他のどの死体にも勝る美しさで、「カプチン・カタコンベ」で公開されることになったが、そのあまりの瑞々しい美しさに、サラフィアの技術が注目を浴びることとなった。
しかし彼は、長年その秘密を明かすことはなかった。
1933年にサラフィアは死に、その死後80年以上も経った2009年になり、彼の遺族から秘密のレシピが公開されることになったが、その秘密の手法としてはホルマリンを体内に注入するという、当時では考えられなかった方法によるものであった。
そして彼女の死から100年が経とうとしている現在も、その遺体は生々しい美しさを称えている。
父親の愛情が、一人の天才の力を借り、美しい少女の姿を永遠のものにしたのだ。

(Wikipedia Rosalia Lombardoより使用。Public Domain)

12月6日の不幸

345年
【死去】ミラのニコラオス(聖ニコラウス)【大主教・聖人/パタラ(現・トルコ)】

3世紀から4世紀の小アジア南西部ローマ帝国リュキア属州の大主教でサンタクロースのモデルのひとりとして知られる人物。死後聖遺物となり正教会では“ミラ・リキヤの大主教奇蹟者聖ニコライ”として信仰されている。345年12月6日に死去。死亡した年は352年とする説もある。没年齢不明。

1185年
【死去】アフォンソ1世(Afonso I)【王族/ポルトガル】

12世紀にポルトガル王国を建国しボルゴーニャ王朝初代ポルトガル王(1139年〜1185年)となった人物。ボルゴーニャ家の祖でポルトゥカーレ伯であったエンリケ・デ・ボルゴーニャの子として生まれ、1128年頃からポルトガルの独立を目指して活動を開始。1139年にポルトガル南部のイスラム教徒との戦い(オーリッケの戦い)に勝利しポルトガル王を自称する。その後、対抗していた主君カスティーリャ=レオン王国と和平を締結し同年にポルトガル王国を樹立し初代ポルトガル王へ即位。1185年12月6日に死去。没年76歳。

1311年
【死去】北条貞時【執権】

鎌倉時代に鎌倉幕府第9代執権となった人物。鎌倉幕府第8代執権・北条時宗の子として生まれ1284年に時宗が死去したため、第9代執権に就任。就任後は「霜月騒動」(1285年)などの相続問題が起こる。1293年に北条氏得宗家の内管領であった平頼綱を殺害(平禅門の乱)し北条家の実権を握ることに。1297年に永仁の徳政令を発布。1305年に「嘉元の乱」が勃発し北条宗方を殺害。晩年は政務を行なわず堕落した生活を送り1311年12月6日に病により死去。没年41歳。

1352年
【死去】クレメンス6世(Clemens VI)【ローマ教皇/フランス】

14世紀フランスのアヴィニョン捕囚時期に第198代ローマ教皇(1342年〜1352年)となった人物。フランス貴族の家に生まれ、1342年にローマ教皇へ即位。1346年に対立する神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世を廃位しカール4世を皇帝へ擁立。1352年12月6日に死去。没年61歳。

1672年
【死去】ヤン2世(Jan II Kazimierz Waza)【王族/ポーランド】

17世紀ポーランドの王族でポーランド・リトアニア共和国国王(1648年〜1668年)およびスウェーデン王(称号のみ/1648年〜1660年)となった人物。ポーランド・リトアニア共和国国王ジグムント3世の子として生まれ、兄ヴワディスワフ4世の庇護の下過ごす。1648年にポーランド・リトアニア共和国国王に即位。即位後は「ロシア・ポーランド戦争」「北方戦争」など隣国との戦争が続き(大洪水時代)1668年に退位。晩年はイエズス会の修道院長として過ごし1672年12月6日に死去。没年63歳。

1887年
【死去】島津久光【政治家】

江戸時代末期から明治時代初期にかけての政治家および玉里島津家初代当主。島津家27代当主(薩摩藩10代藩主)島津斉興の息子として生まれ、1847年に軍役方名代となる。1861年に島津藩の実権を掌握し鹿児島城二の丸邸へ移住。1862年に公武合体運動推進のため挙兵し京都へ向かい「寺田屋事件」を起こす。1867年に四侯会議を開き、以降倒幕路線へ向かうことに。翌年に明治維新が勃発、1871年の廃藩置県に反発するも玉里島津家を創立。1873年に内閣顧問を経て左大臣に就任。1875年に左大臣を辞退し鹿児島へ帰郷。晩年は史書『通俗国史』など著作や編纂に専念し1887年12月6日に死去。没年71歳。

1889年
【死去】ジェファーソン・デイヴィス(Jefferson Finis Davis)【軍人・政治家/アメリカ合衆国】

19世紀アメリカの軍人および政治家で「南北戦争」時代にアメリカ連合国初代大統領(1861年〜1865年)となった人物。米墨戦争を経て戦後は政治家フランクリン・ピアースの秘書となるり下院議員、上院議員を経て上院軍事委員会委員長に就任。1853年にピアースが大統領へ就任すると陸軍長官として入閣。1861年に暫定大統領に選出され、同年にアメリカ連合国初代大統領に就任。就任後は「南北戦争」を指導するも1865年に敗戦し戦犯として収監され公職就任の資格を剥奪されることに。保釈後の1876年に対南米貿易奨励協会を開設し政治活動を再開。回想録『南部連合の物語』を書き上げた2カ月後の1889年12月6日に死去。没年81歳。

1892年
【死去】ヴェルナー・フォン・ジーメンス(Ernst Werner von Siemens)【技術者・発明家・実業家/ドイツ】

19世紀ドイツの電気技術者・発明家および実業家で電機・通信の大手企業シーメンスの創業者、電磁気の単位ジーメンスの名称として知られる人物。陸軍で工学を学び、技術将校として電磁式指針電信機や地下ケーブルを発明。除隊後の1847年にジーメンス・ウント・ハルスケ社を創設。1888年に叙爵され1890年に引退。1892年12月6日に死去。没年75歳。

1917年
【夭折】ロザリア・ロンバルド(Rosalia Lombardo)【イタリア/少女】

パレルモの役人であったマリオ・ロンバルドの娘であり、たった2歳で肺炎のために死亡した少女。その早過ぎる死を惜しんだマリオは、腕利きのエンバーマーとして知られたアルフレード・サラフィアに愛娘の遺体を委ね、エンバーミング処理の後に「カプチン・カタコンベ」で公開。他のどの死体にも勝る美しさで、パレルモの”カプチン・カタコンベの眠れる美女”と呼ばれている。

1917年
【水上事故】『ハリファックス大爆発』

カナダ・ノバスコシア州のハリファックス港で軍事用の火薬を大量に積んだフランスの貨物船モンブランが停泊中のノルウェー船イモに衝突。主にモンブランに積まれていた2,600トンもの火薬類が爆発し、”人類史上最大の火薬爆発事件”といわれている。モンブランの乗員は激突後に対岸に非難し、難を逃れたが、25分後にハリファックス港に流れ着いた船は大爆発を起こし、消火員や救助員、そして多くの見物人と、住民の約2,000人が死亡、約9,000人が負傷という大惨事であり、当時人口5万人のハリファックス市の20パーセント以上が死傷した計算になる。

1957年
【爆破事故】「米初人工衛星ヴァンガードTV3打上げ失敗」

1957年12月6日にソ連のスプートニク1号に対抗したアメリカ初の人工衛星・ヴァンガードTV3の打ち上げ実験が行なわれるも発射直後ロケットエンジンの異常により爆発。この爆発による死者はでていない。

1989年
【大量殺人】【スクールシューティング】「モントリオール理工科大学虐殺事件」

アンチフェミニストの学生、マルク・ピレーヌが、フェミニストの殺害を狙って教室内に突入。女生徒9人のうち6人を射殺し、そのまま他の教室にいた女生徒にも乱射を続け、合計で14人の女生徒を殺害し、14人の生徒を負傷に追い込んだ。そしてそのまま自らも拳銃自殺。没年25歳。犯行の動機は幼い頃から父親に植えつけられたアンチフェミニズムであったといわれている。ちなみに、この事件を目撃した生徒がそのショックから立ち直れず自殺するという事件も発生している。

1990年
【死去】トゥンク・アブドゥル・ラーマン(Tunku Abdul Rahman Putra Al-Haj ibni Almarhum Sultan Abdul Hamid Shah)【政治家・弁護士/マレーシア】

“マレーシア独立の父”と称される20世紀マレーシアの政治家でマラヤ連邦初代首相(1957年〜1970年)となった人物。第24代クダ王国スルタンのアブドゥル・ハミド・ハリムの息子として生まれ公務員、弁護士などの職に従事。1950年頃から統一マレー国民組織(UMNO)に参加し1951年に同組織の党首に就任。就任後はマラヤ連邦独立に尽力し1957年にマラヤ連邦が独立すると初代首相に就任。1960年にイスラーム福祉組織(PERKIM)を設立。1963年にマラヤ連邦がマレーシアに改編された後も首相として政治活動を行ない1967年にASEAN結成。1970年に首相を辞退し1977年にペナンの新聞社社長に就任。晩年まで政治活動を続け1990年12月6日に死去。没年87歳。

1998年
【死去】ロイ・オービソン(Roy Kelton Orbison)【歌手/アメリカ合衆国】

1964年のヒット曲『Oh, Pretty Woman』で知られるロックン・ロール・シンガー。晩年までツアーに出るなど精力的な活動を続けたが、心筋梗塞で52歳没。

2008年
【暴動】「2008年ギリシャの暴動」

2008年12月6日、ギリシャの首都アテネで投石を行なった少年を警官が射殺したことを受けギリシャ全土で抗議行動が行なわれ一部の民衆が暴徒化。商店や車両などが放火され警官24人が負傷、6人が逮捕されることとなった。その後暴動は同月21日まで続いた。

2017年
【死去】海老一染之助【曲芸師】

2歳上の兄である海老一染太郎とのコンビで長らく活躍した太神楽(だいかぐら)師。実際の曲芸を行なう「肉体労働」担当。「おめでとうございま〜す!」「いつもより余計に回しておりま〜す!」という兄のかけ声とのコンビ芸で主に正月等の祝い事を中心に活躍した。2002年2月2日に染太郎が70歳で死亡してからは1人で活動していたが、晩年は糖尿病を患い、2017年12月6日に肺炎で死亡。没年83歳。