『事故現場に再現された巨大なヒグマの像』

1915年12月9日は、日本の歴史上でも最悪と言われる獣害事件「三毛別熊事件」の初日、太田家を襲ったヒグマが、内縁の妻と預かっていた子供を殺害した日である。
その後ヒグマが撃ち殺された12月14日まで、全7人の死亡者(後遺症で死んだものも含めれば8名)と3人の重傷者を出した。
体長はおよそ2.7メートル、体重340キロという桁違いの大きさを誇ったその熊は、冬眠をし忘れたのはその巨体に合う巣穴が見つからなかったためだともいわれている。
人間の味を覚えて翌日10日に執り行なわれた太田家の葬儀にまで現われたそのヒグマは、そのまま立ち寄った明景家で腹の中の赤子を含む5人を殺傷したのだ。
しかし村人は、たった二日の惨状を経て、驚異的な解決法を採った。
一度失った獲物を取り戻そうとするヒグマの習性を利用するため、7人の死骸をおとりに使っておびき寄せたのである。
もはや生命も尊厳もかなぐり捨てて討伐隊を結成して立ち向かった結果、14日にヒグマを射殺することに成功。
人間には、目を覆いたくなるような多くの《悲劇》を乗り越え、現在の歴史を築いてきたのである。

(写真はWikipedia 三毛別熊事件より使用。Public Domain)

12月9日の不幸

1915年
【獣害事件】「三毛別羆事件」

1915年12月9日朝、北海道苫前郡苫前村三毛別(現苫前町三渓)に住む太田家を体長およそ2.7メートル、体重340キロという巨大なヒグマが急襲。内縁の妻と預かっていた子供を喰い殺した。人間の味を覚えて翌日10日に執り行なわれた太田家の葬儀にまで現われたそのヒグマは、そのまま立ち寄った明景家で腹の中の赤子を含む5人を殺傷。14日に死骸をおとりに使っておびき寄せ射殺するまで、7人の死亡者と3人の負傷者を出したヒグマによる歴史上最悪の事件となった。

1916年
【死去】夏目漱石【小説家・教員】

明治から大正期にかけて『吾輩は猫である』『坊っちゃん『三四郎』『こゝろ』等数々の小説を発表した戦前の日本を代表する小説家。1984年11月から現在に至るまで千円札に肖像が使用されていることでも知られる。晩年は胃潰瘍と糖尿を患い、『朝日新聞』に『明暗』を連載中の1916年12月9日に胃潰瘍で死亡。没年49歳。

1975年
【死亡】ウィリアム・A・ウェルマン(William A. Wellman)【映画監督・俳優/アメリカ合衆国】

1927年の監督作『Wings(つばさ)』で第1回アカデミー作品賞を受賞したアメリカを代表する監督。1937年の『A Star Is Born(スタア誕生)』等数々のヒット作を手がけ、1975年12月9日白血病で死亡。没年79歳。

1986年
【芸能事件】「フライデー襲撃事件」

交際していた女子専門学校生への『フライデー』誌記者の強引な取材態度に腹を立てたビートたけしが、1986年12月9日深夜3時頃にたけし軍団11人を引き連れて講談社同誌編集部に押し入った事件。担当者を出すように言ったが、そのまま乱闘となり、編集部員、編集長らが重軽傷を負う結果となった。この結果、判決が確定するまでの8カ月間、たけしは芸能活動を自粛し謹慎処分に。その後の公判により懲役6カ月執行猶予2年の刑が確定した。

1989年
【死亡】開高健【小説家・随筆家・編集者】

大阪市立大学在学中に北尾書店に入社し編集やコピーライターとして活動。この時トリスウイスキーの「人間らしくやりたいナ」などを手がける。同社の社員時代の1958年に小説『裸の王様』で芥川賞を受賞。戦後期を代表する小説家として人気を博すが、その一方で遅筆が原因でトラブルも多かった。また、1968年に毎日出版文化賞を受賞した『輝ける闇』等のノンフィクションや釣りや食事等の趣味人としての知識を活かしたエッセイ・紀行文など様々なジャンルで幅広く著作を発表し続けた。1989年に食道ガンの手術後、食道ガンに肺炎を併発し死亡。没年58歳没。死後、その功績を称え1992年から2001年まではTBSブリタニカが「開高健賞」を、2003年からは集英社が「開高健ノンフィクション賞」を創設した。また、生前すごした神奈川県茅ヶ崎市に「開高健記念館」がある。

2015年
【死去】野坂昭如【作家・作詞家・歌手・タレント】

代表的小説『火垂るの墓』や処女小説『エロ事師たち』で知られた昭和期を代表する小説家。作詞家としては童謡『おもちゃのチャチャチャ』等を手がけたほか、『マリリン・モンロー・ノー・リターン』『黒の舟歌』『バージン・ブルース』等の代表曲として知られる歌手としても活躍した。東京地検が、編集長を務めた『面白半分』1972年7月号に掲載した永井荷風作といわれる小説『四疊半襖の下張』が東京地検によりわいせつ文書販売の罪で起訴された『四疊半襖の下張』でも世間を賑わせた(結果的には最高裁まで争われわいせつ文書に当たるとの判決。野坂に罰金10万円、面白半分社佐藤嘉尚社長に罰金15万円が下った)。晩年はテレビタレントとしても活躍、友人の大島渚の結婚30周年記念パーティーで殴り合いを演じるなど、トラブルメーカーとしても知られた。2003年に脳梗塞で倒れて以降は執筆とリハビリに専念し続け、2015年12月9日に心不全で89歳没。