『三億円事件の際に公開された犯人のモンタージュ写真』

1968年12月10日は、日本犯罪史上最も話題を呼んだ未解決事件のひとつ、『三億円事件』の発生した日である。
東京芝浦電気(現東芝)の従業員に支払われるボーナス用の現金2億9,430万7,500円を運搬していた現金輸送車が、偽の白バイ警官によって窃盗されたこの事件。
犯人は自らが起こしたとされる12月6日の『日本信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)国分寺支店長脅迫事件』を利用し、偽の検問で現金輸送車を強奪するなど、暴力沙汰も一切ない、極めて静かな計画的犯行だった。
犯人の捜査に難航した警察は犯人のモンタージュ写真を公開したが、これは犯人の証言から作成されたものではなく、容疑者の少年の写真をそのまま流用したものであったために、操作は混乱。
後に警察は自らが出した写真を犯人像と結びつけないように発表する等、明らかな迷走を露呈した。
当事者の少年も5日後に青酸カリで服毒自殺したが、様々な状況証拠から、死後、犯人ではなかったと断定されている。
その後も数多くの容疑者が浮かんでは消えたが、事件は混迷のまま1975年12月10日に時効が成立。
時効成立後に犯行を名乗り出る人物も現われたが、いずれも本人ではなかったと言われ、事件は未解決のまま現在を迎えている。

(画像は警視庁により当時公開された犯人のモンタージュ写真)

12月10日の不幸

1867年
【暗殺】【夭折】坂本龍馬【志士・実業家】

土佐藩士から脱藩し、薩長同盟の斡旋や大政奉還など、明治維新に向けた日本で暗躍した数々の業績で知られる人物。大政奉還直後の1867年11月15日に京都の近江屋井口新助邸での「近江屋事件」で中岡慎太郎、山田藤吉とともに暗殺された。没年31歳。

1896年
【死去】アルフレッド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel)【化学者・発明家/スウェーデン】

ダイナマイトの発明に代表される350以上もの特許を取得した化学者、発明家。ダイナマイトで得た莫大な遺産を活かし、遺言を残しノーベル賞を創設したことで広く知られている。晩年は心臓病を患い、脳溢血で63歳没。

1901年
【社会事件】「田中正造直訴」

1901年12月10日、東京市日比谷で帝国議会開院式から帰宅中の明治天皇に対し議員辞職をして間もない田中正造が足尾鉱毒事件について直訴を行なう。

1958年
【心中】「天城山心中」

天城山で学習院大学の同級生だった愛新覚羅慧生(当時19歳)と大久保武道(当時20歳)がピストル心中。バンカラな地方出身者の大久保を旧満州国最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の姪である慧生の家族(旧侯爵嵯峨家)が拒絶したために交際することができず、そのことを苦にしての心中だったといわれている。事件後、学生の悲恋を「天国に結ぶ恋」として各社が報道したために全国的な美談となり、1958年には『天城心中 天国に結ぶ恋』として映画化されるほどの社会現象となった。

1967年
【航空事故死】オーティス・レディング(Otis Ray Redding Jr.)【シンガーソングライター/アメリカ合衆国】

1960年頃から活動を始めたソウル・シンガーであり、その独特な歌唱法とカリスマ性により”キング・オブ・ソウル”として知られるシンガーソングライター。代表曲にジェリー・バトラーとの『I’ve Been Loving You Too Long』等。1967年の「モントレー・ポップ・フェスティバル」に出演し、人種を問わない全世界的な人気を獲得した。1967年12月10日に、公演先のウィスコンシン州マディソンに向かい、同行のバーケイズのメンバー5人とマネージャーと乗ったプライベート機で濃霧によりモノナ湖に墜落。バーケイズのベン・コーリーを除く7人(パイロット含む)が死亡した。没年26歳。その死の3日前にレコーディングされたアルバム『The Dock of the Bay』は翌年1月8日に発売され、同月にビルボードチャートの1位を獲得し、オーティス最大のヒットとなった。

1968年
【獄中死】田漢(でんかん・Tian Han)【劇作家・詩人・活動家/中華人民共和国】

20世紀中国の劇作家・詩人および社会活動家で中国国歌『義勇軍進行曲』の作詞者として知られる人物。1917年に日本へ留学し1920年に帰国。翌年に雑誌『南国月刊』を創刊し戯曲を発表。以降、戯曲を発表し中国話劇の代表的な劇作家のひとりへ。1925年に南国社を創設、1928年に南国舎を南国芸術学院へと改める。1932年に中国共産党へ入党。1935年に映画『風雲児女』の主題歌として『義勇軍行進曲』を作詞。その後、中国戯劇家協会主席などを勤め、話劇・京劇といった伝統演劇改革も指導。1966年に「文化大革命」が勃発、田漢の思想が日本文化に依拠しているとされ逮捕・投獄されることに。投獄中の1968年12月10日に死去。没年70歳。

1968年
【未解決事件】【窃盗事件】「三億円事件」

1968年12月10日、東京都府中市で現金2億9430万7500円を積んだ現金輸送車が白バイ隊員を装った犯人に輸送車ごと奪われる事件が発生。その後、捜査が行なわれるも犯人特定ができないまま1975年に公訴時効が成立、未解決事件となった。

1978年
【死去】エド・ウッド(Edward Davis Wood, Junior)【映画監督/アメリカ合衆国】

生涯にわたり数多くの低予算映画、それもセクスプロイテーション映画や俗悪なホラーなどの作品を手がけ、しかも全くヒットに恵まれず、生前から”最低の映画監督”の名をほしいままにした人物。代表作に『Bride of the Monster』『Plan 9 From Outer Space』等。晩年はアルコール依存症を患い、心臓発作で54歳没。死後の1994年のティム・バートンによる映画『エド・ウッド』でその存在と作品がクローズアップされた。

1979年
【政治事件】「美麗島事件」

1979年12月10日、台湾南部の高雄市で“世界人権デー”に合わせて中国国民党の台湾独裁政治に反対する政治家・黄信介が設立した雑誌『美麗島』主催のデモ運動が無許可で行なわれ治安部隊と衝突。その後、黄信介らが投獄され同事件は言論弾圧事件として台湾民主化に大きな影響を与えることとなった。

1993年
【死去】中井英夫【小説家】

昭和から平成初頭にかけて活躍した小説家で日本推理小説三大奇書のひとつ『虚無への供物』の作者として知られる人物。幼少期から江戸川乱歩の作品に影響を受け『足の裏を舐める男』など妄想小説を執筆。1946年の大学在学中に『新思潮』の編集に携わり卒業後は日本短歌社へ入社。その後、短歌雑誌『短歌研究』『日本短歌』の編集長に就任。1956年に角川書店へ入社し短歌雑誌『短歌』編集長へ就任。1964年に講談社から塔晶夫名義で『虚無への供物』を刊行。1974年に小説『悪夢の骨牌』を発表し泉鏡花文学賞を受賞。1986年に『中井英夫作品集』を刊行。小説家として活躍中の1993年12月10日に肝不全で死去。没年71歳。

1994年
【事故死】【奇妙な死】【夭逝】ガーネット・シルク(Garnett Silk)【ミュージシャン/ジャマイカ】

1990年代初頭に活躍したレゲエ・ミュージシャンおよびディージェイ。10代からディージェイとして活動を開始。その後、レゲエ・ミュージシャンに転向しアルバム『It’s Growing』(1992年)『Gold』(1993年)などを発表。ミュージシャンとして活動中の1994年12月10日に実家で起きた不慮の火災により死去。没年28歳。火災については麻薬関連での暗殺説などが噂された。

1999年
【死亡】リック・ダンコ(Rick Danko)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

ボブ・ディランとの活動などで知られる世界的ロックンロールバンド「ザ・バンド」のメンバーとして知られるロックンロールミュージシャン。ザ・バンド在籍時はギター、ベース、ヴォーカルを担当。1976年のザ・バンド第一次解散後はソロで活動したが、1997年5月6日の来日中にはアメリカの妻からヘロインを送らせた罪で逮捕され、7月24日に強制帰国となったことも。1999年12月10日に自宅で就寝中に死亡。死因は長年のドラッグ使用とアルコール常用による心臓疾患とされた。没年55歳。

2001年
【死去】江戸家猫八 (3代目)【物真似師】

昭和に活躍した物真似師で主に動物の声帯模写で知られる人物。初代江戸家猫八の息子として生まれ、1940年に古川緑波一座へ入団し俳優となる。「第二次世界大戦」従軍中に被爆する。終戦後の1950年に初代江戸家猫八のものまね芸を引き継ぎ、3代目江戸家猫八を襲名。以降、俳優業や物真似師として活躍しNHK『お笑い三人組』などに出演。1979年に落語協会から落語芸術協会へ移籍。その後、文化庁芸術祭大衆芸能部門優秀賞受賞(1981年)紫綬褒章(1988年)勲四等旭日小綬章(1994年)などを受賞。2001年12月10日に心不全のため死去。没年80歳。

2005年
【死亡】リチャード・プライヤー(Richard Pryor)【コメディアン・俳優/アメリカ合衆国】

『エド・サリバンショー』で活躍し世界的知名度を獲得した黒人スタンダップ・コメディアン。ジーン・ワイルダーとの『大陸横断超特急』等、映画俳優でも活躍したが、長きにわたりアルコール・ドラッグの依存症を患い、映画『Bustin’ Loose』制作中の1980年6月9日にはコカイン使用の果てにラム酒を浴びて点火するという事故を起こし、全身の50パーセント以上を火傷をしたことも。20年もの間多発性硬化症に苛まれ、そのまま2005年12月10日に心臓疾患で死亡。没年65歳。

2006年
【死亡】アウグスト・ピノチェト(Augusto José Ramón Pinochet Ugarte)【政治家・軍人/チリ】

チリ陸軍に入隊し、陸軍大将、陸軍総司令官の要職を務め、1973年にアメリカの支援を受けての社会主義政権のサルバドール・アジェンデ政権へのクーデターに成功。翌年第30代チリ共和国大統領に就任し、引き続きアメリカの後ろ盾を受けて”チリの奇跡”と呼ばれる政策で国内経済を立て直すなど長年にわたり政権を維持した。国民投票で1990年に退任したが、その後も陸軍総司令官として権勢を誇り、陸軍退官後も終身上院議員として活躍。晩年は左派活動家への殺人容疑で起訴されたが、健康上の理由などで罪に問われることはなかった。2006年12月10日14時15分に心不全で91歳没。

2007年
【死去】桑原甲子雄(くわばら・きねお)【写真家・編集者】

1930年代から活躍した写真家および編集者。高校卒業後から写真を撮り始め、1934年からアマチュア写真家として活動を開始。同年にシュミット商会協賛ライカ作品公募コンクールで特賞を獲得。以降、『アサヒカメラ』『フォトタイムス』といったカメラ雑誌で入選し続け1937年に『カメラアート』の推薦作家へ選出されることに。1940年に南満州鉄道主催の八写真雑誌推薦満洲撮影隊へ参加。帰国後に満州撮影隊現地報告展へ作品を出展。1944年に太平洋通信社(PNP)の写真部員となりプロ写真家としてデビュー。戦後はアルス出版社の雑誌『カメラ』の編集長に就任。その後『サンケイカメラ』『カメラ芸術』など写真雑誌の編集長を歴任。2007年12月10日に老衰で死去。没年94歳。

2010年
【死去】正司玲児【漫才師】

どつき夫婦漫才コンビ「正司敏江・玲児」として活動した上方漫才師。元々は正司歌江門下にいたが、マネージャーの玲児が芸能人の敏江に手を付けるというタブーを犯したために破門され、その後に夫婦であることを隠して1966年に神戸松竹座で再デビュー。その後の活躍により歌江からも商事を名乗ることを許された。1974年に玲児の浮気が発覚し離婚となったが、コンビは継続。2012年12月10日に成人T細胞白血病リンパ腫で71歳没。

2011年
【死去】市川森一【脚本家】

日本大学藝術学部映画学科シナリオコースを卒業し、1966年の『快獣ブースカ』で脚本家デビュー。『ウルトラマンA』『コメットさん』等の子供番組を手がけた後に、ドラマ『傷だらけの天使』の脚本で一躍人気作家となった脚本家。1988年の映画『異人たちとの夏』で同年のり日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞するなど、映画脚本も手がけた。2011年に肺ガンで死亡。没年70歳。

2012年
【死去】小沢昭一【俳優・タレント・エッセイスト】

俳優という範疇に止まらず、落語、随筆、評論、ラジオDJ等々、多岐にわたる芸能活動で知られる人物。俳優としては今村昌平監督の『エロ事師たちより 人類学入門』『楢山節考』等への出演で知られており、早稲田大学在学中に日本初の落語研究会を設立した人物としても知られている。1998年に前立腺ガンが発見され、その後は療養しながらの活動となったが、201年に頸椎に転移。2012年には病状の悪化から入院し、1973年から放送開始したTBSラジオの看板番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』(全10,410回)の継続中の2012年12月10日に死亡。没年83歳。同番組の11月16日の放送回が、生涯最後の仕事となった。