『エルミア・デ・ホーリー作「アメデオ・モディリアーニ風の女性の肖像画」』

1976年12月11日は、世紀の贋作画家として知られる画家のエルミア・デ・ホーリーが自殺していた日である。
自らの作品で知られることの無かったハンガリー出身のデ・ホーリーは、ピカソ、モディリアーニ、マティス、ルノワール等の有名画家の贋作を長期にわたり制作していたが、第二次大戦中にスパイ疑惑やユダヤ人虐待で収監され脱獄するなど、生涯にわたり安定的な生活を送ることはなかった。
また、私生活では同性愛者であったことで迫害され、メキシコ、スペインでは贋作の疑惑から同棲愛の容疑で収監されている。
金銭的にもジャック・チェンバレン、フェルナン・ルグロらの画商に多くを奪われていたため、贋作作家でありながら商業的に成功したとは言い難い人生であった。
晩年、その人生がオーソン・ウェルズ監督の映画『Fake』(1973年)となり世界的知名度を獲得したが、1976年12月11日、自宅にて服毒自殺死しているところを発見された。
死後、デ・ホーリーの天才的な技術は再評価され、世界各国で多くの個展が開催されている。
果たして、その技術が偽物であったといえるかは評価の分かれるところであるが、その数奇な人生は、紛れもない独創性に彩られている。

(写真はGustavusより使用)

12月11日の不幸

1241年
【急死】オゴデイ(Ögödei)【王族/モンゴル】

13世紀モンゴルで第2代モンゴル帝国皇帝(1229年〜1241年)となった人物。初代モンゴル帝国皇帝チンギス・カンの息子として生まれ、父とともにモンゴル統一に参加。1227年にチンギス・カンが死去すると1229年に皇帝へ即位。即位後は領土拡大のために「第二次対金戦争」「モンゴル・南宋戦争」などを行なう。皇帝に即位中の1241年12月11日に過度の飲酒により急死。没年55歳。

1610年
【死去】【夭逝】アダム・エルスハイマー(Adam Elsheimer)【画家/ドイツ】

17世紀初期のドイツの画家で主にキャビネット絵画(Cabinet painting)で知られる人物。画家フィリップ・ウッフェンバッハの弟子となり1598年にイタリアへ渡る。その後、キャビネット絵画を専門にするヨハネス・ロッテンハマーと出会い、『トビアスと天使ラファエル』(1602年〜1603年)『十字架高揚』(1605年頃)といったキャビネット絵画を発表。1610年12月11日に死去。没年32歳。

1817年
【死去】【夭逝】マリア・ヴァレフスカ(Maria Walewska)【貴族/ポーランド】

19世紀初頭のポーランドの貴族でナポレオン1世の愛人として知られる人物。1804年に一家の借金の肩代わりにアナスターシィ・コロンナ・ヴァレフスキ伯爵と結婚。1807年にナポレオン1世と出会い、その後愛人へ。ナポレオン1世とオーストリア皇女マリー・ルイーズの結婚を知り1809年にポーランドへ帰国。1810年にナポレオン1世の息子アレクサンドルを出産。以後もナポレオン1世との関係は続き1815年にナポレオン1世が流刑地セント・ヘレナ島へ渡ると心痛から病となり1817年12月11日に死去。没年31歳。

1826年
【急死】マリア・レオポルディナ・デ・アウストリア(Maria Leopoldina de Áustria)【貴族・王族/オーストリア・ブラジル】

19世紀オーストリアの貴族でブラジル皇帝ペドロ1世(ポルトガル王ペドロ4世)の皇后として知られる人物。ナポリ王女マリア・テレジアの娘として生まれ、1817年にポルトガル王ペドロ4世と結婚。1822年にペドロ4世がポルトガル王ジョアン6世からブラジル王権を引き継いだためブラジル皇帝ペドロ1世の皇后となる。その後1826年12月1日に夫婦喧嘩が元で流産したことにより10日後の11日に急死。没年29歳。

1840年
【死去】光格天皇【天皇】

江戸時代に第119代天皇(1780年〜1817年)となった人物。閑院宮典仁親王(慶光天皇)の子として生まれ、1780年に天皇へ即位。1817年に仁孝天皇へ譲位し1840年12月11日に死去。没年70歳。

1962年
【刑事事件】恵庭事件

1962年12月11日、北海道千歳郡恵庭町(現・恵庭市)で酪農を営む野崎健美(当時82)・美晴(当時81)の兄弟が同町内の陸上自衛隊島松演習場の騒音により牛乳生産量が落ちたとして自衛隊に訴え「射撃訓練について事前に連絡する」と確約するも約束が守られなかったため、兄弟が自衛隊の着弾地点の通信回線を切断。その後、防衛器物損害(自衛隊法第121条)で兄弟は起訴されるも自衛隊の存在は憲法9条に違反しているとして自衛隊法を違憲とし争い無実となった。

1964年
【射殺】サム・クック(Samuel Cooke)【歌手・シンガーソングライター/アメリカ合衆国】

ソウルミュージックというジャンルの確立に多大な貢献を果たした歌手。19歳で「ソウル・スターラーズ」のリードボーカルとしてデビュー。ゴスペルのアイドル的人気を獲得し、1957年にソロデビュー。『You Send Me』がアメリカのビルボード100とR&Bシングルチャートで1位を獲得し、世界的な人気アーティストとなった。その後も『A Change Is Gonna Come』『Twistin’ the Night Away』『Bring It On Home to Me』等多くのヒット曲をリリースし続けたが、1964年12月11日にハリウッドのモーテルのフロントで射殺され死亡。没年33歳。泥酔状態でナンパした女性とチェックインしたが、女性が身の危険を感じて逃亡。シャワーから上がったクックが半裸でフロントに出たところの悲劇であった。射殺した女性は正当防衛と見なされ罪に問われなかったが、いまだ疑問の残る最後であった。

1976年
【自殺】エルミア・デ・ホーリー(Elmyr de Hory)【贋作画家/ハンガリー】

ピカソ、モディリアーニ、マティス、ルノワール等の有名画家の贋作を長期にわたり制作していた世紀の贋作画家。第二次大戦中にスパイ疑惑やユダヤ人虐待で収監され脱獄するなど、生涯にわたり安定的な生活を送ることはなかった。また、同性愛者としても迫害され、メキシコ、スペインでは贋作の疑惑から同棲愛の容疑で収監されている。金銭的にもジャック・チェンバレン、フェルナン・ルグロらの画商に多くを奪われていたため、贋作作家でありながら商業的に成功したとは言い難い人生であった。晩年、その人生がオーソン・ウェルズ監督の映画『Fake』(1973年)で世界的知名度を獲得したが、1976年12月11日、自宅にて服毒自殺死しているところを発見された。没年70歳。死後、デ・ホーリーのの天才的な技術は再評価され、世界各国で多くの個展が開催されている。

1981年
【引退】「モハメド・アリ引退」

1981年12月11日、WBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオンであったモハメド・アリがジャマイカのトレバー・バービック選手に判定負けし通算成績56勝5敗でプロボクサーを引退。

1994年
【テロ】「フィリピン航空434便爆破事件」

1994年12月11日、 マニラ国際空港から新東京国際空港へ運航中のフィリピン航空434便(ボーイング747-283B)が沖縄県南大東島附近上空で爆破され沖縄・那覇空港へ緊急着陸。その後、爆破は国際的テロリスト集団アルカーイダが航空機爆破計画の予行演習として行なったものと判明。この爆破により乗員乗客合わせて293人のうち爆破された座席に座っていた乗客1人が死亡。

1994年
【死去】レオナルド熊【コメディアン・俳優】

現俳優の石倉三郎との「ラッキーパンチ」、ブッチー武者(後に石倉)との「コント・レオナルド」で人気を博した東京のコメディアン。荒廃した生活や性格難が原因で相棒がコロコロ変わるなど、安定的な活動はできず、最終的にはピン芸人、俳優として活動した。1994年10月に末期の膀胱ガンと診断され、同年12月11日に容態が急変し死亡。没年59歳。

1998年
【航空事故】「タイ国際航空261便墜落事故」

1998年12月11日にドンムアン空港からスラートターニー空港へ向かっていたタイ国際航空261便(エアバスA310)がタイ・スラートターニー空港付近で墜落。乗客乗員合わせた146人中101人が死亡。事故原因は特定されておらず悪天候が原因の1つとされている。またタイ国際航空が加盟し1998年に設立された航空連合スターアライアンス初の事故となった。

2005年
【暴動】「クロナラ暴動(シドニー人種暴動)」

2005年12月4日にオーストラリア北クロナラ海岸でレバノン系の若者に対しライフセイバーをしていた白人男性が「ここは我々(白人)の場所だ。出て行け」と発言したことにより若者らが男性を含む2人に対し襲撃・暴行を加える事件が発生。この事件により5千人の若者が同月11日にオーストラリア・シドニーで中東やレバノン系の住民に対する暴動を起こし26人が負傷する事件へと発展。

2008年
【詐欺事件】【国際事件】「バーナード・L・マドフ逮捕」

2008年12月11日にFBIがアメリカの投資家バーナード・L・マドフを、バーナードの投資会社が資産を運用せず、利益分配を顧客の資金の中から行なっていたとして世界最大規模の巨額詐欺事件で逮捕した。被害者にはHSBCや野村ホールディングスなどが含まれていた。逮捕されたバーナードは150年の禁固刑となった。

2010年
【テロ】「2010年ストックホルム爆破事件」

2010年12月11日にスウェーデン・ストックホルム市内ドロットニングガータン通り付近の商業施設に停車中の2人が乗車していたワゴン車と数メートル先の路上で男性1人が乗った車が突如爆発。ワゴン車の2人は軽傷、別の車の男性は死亡した。その後、死亡した男性タイムール・アブデル・ワハブ(当時28歳)がイスラーム過激派の思想のもと起こした自爆テロであることが発覚。北欧諸国で初の自爆テロ事件となった。

2011年
【死去】ベティ・ペイジ(Bettie Mae Page)【モデル/アメリカ合衆国】

1950年代に『プレイボーイ』誌の最初期にプレイメイトとして活躍するなど、”ピンナップの女王”として人気を博したセクシーモデル。『Bizzare』誌というボンデージでのSM写真でも有名であったその活動はアンダーグラウンド的なものも多かったが、その人気は同時代に表舞台で活躍したマリリン・モンローと双璧を為し、時代の”セックス・アイコン”としてその後のファッションやカルチャーに絶大な影響を及ぼした。1960年頃から表舞台からは遠ざかり、1990年代に再びメディアへ露出してコメントを出し始めたものの、年齢を重ねてからの写真取材は断固として拒否した。2008年12月11日に肺炎が原因の心臓発作で意識不明の重体に。その後家族の意志により生命維持装置を外し死亡した。没年85歳。

2012年
【死去】ラヴィ・シャンカール(Ravi Shankar)【ミュージシャン/インド】

1960年代にザ・ビートルズのジョージ・ハリスンに指導したことで世界的な知名度を誇るシタール奏者。「モントレー・ポップ・フェスティバル」や「ウッドストック・フェスティバル」、そしてジョージとの「バングラディッシュ・コンサート」等、多くの大規模ロックフェスに参加したことでインド音楽に止まらない様々な影響力を持った。実子に同じくシタール奏者のアヌーシュカ・シャンカール、歌手のノラ・ジョーンズがいる。2012年12月6日に呼吸困難を起こし入院し、11日に心臓弁交換手術を受けた直後に死亡。没年92歳。

2017年
【死去】チャールズ・ジェンキンス(Charles Robert Jenkins)【軍人/アメリカ合衆国】

20世紀末のアメリカの軍人で北朝鮮による拉致被害者・曽我ひとみの夫として知られる人物。1960年代に朝鮮半島軍事境界線に駐屯中に逃亡、その後北朝鮮軍に身柄を確保され政治亡命者として生活することに。1980年に曽我ひとみと結婚し2004年に日本へ入国。同年に在日米軍キャンプ座間へ向かい軍人として軍法会議にかけられた後不名誉除隊と禁固30日となる。晩年は佐渡市観光施設職員として過ごし2006年に回想録『告白』を発表。2017年12月11日に致死性不整脈で死去。没年77歳。