『義理の親子役を演じる原節子(写真左)と笠智衆』小津安二郎監督映画『東京物語』(1953年)より。

1963年12月12日は、日本を代表する映画監督・小津安二郎が死亡した日である。
日本文化を海外に発信したという意味では黒澤明と共に双璧を為す存在の映画監督であり、海外の主要映画祭での受賞経験は特にないものの、その独特で厳密な美的感覚でつくられた作品群は、特に海外で多くのフォロワーを作っている。
また、“小市民映画”と呼ばれるような市井の人々を主題に描き続けていたために、“家族の素晴らしさ”を描いた作家として語られる機会も多いが、その実、家族を通して人生の煩雑さや困難を描いていた部分も多く、小津自身が家族生活自体にとりわけ希望を見出していなかったことは、その生涯を未婚のまま終えたことからも想像ができる。
また、そのような小津が描く家族であっただけに、その作品は時代を超えて人間の深い部分と繋がり続けている普遍性を持っているのだろう。
ちなみに、小津の死を43歳で迎えた小津作品のミューズ的女優、原節子は、その葬儀を最後に表舞台から姿を消した。
つまり、女優としての原節子は小津に殉死した形になる。
小津作品も雄弁に語っていることでもあるが、人間とその家族とは、おそらく、戸籍上や血縁上に限定されるものではないのだ。

(写真はWikipedia Tokyo Monogatariより使用。Public Domain)

12月12日の不幸

592年
【暗殺】崇峻天皇【天皇】

6世紀末に第32代天皇(587年〜592年)となった人物。第29代欽明天皇の息子として生まれ、587年に天皇へ即位。即位後、実権を握っていた大臣・蘇我馬子に対し不満を募らせる中、592年12月12日に馬子の部下・東漢駒(やまとのあやのこま)により暗殺された。推定没年齢39歳。

1481年
【死去】一休宗純【僧・詩人】

室町時代の禅僧および詩人で説話のモデルとして知られる人物。1400年に京都・安国寺の像外集鑑(ぞうがいしゅうかん)の元へ入門。詩人としても活動を開始し漢詩『長門春草』(1406年)『春衣宿花』(1408年)を発表。1415年に大徳寺の高僧・華叟宗曇(かそうそうどん)の弟子となり一休の道号を授与される。1420年に悟りを開き風狂生活へ入る。1474年に大徳寺の住持となる。1481年12月12日にマラリアで死去。没年87歳。

1843年
【死去】ヴィレム1世(Willem I)【王族/オランダ】

19世紀オランダで初代オランダ国王(1815年〜1840年)およびルクセンブルク大公(1839年〜1840年)となった人物。オランダ総督オラニエ公ウィレム5世の息子として生まれ1795年にフランス軍の侵攻を受けイギリスへ亡命。1813年にフランス軍が撤退するとオランダへ帰国、プリンスの称号を臨時政府から授与される。1815年にオランダと南ネーデルラントを併合し立憲君主国オランダ王国(ネーデルラント連合王国)が樹立すると初代国王に即位。即位後は経済の立て直しや南北ネーデルランドの統合を目指すも1830年にブリュッセルで暴動が勃発しベルギー独立革命へ発展。同年にベルギーが独立することに。1839年にルクセンブルク大公となり翌年に王位をウィレム2世に譲り退位。1843年12月12日に死去。没年71歳。

1867年
【暗殺】【夭逝】中岡慎太郎【武士】

江戸末期の土佐藩の志士で陸援隊隊長として知られる人物。1855年に武市瑞山(たけち・ずいざん)の道場に入門し1861年に武市が結成した土佐勤皇党へ加盟。以後志士活動を始め1863年に「八月十八日の政変」が起こると脱藩し長州藩へ亡命。薩長の和解へ尽力し1866年に薩長同盟が締結。1867年に土佐藩と薩摩藩の間で薩土密約・薩土盟約を締結。同年に陸援隊を結成し隊長へ就任。同年12月10日「近江屋事件」で襲撃され二日後の12日に死去。没年29歳。

1913年
【死去】メネリク2世(Menelik II)【王族/エチオピア】

19世紀エチオピアでエチオピア帝国皇帝(1889年〜1913年)となった人物。ショア国(エチオピア)の王ハイレ・マラコトの息子として生まれ、1889年に王位を継承。1895年に「第一次エチオピア戦争」が勃発、イタリアに勝利しエチオピア独立を承認させる。独立後はエチオピアの近代化に尽力し1913年12月12日に脳出血で死去。没年69歳。

1917年
【死去】アンドリュー・テーラー・スティル(Andrew Taylor Still)【医師/アメリカ合衆国】

軍医としての勤務経験から研究を重ね、骨に根幹があると考えた代替医療の治療体系「オステオパシー」の創始者。89歳没。

1923年
【夭折】レイモン・ラディゲ(Raymond Radiguet)【小説家・詩人/フランス】

1923年に出版された処女小説『肉体の悪魔』で知られる20世紀フランスを代表する小説家・詩人。その作家デビューを導いたジャン・コクトーと共にヨーロッパを周遊しながら次作『ドルジェル伯の舞踏会』執筆中の1923年11月末頃に腸チフスで入院。そのまま12月12日に死亡した。没年20歳。

1925年
【死去】依田勉三【探検家・開拓者】

明治から大正初期の探検家および開拓者で北海道開拓で知られる人物。1872年に静岡県から上京しスコットランド一致長老教会宣教師ヒュー・ワデルの英学塾(ワデル塾)および慶應義塾で学び北海道開拓を志す。1881年に北海道へ渡り翌年に晩成社を設立。移民募集を行ない1883年に帯広で開拓を行なうことに。1912年に開墾の業績により緑綬褒章を受賞。その後も帯広・十勝で開拓を続け1925年12月12日に中風症で死去。没年73歳。

1936年
【拉致事件】「西安事件」

1936年12月12日に中華民国・西安で同国の中国国民党の張学良・楊虎城らの指示により蒋介石が拉致監禁される。その後、蒋介石は解放され第二次国共合作が成立。事件後張は50年間の軟禁生活、楊は政治犯収容所で処刑されている。

1939年
【海難事故】「ソ連貨客船『インディギルカ号』沈没」

1939年12月12日にソ連の貨客船「インディギルカ号」が北海道猿払村浜鬼志別沖合で座礁・沈没。猿払村の住民が救出活動にあたるも700人以上が死亡した。

1953年
【連続殺人事件】「青森新和村リンゴ農家一家8人殺人事件」

1953年12月12日、青森県新和村(現・弘前市)小友宇田野地区でリンゴ農家を営む水本福三郎さん(当時56歳)の三男で桶職人であったT(当時24歳)が自宅で就寝中の水本福三郎さんを含む祖母(当時80歳)・叔母(当時61歳)・長男(当時35歳)・長男の妻(当時33歳)・長男夫婦の子供で長男(当時7歳)・長女(当時5歳)を猟銃で射殺。さらに家へ放火し長男夫婦の二女(当時3歳)を焼死させた。犯行当時Tは飲酒により酩酊した状態で味噌を盗もうと実家へ侵入したが、味噌を盗んだことがバレると父や兄に殺害されるという被害妄想状態に陥り、日頃の恨みも相まって犯行に及んだとして心神喪失により無罪となった。その後、Tはリンゴ園を経営し2001年に交通事故で死亡した。

1961年
【クーデター】「三無事件」

1961年12月12日に川南工業社長・川南豊作を首謀者とした旧日本軍将校らによる日本政府要人の暗殺計画が発覚。川南豊作ら22人が逮捕され、初の破壊活動防止法違反が適用されることとなった。

1963年
【死去】【誕生日死】小津安二郎【映画監督】日本文化を海外に発信したという意味では黒澤明と共に双璧を為す存在の映画監督であり、海外の著名映画祭での受賞経験は特にないものの、代表作の『晩秋』『東京物語』等、その独特で厳密な美的感覚でつくられた作品群は、ジャン=リュック・ゴダール、ヴィム・ヴェンダース、アキ・カウリスマキ等下の世代の海外作家から評価が高い。杉村春子、笠智衆、原節子、東野英治郎等常連俳優を起用する起用することでも知られている。ガンのため60歳の誕生日に死亡。
1965年
【連続殺人】【強盗事件】「古谷惣吉連続殺人事件」

1965年10月30日から同年12月12日にかけて古谷惣吉(当時51歳)が大阪府、京都府、滋賀県、兵庫県、福岡県など西日本各地で一軒家に住む50代から60代の男性8人を強盗殺害したと断定。警察は12月12日に古谷を全国指名手配、同日兵庫県西宮市でパトロール中の警官に逮捕された。その後、不起訴となったものを含め計12人の殺人を行なったとされている。この事件は警察庁広域重要指定事件では初の殺人事件となった。

1971年
【爆破テロ】「興亜観音・殉国七士之碑爆破事件」

1971年12月12日に、過激派東アジア反日武装戦線グループが静岡県熱海市伊豆山にある興亜観音および殉国七士之碑を爆破。この爆破により殉国七士之碑は破壊されたが、興亜観音は爆破の際に導火線がショートしたため破壊を免れている。

1985年
【死去】アン・バクスター(Anne Baxter)【女優/アメリカ合衆国】

1947年の代表作『剃刀の刃』でアカデミー助演女優賞を受賞、その他では『十戒』への出演等で知られる女優。脳動脈瘤で62歳没。

1989年
【死去】田河水泡【漫画家】『のらくろ』の作者として絶大な人気を誇った昭和初期の国民的漫画家。田河の弟子としては長谷川町子、杉浦茂、滝田ゆうらの後の人気作家が多数おり、手塚治虫以前の漫画界に於いて絶大な影響力を誇った。肝臓ガンで90歳没。
1994年
【殺人事件】「オウム真理教・会社員VX殺害事件」

1994年12月12日に山形明・新実智光らオウム真理教信者が勧誘を続けていた大阪府大阪市在住の会社員・浜口忠仁さん(当時28歳)に猛毒の神経ガスVXを注射器で注入。殺害理由は浜口さんが通っていた柔道教室が警察署の道場であったこと、勧誘担当者内に分派騒動を起こしたヴァジラの戦士のメンバーがいたことで浜口さんを「分裂を煽った公安警察のスパイ」と断定し犯行に及んだ。浜口さんは同月22日に死亡し世界初のVXによる死者となった。

1999年
【死去】ジョセフ・ヘラー(Joseph Heller)【軍人・小説家/アメリカ合衆国】

20世紀アメリカの軍人および小説家。「第二次世界大戦」中にアメリカ陸軍航空隊へ入隊、戦後は文学修士号を取り広告代理店でコピーライターの職に就く。1948年に作品が評論誌アトランティックに入選。1961年に代表作『キャッチ=22』を出版し欧米でベストセラーへ。1969年に戯曲『ニューヘイブンを爆撃した』を発表。晩年も小説家として活動を続け1999年12月12日に心臓麻痺で死去。没年76歳。

2003年
【死去】ヘイダル・アリエフ(Heydar Aliyev)【政治家/アゼルバイジャン】

20世紀末のアゼルバイジャンで第3代アゼルバイジャン大統領(1993年〜2003年)となった人物。1944年にアゼルバイジャン国家安全保障局(NKGB)へ入り1967年にアゼルバイジャンKGBの議長へ就任。1969年にアゼルバイジャン共産党中央委員会第一書記に就任。1982年にソ連中央政界に入り第一副首相に就任、同年ムスリムでは初のソ連共産党中央委員会政治局員となる。1985年に書記長ミハイル・ゴルバチョフ対立し1987年に政治局から引退。1990年に共産党を離党しアゼルバイジャン人議会議員となり最高会議副議長へ就任。1993年に最高会議議長となり同年に大統領へ就任。2003年に心不全と腎臓病から息子のイルハム・アリエフへ大統領職を譲り2003年12月12日に同病により死去。没年80歳。

2006年
【バラバラ殺人事件】「新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件」

2006年12月16日に東京都新宿区西新宿の路上で上半身のみの遺体が入ったビニール袋が発見。その後、同月28日に東京都渋谷区の空民家の庭に下半身のみの遺体が発見され西新宿の遺体とDNAが一致したことで外資系不動産投資会社に勤める会社員・三橋祐輔さん(当時30歳)であることが判明。その後、妻である三橋歌織(当時33歳)が2006年12月12日に就寝中の祐輔さんを殺害し遺体を切断・遺棄したことを供述。殺害理由は夫のDVといった夫婦生活の不調であった。2010年に歌織容疑者に懲役15年の刑が確定した。

2007年
【死去】アイク・ターナー(Ike Turner)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1960年に結婚したアンナ・メイ・ブロックとのアイク&ティナ・ターナー・レヴューで活躍したギタリスト。1978年に離婚と共に解散。離婚原因のひとつはアイクによるDVであったと言われている。その後1980年代にはコカインの中毒患者として刑務所に服役したことも。晩年患っていた肺気腫で死亡したかと思われていたが、コカインの過剰摂取で死亡。没年76歳。

2008年
【死去】タソス・パパドプロス(Tassos Nikolaou Papadopoulos)【政治家・弁護士/キプロス】

20世紀キプロスの政治家で第5代キプロス大統領(2003年〜2008年)となった人物。弁護士を経て1970年に議員に選出されるも反独裁活動を行ない逮捕・投獄される。1976年に議員へ復帰し1981年に中央統一党を結成。2000年に民主党党首へ、2003年に大統領に就任。任期中の2008年12月12日に肺ガンで死去。没年74歳。

2013年
【処刑】張成沢【政治家/朝鮮民主主義人民共和国】

20世紀から21世紀初頭にかけての朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家で北朝鮮初代最高指導者・金正日の側近として知られる人物。大学在学中に上級生であった金正日に気に入られ、1972年に金正日の妹・金敬姫と結婚。その後、金正日の側近として政界入りし1989年に三大革命小組部長へ就任。金日成が死去し金正日が最高指導者となると朝鮮労働党中央委員会組織指導部第一副部長(行政担当)に就任。1997年から秘密警察組織「深化組」を指揮しおよそ2万5千人を粛清(深化組事件)。2003年頃から政敵であった李済剛(リ・ジェガン)に失脚させられるも2005年に復権し2007年に党行政部長へ就任。2009年に国防委員会副委員長へ就任。2011年に金正日が死去すると朝鮮労働党政治局員に就任。その後、反国家的・反人民的犯罪行為を働いたとして役職解任および党から除名され、2013年12月12日に処刑された。没年67歳。