12月13日の不幸
- 1250年
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【死去】フリードリヒ2世(Friedrich II.)【王族/イタリア】
13世紀イタリアで神聖ローマ皇帝(1220年〜1250年)およびシチリア王(1197年〜1250年)イタリア王(1212年〜1250年)ローマ王(1212年〜1220年)エルサレム王(1225年〜1228年)となった人物。ホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世の息子として生まれ、王位を引き継ぎ、1220年に神聖ローマ皇帝へ即位。即位後は十字軍の派遣、ナポリ大学の創立、医薬分業、神明裁判の禁止などを行なう。1230年代からローマ教皇グレゴリウス9世ら続くローマ教皇との確執が続く中、1250年12月13日に赤痢で死去。没年55歳。
- 1466年
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【死去】ドナテッロ(Donatello)【彫刻家/イタリア】
ルネサンス初期にフィレンツェ、パドヴァ等で活躍しその後の美術界に多大な影響を与えた世界的な彫刻家。代表作1440年頃に制作されたブロンズ製の『ダヴィデ像』は古代以来最初の裸の立像とされ、レリーフの技術を編み出したことや遠近法を用いたことなど、技術的な意味で後世に多くの影響を及ぼしている。また、私生活では同性愛者であったということでも知られている人物である。1466年12月13日に80歳没。
- 1521年
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【死去】マヌエル1世(Manuel I)【王族/ポルトガル】
15世紀末から16世紀にかけてポルトガル王(1495年〜1521年)となった人物。ポルトガル軍総司令官で王族のヴィゼウ公フェルナンドの息子として生まれ、1495年にフェルナンドが死去するとポルトガル王およびキリスト騎士団長となる。即位後はインド航路の開設や「マヌエル様式」と呼ばれるジェロニモス修道院といった建造物の着工を行ないながら、ポルトガルにおける絶対王政を確立させた。1521年12月13日に死去。没年52歳。
- 1863年
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【死去】クリスティアン・フリードリヒ・ヘッベル(Christian Friedrich Hebbe)【劇作家・詩人/ドイツ】
19世紀ドイツの劇作家および詩人で19世紀ドイツ最大の悲劇作家として知られる人物。若くして詩人としての才能を見いだされドイツの作家アマリー・ショッペの援助を受け大学入学。その後、教師をしていたエリーゼ・レンジングの愛人となり、1840年に初の戯曲『ユーディット』を発表。翌年に戯曲が上演され人気作家へ。以降『ゲノフェーファ』(1840年)、『マリア・マグダレーネ』(1844年)『ヘロディアスとマリアンネ』(1850年)、『ギュゲスとその指輪』(1856年)、『ニーベルンゲン三部作』(1862年)などの戯曲を発表。1863年12月13日に死去。没年50歳。
- 1867年
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【暗殺事件】「油小路事件」
1867年12月13日に新撰組・近藤勇が開催した酒宴から帰宅中の御陵衛士・伊東甲子太郎らを京都の油小路七条で待ち伏せをしていた新選組・大石鍬次郎らが暗殺。その後、伊東の遺骸を引き取りにきた御陵衛士を待ち伏せ、藤堂平助、服部武雄、毛内有之助の3人も暗殺。
- 1898年
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【社会事件】【教育問題】「哲学館事件」
1898年に哲学館(現・東洋大学)の教育者・井上円了が哲学館に付与されていた教員免許無試験交付特権を私立学校卒業生にも開放すべきと主張。1902年に私立学校から初の無試験教員が誕生するはずであったが、視学官・隈本有尚らが哲学館が出題した卒業試験の答案を倫理観的に問題視したため、これを受け文部省が同年12月13日付で哲学館の無試験交付特権を剥奪した。
- 1901年
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【死去】中江兆民【思想家・ジャーナリスト】
明治時代の政治家および思想家・ジャーナリストでフランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介し自由民権運動指導者となったことで知られる人物。弟子は思想家の幸徳秋水。土佐藩の足軽の子として生まれ1865年に幕府の語学所でフランス語を学ぶ。1867年に兵庫開港に伴いフランス外交団通訳として向かう。「明治維新」後に渡仏し1874年に帰国後は家塾の仏蘭西学舎の開設やジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』翻訳書『民約論』の校訂に携わる。1875年に東京外国語学校校長に就任するも辞職。以後、元老院権少書記官、調査局翻訳掛といった役職に就くも1877年に辞職。辞職後は家塾や『社会契約論』の漢文訳『民約訳解』(1882年)といった翻訳業を行ない、1883年に日本出版会社を開設。1890年に衆議院議員となり同年に立憲自由党を結党するも翌年に辞職。晩年は北海道で実業家として林業や鉄道事業などを行なう傍ら新聞『北門新報』を創刊し執筆業にも専念。1901年12月13日に喉頭ガンで死去。没年54歳。
- 1944年
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【自殺】ルーペ・ヴェレス(Lupe Vélez)【女優・ダンサー/メキシコ】
メキシコ出身ながら20世紀初めのハリウッドで大成功を収めた女優。代表作『Mexican Spitfire』の通りかんしゃく持ち(Spitfire)の激しい気性で知られ、その過度に情熱的なパーソナリティは様々なスター達を虜にし、チャールズ・チャップリン、ゲイリー・クーパー、エロール・フリン、ジャック・デンプシー等という錚々たる男性遍歴で世間を騒がせた。婚約していた若手俳優のハラルド・ラモンドの子をその身に宿しながらブランデーと75錠の睡眠薬セコナールを飲んで自殺。36歳没。死因は、ラモンドとの破局、そして生まれてくる子が私生児となることを避けるためといわれているが、双極性障害の発作とも、替え玉殺人とも多くの都市伝説的な後日譚が囁かれた。
- 1948年
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【議員不祥事】【セクハラ】「国会キス事件」
1948年12月13日に当時大蔵大臣であった泉山三六が国会内で泥酔し民主党・山下春江議員に抱きつき左顎に噛み付く、日本社会党の松尾トシ子議員の手を握るといった行為を行ない、翌日泉山が議員辞職することとなった。
- 1967年
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【国際事件】【クーデター】「ギリシャ国王コンスタンティノス2世亡命」
1967年12月13日、ギリシャ国王コンスタンティノス2世が自国での国軍指揮権を巡りクーデターを起こすも失敗しローマへ亡命。その後、1973年に軍事政権によりギリシャの君主制を廃止。コンスタンティノス2世が同国最後の国王となった。
- 2001年
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【夭折】チャック・シュルディナー(Charles Michael “Chuck” Schuldiner)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】
デスメタルバンド「Death」のボーカル・ギタリストとして知られるロック・ミュージシャンで、”The Godfather of Death Metal(デスメタルの父)”と呼ばれる人物。その後デスメタルの代名詞となる歌唱法「デスグロウルスタイル(デスボイス)」の発明者のひとりと言われている。1999年5月に悪性の脳腫瘍と診断され、すぐさま放射線治療と摘出手術を行なった。その後快方に向かったと思われ音楽活動も再開したが、2001年12月13日に脳腫瘍のため死亡。没年34歳。
- 2003年
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【イラク戦争】「赤い夜明け作戦」
2003年12月13日にイラク・ダウル村でアメリカ軍のレイモンド・オディエルノ少将らが特殊作戦「赤い夜明け作戦(Operation Red Dawn)」を実行しサダム・フセイン元大統領を拘束。
- 2004年
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【放火事件】「ドン・キホーテ放火事件」
2004年12月13日・同月15日と埼玉県さいたま市在住の無職・渡辺ノリ子(当時47歳)が同市内にあるディスカウントストア『ドン・キホーテ』浦和花月店・大宮大和田店の2店舗へ3回に渡り相次いで放火。この放火により浦和花月店では店員3人が焼死、8人が負傷。その後の2008年に渡辺に無期懲役の判決が下った。
- 2007年
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【死去】メイ牛山【美容研究家・教育者】
本名・牛山マサコ。「ハリウッド化粧品」創業者である牛山清人と結婚し、海外留学の経験を活かし日本の美容技術の発展に寄与した人物。ハリウッド美容専門学校(現ハリウッドビューティ専門学校)で長年にわたり後進の指導に当たった。で2007年12月13日に心不全で96歳没。長年の貢献に敬意を表し、その死後の2013年4月30日に、一般社団法人日本記念日協会によりメイの誕生日である1月25日が「美容記念日」として登録された。
- 2013年
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【銃乱射事件】【スクールシューティング】「アラパホー高校銃乱射事件」
2013年12月13日にアメリカ・コロラド州センテニアルのアラパホーハイスクールで同ハイスクールに通う男子学生カール・アルヴァーソン・ピアソン(当時18歳)が学校生活やクラブ活動への不満からショットガンを持ち込み校内で乱射。その後、火炎瓶で校内に放火しピアソンは自殺。この事件により女子学生1人が頭を撃たれ8日後に死亡した。
- 2017年
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【急死】ウォーレル・デイン(Warrel Dane)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】
1980年代から2000年代初頭にかけて活躍したアメリカのミュージシャンでヘヴィメタル・バンド「サンクチュアリ」および「ネヴァーモア」のボーカルとして知られる人物。1980年代初頭にアメリカ・シアトルでバンド「Serpents Knight」のボーカリストとしてインディーズレーベルからデビュー。1985年にヘヴィメタル・バンド「サンクチュアリ」を結成、1987年にアルバム『Refuge Denied』でメジャーデビュー。1992年に「サンクチュアリ」が解散し同年に「ネヴァーモア」を結成。以降音楽活動を続け2008年に初のソロアルバム『Praises to the War Machine』を発表。2010年に「サンクチュアリ」を再結成し2011年に「ネヴァーモア」を解散。ソロ・アルバム作成中の2017年12月13日に心臓発作で急死。没年56歳。