『1940年頃の双葉山定次』

1968年12月16日は、いまだ大相撲に残る不倒の大記録、69連勝で知られる第35代横綱・双葉山定次が死亡した日である。
上手投げを得意とする稀代の怪力として知られ、幕内通算276勝68敗1分33休、勝率.820、優勝12回(うち全勝8回)というめざましい記録を残した昭和初期の大横綱。
70勝目を賭けた大一番に敗れた際に残した「いまだ木鶏たりえず」の言葉は、大相撲史に残る名言である。
そのような“心・技・体”を兼ね備えた双葉山でさえ、引退直後に新興宗教「璽宇」にマインドコントロールされ、教祖の璽光尊とともに食糧管理法違反で逮捕されるという前代未聞のスキャンダルを引き起こしている。
昨今は横綱日馬富士の貴ノ岩への暴行問題や、貴乃花親方と大相撲協会との不和、そして廃業が衆目を集めているが、5場所連続全勝、69連勝なる不滅の大記録を誇った稀代の大横綱でさえ、心の迷いから洗脳を受けてしまうことがあったのだ。
勝負事と神事という人間の領域を超えた世界の住人に、現代的な倫理まで持ち込まれた現在の大相撲界が混乱を来すのも、全く不思議な話ではないといえよう。

(画像はWikipedia Futabayamaより使用。Public Domain)

12月16日の不幸

1779年
【死去】【夭逝】後桃園天皇【天皇】

江戸時代に第118代天皇(1770年〜1779年)となった人物。第116代桃園天皇の息子として生まれ1770年に天皇へ即位。1779年12月16日に死去。没年21歳。

1779年
【死去】後桃園天皇【第118代天皇】江戸時代に即位した第118代の天皇。元号は安永。病気がちで在位中に22歳で死去。在位期間は9年足らず。
1859年
【死去】ヴィルヘルム・グリム(Wilhelm Carl Grimm)【童話編集者・言語学者/ドイツ】ドイツに古来より伝わるメルヘン(童話、空想的な寓話)を広く収集し19世紀に出版されるやいなや聖書と並ぶほどの世界的大ベストセラーとなった『グリム童話集』を編纂したグリム兄弟の弟(実際には5人兄弟の次男)。73歳で感染症のため死亡。
1911年
【死去】トーマス・ブレーク・グラバー(Thomas Blake Glover)【実業家/スコットランド】

19世紀から20世紀初頭のスコットランドの実業家で主に幕末の日本で武器商人として活動したことで知られる人物。1859年に上海のジャーディン・マセソン商会へ入社。同年、開港間もない長崎へ向かい1861年にジャーディン・マセソン商会長崎代理店としてグラバー商会を設立。当初生糸などを扱っていたが「八月十八日の政変」後から武器を扱う。1865年に長崎・大浦海岸で蒸気機関車(アイアン・デューク号)を走行させる。1870年に武器販売が低迷しグラバー商会が破産すると高島炭鉱の経営者へ。その後も実業家として日本へ留まり麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)の基礎を築く。1908年に勲二等旭日重光章を授与される。1911年12月16日に死去。没年73歳。

1922年
【死去】エリエゼル・ベン・イェフダー(Eli‘ezer bēn Yәhūdhāh)【言語学者・医者/ロシア・パレスチナ】

19世紀後半から20世紀にかけてのロシアの言語学者で現代ヘブライ語を復活させたことで知られる人物。ユダヤ教徒の家に生まれラビとなるためヘブライ語文学を学ぶ。その後、医学を学びながら日常言語としてのヘブライ語の復活を志す。1879年にベン・イェフダーの名義でヘブライ語の月刊誌『夜明け』へ論説を寄稿。1881年にパレスチナへ移住し1884年にブライ語新聞『ハツヴィ』を発行。以後、教科書の執筆やヘブライ語を母国語として子育てをするといった活動を続け、1919年にヘブライ語がパレスチナの公用語の1つとなる。1922年12月16日に結核で死去。没年64歳。

1926年
【自殺】ウィリアム・ラーンド(William Larned)【テニス選手/アメリカ合衆国】

現在も破られることのない大記録、全米選手権優勝7回を誇るアメリカの伝説的なテニスプレイヤー。早くから全英選手権に出場するなど世界的に活躍し、1900年に始まった団体戦「デビス・カップ」でもアメリカ・チームの主力として大活躍したが、1911年の大会でリウマチ熱の症状が出て敗退、直後に現役を引退した。引退後の1926年には脊髄膜炎を併発し体が硬直するほどのものに悪化し、病状に耐えきれず、マンハッタンにあるニッカボッカークラブの特別室において、ピストルで自らの頭を撃ち抜いたのであった。没年53歳。

1932年
【火災事故】「白木屋大火」

1932年12月16日に東京日本橋の白木屋百貨店(現・コレド日本橋)で火災が発生し14人が死亡、47人が負傷。この火災から当時和装で下着を着けていなかった女性店員が裾を抑えようとして転落死したためズロースが推奨されたという「白木屋ズロース伝説」が通説に。

1945年
【自殺】近衛文麿【政治家】

日本の第34代、38代、39代の内閣総理大臣を務めた政治家。後陽成天皇の12世孫にあたり、貴族院議員、貴族院議長を務めたほか、司法大臣なども歴任した。3次内閣の折りにアメリカとの太平洋戦争を目前にして辞職、その後終戦工作をして敗戦後に副総理になるも、総理大臣時代の「支那事変」「三国同盟」「大東亜戦争」等の戦争責任をGHQに問われ、それらを「あくまでも軍部の責任」と言い逃れたが、A級戦犯として極東国際軍事裁判にかけられることが決定。巣鴨刑務所への出頭期限の1945年12月16日の未明、青酸カリで服毒自殺をした。没年54歳。日本の内閣総理大臣史上唯一の自殺者にして、最も若くして死亡した人物である。

1945年
【死去】ジョヴァンニ・アニェッリ(シニア/Giovanni Agnelli)【実業家/イタリア】イタリア・トリノに本拠地を置く世界的自動車メーカー「フィアット」の創業者。第1次、第2次を通して大戦中のイタリアの軍需産業を支えた人物としても知られ、第2次世界大戦直後に79歳で死亡した。
1960年
【航空事故】「1960年ニューヨーク空中衝突事故」

1960年12月16日にシカゴ・オヘア国際空港からニューヨーク・アイドルワイルド空港(現ジョン・F・ケネディ国際空港)へ向かっていたユナイテッド航空826便(DC-8-11)とオハイオ州デイトン国際空港からニューヨーク・ラガーディア空港へ向かっていたトランス・ワールド航空266便(ロッキードL-1049スーパーコンステレーション)の2機がニューヨーク・ミラー空軍基地付近の上空で空中衝突。この衝突により乗員乗客合わせたユナイテッド航空826便(84人)・トランス・ワールド航空266便(44人)合わせて128人全員が死亡した。事故原因はユナイテッド航空826便のパイロットが計器表示を誤解したことで起こった人為ミスであった。

1965年
【死去】サマセット・モーム(William Somerset Maugham)【小説家・軍医・諜報部員/イギリス】

20世紀イギリスの小説家および軍医・諜報部員。医学校在学中から小説家を目指し1897年に初の小説『ランペスのライザ』を発表。「第一次世界大戦」中は軍医および諜報部員として参加しながら小説『人間の絆』戯曲『おえら方』(1915年)を発表。1919年に代表作『月と六ペンス』を発表しアメリカでベストセラーとなり同国で人気作家となる。「第二次世界大戦」前後はフランスで情報宣伝活動を行なうも1940年にパリ陥落によりロンドンへ亡命。1944年に小説『剃刀の刃』、1948年に『カタリーナ』を刊行。その後は『世界の十大小説』などエッセイや評論を発表。1954年にイギリス名誉勲位を授与される。1965年12月16日に死去。没年91歳。

1968年
【死去】双葉山定次【大相撲力士・指導者】

5場所連続全勝、69連勝なる不滅の大記録を誇る昭和初期に活躍した大相撲の第35代横綱。上手投げを得意とする稀代の怪力として知られ、幕内通算276勝68敗1分33休、勝率.820、優勝12回(うち全勝8回)というめざましい記録を残し、69連勝で止まった際の「いまだ木鶏たりえず」の言葉でも有名。引退後は時津風を襲名し、第3代日本相撲協会理事長なども務めた。また、引退直後に新興宗教「璽宇」にマインドコントロールされ、教祖の璽光尊とともに食糧管理法違反で逮捕される事件も。晩年は肝炎を患い、劇症肝炎で死亡。56歳没。

1980年
【死去】カーネル・サンダース(Harland David Sanders)【実業家/アメリカ合衆国】

自らのほぼ等身大の人形を店先に配置した世界的ファストフードチェーン「ケンタッキーフライドチキン」の創業者。様々な職を転々とした後にガソリンスタンドの経営に辿りつき、その一角で始めた「サンダース・カフェ」がその基礎となっている。フリーメーソン会員としても知られている。高齢になってからも精力的に活動していたが、肺炎のため90歳没。地元ケンタッキー・ルイビルの教会で行なわれた葬式には1,000人以上の参列者が集まった。

1989年
【ハイジャック】「中国民航機ハイジャック事件」

1989年12月16日に妻子とともに丸腰で乗員していた中国人男性・張鎮海(当時35歳)が北京発ニューヨーク行中国国際航空公司CA981便(ボーイング747)を爆発物を所持していると脅迫しハイジャック。張は韓国・ソウルへ向かうよう指示するも韓国政府に着陸を拒まれたため機長は福岡航空へ着陸。着陸後、機長はソウルへ到着したと伝え張を非常口から滑走路へ突き落とした。その後、回復した張は天安門事件のデモに参加していたことから韓国亡命を図ったと供述。逮捕後は中国へ身柄送検され懲役8年の刑が確定した。この事件は日本初の外国でハイジャックされた旅客機が空港へ着陸した事件となった。

1993年
【死去】田中角栄【実業家・政治家】建築会社経営などの実業を経て国政に進出。衆議院議員として郵政大臣、大蔵大臣(3期)、通商産業大臣を歴任した後に、第64・65代内閣総理大臣を務めた。買収も辞さない豪腕で、インフラ整備と景気回復を掲げた「日本列島改造論」を掲げたが、国内外の政財界を巻き込んだ世界的な汚職事件「ロッキード事件」により逮捕。志半ばで失脚したものの、総理大臣退任後も無所属の議員として政界に影響を持ち続けた。ロッキード事件の刑事被告人のまま72歳の時に肺炎で死去。
1997年
【放送事故】「ポケモンショック」

1997年12月16日にテレビ東京およびTXNで放送されたテレビアニメ『ポケットモンスター』第38話『でんのうせんしポリゴン』内で演出された激しい光の点滅により、同番組を視聴していた30都道府県651人が光過敏性発作を発症し病院へ搬送・内130人以上が入院。「ポケモンショック」「ポリゴンショック」などと呼ばれることになった。

2001年
【自殺】スチュアート・アダムソン(Stuart Adamson)【ミュージシャン/イギリス】

20世紀イギリスのミュージシャンでロックバンド「ザ・スキッズ」や「ビッグ・カントリー」のメンバーとして知られる人物。10代からミュージシャンを志し1976年にバンド「TATOO」を結成。翌年に「ザ・スキッズ」を結成するも、その後1980年にグループを脱退。1981年にバンド「ビッグ・カントリー」を結成しイギリス・アメリカで人気バンドとなるもアルコール依存症となり治療生活のため2000年に同バンドを解散。晩年は映画音楽などを手掛けるもアルコール依存症を再発し2001年12月16日に自殺。没年43歳。

2013年
【死去】小口絵理子【アナウンサー】

平成に活躍したフリーアナウンサー。1998年にニッポン放送入社し2003年にバセドウ病を患い長期療養のため退社。2005年にニッポン放送のバラエティ番組『ブリタモリ大百科事典」内のコーナーへ出演。翌年にニッポン放送ラジオ『高嶋ひでたけのお早よう! 中年探偵団』などの番組を担当しアナウンサーとして復帰。2011年に『小口絵理子のアナウンススクール』を開校し校長へ就任。2013年12月16日に卵巣癌で死去。没年39歳。

2015年
【死去】安藤昇【俳優・ヤクザ】

愚連隊を結成するなど荒廃した少年期を送り、26歳で暴力団・安藤組を設立。スーツ着用、刺青禁止等、旧来のヤクザとは異なる都会的な美学の暴力団として名を馳せたが、1958年の「横井英樹襲撃事件」で殺人未遂罪で逮捕され、前橋刑務所に収監。3年後に出所したものの、同組は解散となった。1965年に自叙伝『血と掟』を出版したところ話題となり、同年の映画化作品『血と掟』に自ら主演し映画俳優へ転身。デビュー作を始め、数々の任侠映画のアウトロー役で活躍した。1979年の映画『総長の首』出演を最後に俳優業を休止。以降は映画作品のプロデュースや執筆を中心に活動し、2015年12月16日に肺炎で死亡。没年89歳。

2016年
【死去】島木譲二【芸人・俳優・プロボクサー】

西日本新人王を獲得する活躍を見せていたプロボクサーであったが、失明の危険に瀕し早々に引退。MBS千里丘放送センターの警備員として働いていたところ、吉本新喜劇の斬られ役としてスカウトされ、1980年に友人の間寛平の紹介で芸人デビュー。芸名は映画『俺は待ってるぜ』で石原裕次郎が演じた主役の元ボクサー、島木譲次役から。そのいかついルックスと「大阪名物パチパチパンチ」「ポコポコヘッド」等の身体を張った定番ギャグで吉本新喜劇の顔役として長年にわたり活躍した。2011年頃から体調不良で休養し、2016年12月16日に脳溢血で死去。没年72歳。

2018年
【火災事故】「札幌不動産仲介店舗ガス爆発事故」

2018年12月16日に北海道札幌市豊平区平岸のアパマンショップ平岸駅前店などが入居する木造2階建ての雑居ビルが爆発炎上。隣接する居酒屋も倒壊・炎上し計52人が負傷。原因は同店が店舗改装に伴い、従業員がジメチルエーテル とエタノールを含んだ除菌消臭スプレー120本を廃棄目的で噴射、その後湯沸かし器を点けたことでガス爆発が起きたことが判明。