『金正日の理想化された肖像画』

2011年12月17日は北朝鮮の第2代最高指導者・金正日の死亡した日である。
建国の英雄である父・日成の後を継ぎ、第2代国防委員会委員長、第2代朝鮮人民軍最高司令官、朝鮮労働党第2代中央委員会総書記という最高職を兼任し、独自の外交政策により、より強固な独裁体制を築いた“北の2代目将軍”。
「人前に現われない」「肉声を漏らさない」「サングラスの着用」等、より秘密主義的なスタイルを貫いたために、その死についても明らかになっていることはそう多くない。
公式に発表された死因は「過労による脳卒中」であり、それは父・日成の「過労による心筋梗塞」とほぼ同じ印象を受ける。
それは、現在も恐ろしく貧困な状況下で生きているとされる北朝鮮国民に向けられた、“我々の最高指導者は死の直前まで働き続けた”という理想像としての訃報なのであろう。
没年70歳。
ちなみに父の金日成は82歳で死亡している。
国際的な孤立からミサイル外交でアメリカとの国交再開にまでこぎ着けた3代目、金正恩の活躍は、先代の指導者の目にはどのように映っているのだろうか。

(画像はWikipedia Kim Jong-il より使用。Public Domain)

12月17日の不幸

1187年
【死去】グレゴリウス8世(Gregory VIII)【ローマ教皇/イタリア】

12世紀イタリアで第173代ローマ教皇(1187年10月21日〜同年12月17日)となった人物。教皇使節を経て1187年にローマ教皇に即位。即位後は第3回十字軍を呼びかけ同年12月17日に死去。推定没年齢87歳。

1830年
【死去】シモン・ボリバル(Simón Bolívar)【政治家・軍人・革命家/ベネゼエラ】

ラテンアメリカで“解放者”と称される19世紀ベネゼエラの政治家・軍人および革命家でベネゼエラ共和国(1817年〜1819年)・コロンビア共和国(1819年〜1830年)・ボリビア(1825年8月12日〜同年12月29日)・ペルー(1824年〜1827年)で大統領となった人物。1808年に反王政派(愛国連盟)へ参加し渡英。1811年に帰国しベネゼエラがスペインからの独立を宣言しベネゼエラ軍へ参加。以後、スペインとの徹底抗戦を続けベネズエラ解放遠征軍司令官に就任しラテンアメリカの“解放者”と呼ばれることに。1813年にベネゼエラ・カラカスを奪回しベネスエラ第二共和国を樹立し大統領へ就任。1816年にベネゼエラ・アンゴストゥーラを奪回しベネスエラ第三共和国樹立し大統領へ就任。1819年にコロンビア共和国大統領および軍指揮官に就任。1824年にペルーを独立させ同年にペルー第8代大統領へ就任。翌年にラテン・アメリカ大陸部の解放戦争が終了し、同年にボリビアの初代大統領に就任。その後はラテン・アメリカで内乱が続き、1830年にベネズエラが完全分離独立を宣言しキトおよびグアヤキルがエクアドルとして独立。ラテン・アメリカの統合を達成できないまま同年12月17日に結核で死去。没年47歳。

1833年
【暗殺】【怪事件】カスパー・ハウザー(Kaspar Hauser)【孤児/ドイツ】

1828年5月26日に「聖霊降臨祭」直後のバイエルン王国ニュルンベルク・ウンシュリット広場にて発見された素性不明の捨て子。言葉によるコミュニケーションがとれなかったが筆談で「Kaspar Hauser」と判明。その際に持っていたフリードリヒ・フォン・ヴェッセニヒ大尉の手紙によれば「騎兵であったカスパーの父は死んでおり、父と同じ騎兵に就かせるか、それが不可能なら殺してほしい」と書かれていた。肉体的反応や知識のなさから、座敷牢で16年ほど幽閉されていた野生児だと判断され、飛び抜けて鋭敏な五感を持っていたといわれている。その後市当局の保護の元に再教育が為されると、驚くほどの学習能力を発揮し、自らの出自を語り始めた折に、正体不明の男に刺殺された。没年およそ21歳。あまりに不自然な殺人事件であったために、バーデン大公家の世継だった、ナポレオンの隠し子であったとも言われているが、真相は明らかになっていない。

1917年
【死去】フランク・ゴッチ(Frank Alvin Gotch)【プロレスラー/アメリカ合衆国】

20世紀前半のプロレス創成期に活躍した伝説のレスラー。日本で広く知られるカール・ゴッチの名の元になった人物としても知られている。初代&第3代NWA王座に就くなどアメリカ・マット界のスター選手として活躍。キャアの晩年は引退と復帰を繰り返しながら活動したが、40歳で尿毒症により死亡。

1991年
【死去】相田みつを【詩人・書家】代表作『人間だもの』で広く認知された詩人。1991年に道を歩いていたところ転倒して足を骨折。その際に脳内出血も併発し、そのまま急逝した。没年67歳。死後の1996年、東京・銀座に相田みつを美術館が開館された。
1999年
【死去】グローヴァー・ワシントン・ジュニア(Grover Washington, Jr.)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

20世紀アメリカで活躍したサックス奏者でジャズ・フュージョン界でスムーズ・ジャズの基礎を作ったことで知られる人物。音楽一家に生まれ10歳からサックスを学び音楽学校へ進学。その後音楽プロデューサーでCTIレコードのクリード・テイラーに見出され、1971年にアルバム『Inner City Blues』を発表。1979年にアトランティック・シティ・ジャズ・フィスティバルに出演。1981年にエレクトラ・レコードへ移籍し1982年にアルバム『Winelight』を発表し収録曲『Just the Two of Us』が全米で大ヒット。同年にグラミー賞ベストR&Bソング賞を受賞。1987年にコロムビア・レコードへ移籍、1995年にジャズグループ「アーバン・ナイツ」立ち上げに参加。音楽活動を続けていた1999年12月17日に心臓発作で急死。没年56歳。

2006年
【死去】岸田今日子【女優】

昭和から平成にかけて活躍した女優でアニメ『ムーミン』の主人公ムーミン・トロールの声優で知られる人物。劇作家・岸田國士の娘として生まれ、高校卒業後に文学座付属演技研究所へ入所。1953年に映画『にごりえ』で映画デビュー。1960年に三島由紀夫演出の『サロメ』で主演を演じたことで注目され以降舞台女優として活躍。1962年に映画『破戒』で毎日映画コンクール助演女優賞、1964年の映画『砂の女』でブルーリボン助演女優賞を受賞し国内での女優の地位を確立。1963年に文学座を脱退し1975年に演劇集団 円の設立に参加。1969年にアニメ『ムーミン』で主人公ムーミンの声優を担当。晩年もテレビや映画、舞台女優として活躍し2006年12月17日に脳腫瘍による呼吸不全で死去。没年76歳。

2008年
【自殺】【怪死】【夭逝】ジャスティン・レヴェンス(Justin Levens)【総合格闘家/アメリカ合衆国】

2004年から2007年にかけて活躍したアメリカの総合格闘家。ブラジルの格闘家マルコ・ファスの下で総合格闘技を学び、アメリカ海軍を経て2004年にプロ総合格闘技デビュー。以降、WEC、UFCの試合に出場し2007年にIFLと契約。2008年にドラッグテストの陽性反応により出場停止となり同年12月17日に自宅で妻を銃で撃ちその後自殺。没年28歳。自殺の原因は出場停止による金銭問題ではないかと言われている。

2011年
【死去】金正日(Kim Jong-il)【政治家・軍人/北朝鮮】朝鮮民主主義人民共和国の国防委員長、朝鮮労働党総書記。建国の英雄である父・金日成の後を継ぎ、第2代国防委員会委員長、第2代朝鮮人民軍最高司令官、朝鮮労働党第2代中央委員会総書記という最高職を兼任し、より強固な独裁体制を築いた”北の2代目将軍”。実際に戦場で指揮をとった経験はないものの、国際的な緊張を強いるような軍事活動を指令。人前に現われない、肉声を漏らさない、サングラスの着用等、より秘密主義的なスタイルを貫いた。過労による脳卒中で69歳没。
2016年
【民主運動】【国際事件】「ジャスミン革命」

2010年12月17日にチュニジア中部シディ・ブジドで露天商を営むモハメド・ブアジジ(当時26歳)が街頭販売を始めたところ、役所の女性職員に販売の許可がないとして商品と秤を没収された上に暴行される事件が発生。その後、没収された秤の返還を求めるも賄賂を要求されたため、県庁舎前で自身と商品にガソリンをかけ焼身自殺を図る抗議活動を行なった。この抗議活動をブアジジの従兄弟が撮影しフェイスブックへ投稿。これにより若者を中心にストライキやデモが発生しチュニジアのザイン・アル=アービディーン・ベン=アリー政権が崩壊。その後、中東および北アフリカ諸国へも派生した。「ジャスミン」はチュニジアを代表する花であることから命名された。