『兄ブランウェルによる「ブロンテ姉妹の肖像画」』

1748年12月19日は、世界文学史に残る名作『Wuthering Heights(嵐が丘)』の作者として知られるエミリー・ブロンテが死亡した日である。
姉のシャーロット、妹のアンと共にイギリスのヴィクトリア時代を代表する小説家、“ブロンテ姉妹”と呼ばれる3人の中では次女(家系的には四女)であったエミリー(写真左)。
18世紀当時の男性社会の状況下もあって、当初はエリス・ベルという男性とも女性ともつかない偽名で発表した『Wuthering Heights(嵐が丘)』。
1847年の出版当時はこれといった評価を得ることはなかったが、その死後の20世紀には世界文学史に残る評価を得ることとなった。
そしてその処女小説出版の翌年、酒とドラッグに溺れて急逝した兄ブランウェルの葬式で風邪を引き、それが元で結核にかかりわずか30歳で死亡することとなった。
最後まで頑なに自らの病理を認めず、治療を拒絶して死亡したエミリーだった。
そしてエミリーの一歳下のアン(『ワイルドフェル屋敷の人々』写真中央)も続いて結核にかかり、翌年死亡することになる。
当時の平均年齢が40歳ほどであったことから、この兄を含めた連続死は珍しいものとはいえないが、長女と次女に当たるマリアとエリザベスが11歳、10歳で死亡していたこともあわせて、ブロンテ家が早世の家系であったことは確かであろう(ブロンテ姉妹の最年長であるシャーロット/写真右も38歳で死亡)。
この短い人生と活動期間で不朽の人間ドラマを綴り、その見返りを得ることなく死んでいったエミリーに、改めて敬意を表したい。
なお、写真の肖像画を描いた兄弟で唯一の男性、ブランウェルは両親の寵愛を受け放蕩のままにドラッグと酒に溺れ死んでいった人物として知られている。
この肖像画の中央に自らも描いていたが、後になんの文学的才能も持たぬ自らを恥じ消去したのだという。
不倫関係で仕事を失うなど、極めて人間らしい人生を歩み31歳で急死した兄の存在は、20世紀最高ともいえる妹エミリーの作品に何かを与えたのであろうか。

(写真はWikipedia Emily Brontëより使用。Public Domain)

12月19日の不幸

1848年
【夭折】エミリー・ブロンテ(Emily Jane Brontë)【小説家/イギリス】

姉のシャーロット、妹のアンと共にイギリスのヴィクトリア時代を代表する小説家、ブロンテ姉妹と呼ばれる3人姉妹の次女(家系的には四女)。1847年の処女小説『Wuthering Heights(嵐が丘)』で世界文学史に残る評価を得たが、酒とドラッグに溺れて急逝した兄ブランウェルの葬式で風邪を引き、それが元で結核にかかり死亡。没年30歳。頑なに治療を拒絶しての最後となった。

1915年
【死去】アロイス・アルツハイマー(Aloysius “Alois” Alzheimer)【医師・医学者/ドイツ】

1906年に南西ドイツ精神医学会に発表した女性患者の記憶力低下等の症例以降、「アルツハイマー病」「認知症」を確立。そのテーマを生涯研究し続けた精神科医。1912年にポーランド・ブレスラウ大学精神科の教授に就任したが、1915年の通勤列車の中で急逝。黄色ブドウ球菌感染症、リウマチ熱、腎不全等から引き起こされた心疾患だったといわれる。没年51歳。

1996年
【死去】マルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Vincenzo Domenico Mastroianni)【俳優/イタリア】

20世紀のイタリアを代表する二枚目映画スター。ルキノ・ヴィスコンティ、フェデリコ・フェリーニ等の巨匠たちの作品を始め、生涯で170本もの映画作品に出演した。代表作に『甘い生活』『イタリア式離婚狂想曲』『8 1/2』等。私生活でもカトリーヌ・ドヌーヴやアニタ・エクバーグ、ソフィア・ローレン等多くの女優との交際で知られ、中でもドヌーヴは娘で女優のキアラ・マストロヤンニと共に晩年を看護し、最期を看取っているという。膵臓ガンで72歳没。

1997年
【死去】井深大【実業家・技術者】

電子技術者であり、盛田昭夫とともに世界を代表する電気メーカー「ソニー」を創業した人物。トランジスタラジオやトリニトロンテレビ等の革新的な商品で世界に冠するソニーブランドを確立した。心不全で89歳没。

2004年
【死去】ハーバート・ブラウン(Herbert Charles Brown)【学者/アメリカ合衆国】

有機ホウ素化学における功績で1979年にゲオルク・ウィッティヒと共にノーベル化学賞を受賞した化学者。パデュー大学の教授・名誉教授として最晩年まで務め、心臓麻痺により2004年12月19日に死亡。没年92歳。パデュー大にはその功績にちなみハーバート・C・ブラウン化学研究室が残されている。

2012年
【死去】中沢啓治【漫画家】

小学校一年時の広島への原爆投下を経験し、被爆者ならではのリアルな、壮絶な視点で描き、1千万部を超える大ベストセラーにもなった自伝的マンガ『はだしのゲン』の作者として知られる漫画家。同作の『少年ジャンプ』での連載は1年半で終了したが、その後も版元を変えながら出版は続けられ、累計1千万部を超えるベストセラーになり、アニメ化された。また、生前は昭和天皇、アメリカへの痛烈な批判を繰り返した人物としても知られ、断固とした反戦、反核兵器のメッセージを出し続けた。肺ガンで73歳没。