12月20日の不幸
- 1925年
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【死去】エドワード・S・モース(Edward Sylvester Morse)【学者・教育者/アメリカ合衆国】
アメリカの生物学者であり、標本最終に訪れた日本に請われて東京大学で御用学者となり、ダーウィンの『進化論』を初めて持ち込み、日本における考古学、人類学の礎を築いたといわれている人物。滞在時に大森貝塚を発見したことでも知られている。晩年まで研究を続け、本国ではボストン博物学会会長やピーボディー博物館名誉会長等を歴任したが、1925年12月20日に脳溢血で死亡。没年87歳。
- 1968年
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【死去】ジョン・スタインベック(John Ernst Steinbeck)【小説家/アメリカ合衆国】
ジェームズ・ディーンのヒット映画の原作である『エデンの東』の作者として知られ、1940年の問題作『怒りの葡萄』でピューリッツァー賞を受賞したアメリカを代表する小説家。1962年にはノーベル文学賞を受賞したが、晩年は貧しい生活を送っていたという。心臓発作で66歳没。
- 1997年
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【怪死】伊丹十三【映画監督・俳優】
役者から51歳で映画監督に転身し、妻であり女優の宮本信子を起用しながら『お葬式』『たんぽぽ』等ヒット作を連発。名実ともに1980年〜1990年代の日本を代表する映画監督となったが、1997年に東京・麻布にあった伊丹プロダクションの入居していたマンションの屋上から転落死。没年64歳。事務所にはワープロの印字で「身をもって潔白を証明します。何もなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです」との遺書が遺されていた。その遺書から数カ月前の伊丹の浮気報道に求める向きが多かったが、生前の友人らは一様に「浮気で死ぬような男じゃない」といったコメントが相次いだ。1992年には『ミンボーの女』公開に触発された暴力団後藤組の構成員に襲撃され全治3カ月の傷を追っていたこともあり、その自殺に関しては他殺の噂は尽きないが、警察は自殺と断定した。
- 2009年
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【夭折】【急死】ブリタニー・マーフィ(Brittany Murphy)【女優/アメリカ合衆国】
9歳から子役として活動開始し、1995年の『クルーレス』『8 Mile』等の出演で脚光を浴び、2006年のアニメ映画『ハッピー フィート』ではヒロインと歌で活躍。将来を嘱望されていたが、2009年12月20日にロサンゼルスの自宅の風呂場で倒れているところを母親が発見。そのまま死亡した。没年32歳。死因は心不全。生前は糖尿病を患っていたといわれるが、その死には無関係だったといわれている。