『全日本選手権で鬼神のような強さを見せる力道山と敗れ去る“柔道王”木村政彦』

1954年12月22日は、『全日本選手権』として行なわれた、プロレスラー・力道山と“柔道王”木村政彦の試合で、木村が破れた日である。
天覧試合の勝利や全日本選手権13連覇を誇り、「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」とまで言われた不敗の昭和の柔道王、木村政彦が敗れたこの事件は、当時既に柔道を引退していたとはいえ、社会的に絶大な影響を及ぼした。
新しいジャンルであったプロレスとその象徴であった力道山は戦後復興の象徴にまで登りつめ、一方破れた木村は、柔道界からも微妙な距離をとられることになり、後に力道山への殺意を告白することになるような日陰の人生を歩むこととなった。
その勝負の真相は、引き分けの事前密約を本番で破った力道山の八百長破りという説が有力であるが、“強さ”の象徴であった木村が破れたことによる失墜は、木村の人生はおろか、死後数十年経った現在も回復したとは言い難い。
勝負の世界の儚さと眩しさをまざまざと表現したこの木村の敗戦は、日本柔道史上に残り続ける《不幸》であるといえるだろう。

(画像はWikipedia Rikidozanより使用。Public Domain)

12月22日の不幸

1666年
【死去】グエルチーノ(Guercino)【画家/イタリア】

16世紀バロック期に活躍したイタリアの画家。10代から画家として活動を始め『われアルカディアにもありき』(1618年)『ペリシテ人たちに連行されるサムソン』(1619年)などを発表。1621年にローマ教皇グレゴリウス15世の元へ行き祭壇画『聖ペトロニラの埋葬』(1623年)などを描く。1623年にグレゴリウス15世が死去するとイタリア・チェントへ帰郷、1642年にボローニャで工房を開き祭壇画『聖母子の絵を見せる聖ルカ』(1652年)などを発表。1666年12月22日に死去。没年75歳。

1867年
【死去】テオドール・ルソー(Théodore Rousseau)【画家/フランス】

19世紀フランスのバルビゾン派を代表する画家のひとり。1831年に『オーヴェルニュ風景』がサロンに初入選。その後古典派の画家たちに批判され、およそ10年に渡りサロン入選を阻まれることに。1847年からフランス・バルビゾンに滞在し作品を描き続け、翌年に「2月革命」が勃発。以降サロンも変革され1849年に『フォンテーヌブローの森のはずれ』が入選しサロンの金メダルを獲得。晩年は画家としての地位を自国で確立し1867年12月22日に病により死去。没年55歳。

1880年
【死去】ジョージ・エリオット(George Eliot)【小説家/イギリス】

ヴィクトリア朝を代表する小説家の1人で、男性名のジョージ・エリオット名義で活動した人物(本名はメアリー・アン・エヴァンズ)。代表作に『Middlemarch』など。最初の夫が死んだ2年後に20再年下の男性と再婚したが、その年に61歳没。

1943年
【死去】ビアトリクス・ポター(Beatrix Potter)【児童文学作家・実業家/イギリス】

20世紀イギリスで活躍した児童文学作家および実業家で『ピーターラビット』の著者として知られる人物。上位中産階級の裕福な家庭に生まれ、キノコの研究を行なうも性差別により研究を断念。1890年にペットのベルギーウサギのイラストを描きクリスマスカードとして販売されたことをきっかけに作家活動を開始。1901年に絵本『ピーターラビットのおはなし』を自費出版し人気を集め、翌年に出版社フレデリック・ウォーン社から刊行しヒット作品となる。以後、『ピーターラビット』シリーズを描きながら農場経営者としても活躍。晩年は農場経営と自然保護に取り組み、1943年12月22日に肺炎で死去。没年77歳。

1972年
【航空事故】【遭難事故】「ウルグアイ空軍機571便遭難事故・生存者16人救出」

1972年12月22日、アンデス山中に墜落したウルグアイ空軍機571便の乗客で事故後遭難していた生存者16人が71日ぶりに救出。その後、生存者が人肉を食べて生存していたことが発覚し物議を醸した。

1988年
【暗殺事件】「環境保護活動家シコ・メンデス暗殺」

1988年12月22日、アマゾン熱帯雨林伐採への反対運動を行なっていたブラジルの環境保護活動家シコ・メンデスがブラジル・アクレ州ザプリの自宅で大土地所有者ダーリー・アルベス・デ・シルバからの刺客により暗殺される。

1989年
【死去】サミュエル・ベケット(Samuel Beckett)【小説家・劇作家/フランス・アイルランド】

20世紀フランスで活躍したアイルランドの小説家および劇作家で不条理演劇を代表する作家のひとり。教師を経て1928年頃から作家ジェイムズ・ジョイスの手伝いを行なう。1939年に「第二次世界大戦」が勃発するとレジスタンス活動を開始。放浪生活をしながら小説『ワット』を執筆。終戦後は小説『モロイ』(1951年)、『マロウンは死ぬ』(1951年)『名づけえぬもの』(1953年)といった小説を発表。1952年に不条理演劇として戯曲『ゴドーを待ちながら』を発表し以降フランスでの劇作家としての地位を確立。1969年に文学・戯曲で、新しい表現方法を切り開いたとしてノーベル文学賞を受賞。晩年も作家活動を続け、1989年12月22日に肺気腫で死去。没年83歳。

1995年
【死去】川谷拓三【俳優】

付き人、斬られ役、大部屋俳優時代は”ピラニア軍団”の一員など、長きにわたる下積み時代を経て、任侠映画の人気脇役として花開いた俳優。映画『仁義なき戦い』シリーズでのチンピラ役等、味のある脇役を好演。また、15年放送された山城新伍とのテレビCM『どん兵衛』ではコミカルな子分役でお茶の間の人気を獲得した。1995年6月に体調を崩し入院。10月には京大付属病院に入院し、12月22日に肺ガンで死亡した。没年54歳。

2004年
【自殺】ダグ・オルト(Doug Ault)【プロ野球選手・指導者/アメリカ合衆国】

大学卒業後の1973年に地元テキサスのレンジャースに入団し、1976年にメジャー昇格。翌年はトロント・ブルージェイズに移籍したメジャー・リーガー。ポジションは一塁手、外野手。1981年にNPBの阪神タイガースに移籍し打率.307、18本塁打と順応をみせていたが、骨折が原因で1年での解雇となった。帰国後はブルージェイズの1Aチームで監督を務めるなどしたが、晩年はセールスマンに。2度の結婚をしたが、産婦人科医であった二人目の妻が破産をするなど、思うようにはいかない人生であったという。2004年12月22日にフロリダ州のターポンスプリングスの自宅で拳銃自殺。没年54歳。

2012年
【自殺】ライアン・ポール・フリール(Ryan Paul Freel)【プロ野球選手/アメリカ合衆国】

トロント・ブルージェイズ、タンパベイ・デビルレイズ、シンシナティ・レッズ、ボルチモア・オリオールズ、シカゴ・カブス、カンザスシティ・ロイヤルズと6球団を渡り歩き、最終的には独立リーグであるアトランティックリーグでもプレーしたメジャー・リーガー。俊足巧打に加え外野全ポジションに2塁、3塁と守れるユーティリティープレイヤーであったが、キャリア晩年は故障がちで大成はしなかった。メジャー通算打率.268、143盗塁。2010年の引退後は双極性障害に悩み、2012年に拳銃自殺。没年36歳。

2014年
【死去】ジョー・コッカー(John Robert ‘Joe’ Cocker)【ミュージシャン/イギリス】

20世紀イギリス・イングランドの歌手。10代から音楽活動を始め1968年にA&Mレコードからデビュー。同年にビートルズの『With A Little Help From My Friends』のカバーで注目され、1969年にウッドストック・フェスティバルに参加。以降、ビートルズの『She Came in Through the Bathroom Window』やトラフィックの『Feelin’ Alright』のカバーなどでアメリカでも人気を博す。1974年にアルバム『I Can’t Stand In The Rain』を発表。1982年に映画『愛と青春の旅だち』の主題歌『Up Where We Belong』がアメリカでヒット。その後もミュージシャンとして活動を続け2007年にOBE(大英帝国勲章)を受賞。2014年12月22日に肺ガンで死去。没年70歳。

2016年
【火災事件】「糸魚川大火」

2016年12月22日に新潟県糸魚川市の糸魚川駅北側から日本海沿岸地域まで及ぶ大規模な火災が発生。原因は中華料理店の大型コンロの消し忘れであったが付近に木造住宅が密集していたことや“焼山おろし”などど呼ばれる強風により被害が拡大。鎮火までにおよそ30時間を要し147棟が焼失、17人の負傷者を出した。