『極東軍事裁判での東条英機と広田弘毅』

1948年年12月23日は、第二次世界大戦後の極東軍事裁判で戦争犯罪者として死刑判決を受けた二人の元総理大臣が、巣鴨プリズンで絞首刑を執行された日である。
太平洋戦争を内閣総理大臣・陸軍大臣として日本を率いた東条はもちろん、戦前に総理大臣任期中から軍部の権限を増長させたとして広田は文官ではただ一人の絞首刑を言い渡された人物となった。
この日は、その他にも5人の軍人が戦犯として裁かれ、「南京事件」の責任を問われた陸軍大将の松井石根(B級戦犯)、関東軍参謀長、陸軍大臣等を歴任した板垣征四郎(A級戦犯)、同じく陸軍大将の木村兵太郎と土肥原賢二(ともにA級戦犯)、陸軍中将の武藤章(A級戦犯)が絞首刑に処された。
この7人の処刑をもって太平洋戦争は米軍により強制的に終結を迎えたが、8月15日の終戦記念日のようにその日付が記憶されることは少ない。
それはこの7人だけでなく、多くの戦争犠牲者にとっても《不幸》な事実であるといえるだろう。

(写真はWikipedia Hideki Tojo , Hiroki Hirotaより使用。Public Domain)

12月23日の不幸

1823年
【死去】ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニ(Giovanni Battista Belzoni)【探検家/イタリア】

映画『インディー・ジョーンズ』の主人公インディアナ・ジョーンズのモデルと言われる19世紀イタリアの探検家でエジプトやアフリカ探検で知られる人物。機械工、理髪師、大道芸人などを経て1803年にイギリスへ移住。1814年にイギリス政府のスパイとしてエジプト総督ムハンマド・アリーの軍に入隊。翌年にエジプトへ向かい油圧式灌漑機械をエジプト政府へ提供。その後、英国総領事ヘンリー・ソルトとともにラムセス二世の(若きメムノン)胸像のロンドン輸送を成功させる。1817年にアブ・シンベル神殿の出入り口、カフラー王のピラミッド、セティ一世の墓を発掘。1819年にイギリスへ戻りエジプトの展覧会を開催。1823年にアフリカ探検へ向かうも同年12月23日に赤痢によって死去。没年45歳。

1869年
【自殺】ユリアン・フォンタナ(Julian Fontana)【ポーランド/教師・作曲家・ミュージシャン】

ポーランド生まれの作曲家であり、ショパンの親しい友人として知られる人物。20歳の1830年に「ポーランド11月蜂起」に加わったために1832年にキューバへ亡命。その後アメリカを経てフランスで音楽教師として務めたが、聴覚障害と貧困に悩み一酸化炭素中毒自殺。59歳没。

1948年
【処刑】広田弘毅【政治家】

昭和の政治家で第32代内閣総理大臣(1936年〜1937年)となった人物。外交官、外務大臣を経て1936年に内閣総理大臣に就任。翌年に「割腹問答」が起こり辞職し貴族院勅選議員となる。「第二次世界大戦」中は内閣参議となり終戦後は極東国際軍事裁判で文官として唯一のA級戦争犯罪人となり、1948年12月23日に絞首刑で死去。没年70歳。死後、昭和殉難者として靖国神社に合祀された。

1948年
【処刑】東條英機【軍人・政治家】

昭和の政治家および陸軍軍人で第40代内閣総理大臣(1941年〜1944年)となった人物。関東軍参謀長、陸軍大臣などを経て1941年に内閣総理大臣に就任し「第二次世界大戦」を開始。1944年に参謀総長に就任し同年に総辞職。終戦後は極東国際軍事裁判でA級戦犯として死刑判決となり1948年12月23日に絞首刑で死去。没年65歳。

1948年
【第二次世界大戦】【国際事件】「A級戦犯絞首刑執行」

1948年12月23日、極東国際軍事裁判で死刑判決を受けた東條英機らA級戦犯7人の絞首刑が巣鴨拘置所で執行。

1953年
【処刑】ラヴレンチー・ベリヤ(Lavrentij Pavlovich Berija)【政治家/ソビエト連邦】

20世紀ソビエト連邦の政治家で第2代最高指導者ヨシフ・スターリンによる大粛清の執行者のひとりとして知られる人物。1917年3月にボリシェヴィキに入党し、1920年に秘密警察チェーカーに参加。GPUのグルジア支部長となり1924年にグルジアの『8月の蜂起』でおよそ1万人を処刑する。1938年にNKVD内務人民委員代理となり、内務人民委員部長官ニコライ・エジョフに代わり大粛清を開始、モンゴル人民共和国などでおよそ68万2千人を処刑する。「第二次世界大戦」中の1941年に人民委員会議副議長(副首相)に就任し、ポーランド人捕虜2万2千人を銃殺した「カティンの森事件」を指示。終戦後はソ連邦元帥、ソ連共産党政治局員に就任。スターリンの死後は第一副首相に就任するも失脚し国家反逆罪容疑で逮捕され、1953年12月23日に銃殺刑で死去。没年54歳。

2001年
【自殺】ジャック・マイヨール(Jacques Mayol)【フリーダイバー/フランス】

1976年に人類で初めて100メートル超えの素潜りに成功したフランスのフリーダイバー。リュック・ベッソンの代表作『グラン・ブルー』に本人役で出演したことでも知られる。晩年は鬱病に苛まれ、2001年にイタリア・エルバ島の自宅で首吊り自殺しているところを発見された。没年74歳。テーブルの傍には『グラン・ブルー』とテレビ朝日での出演ドキュメンタリー『グレートマザー物語』のビデオが置いてあったという。死後、トスカーナ湾に散骨された。

2003年
【騒動】「名古屋ドル紙幣ばら撒き事件」

2003年12月23日に愛知県名古屋市中区栄にある名古屋テレビ塔からデイトレーダーの男性(当時26歳)が株で簡単に儲けられたことに嫌気がさし1米ドル紙幣数千枚と旧100円紙幣、総額およそ100万円を撒き散らす。その後、男性は職員に取り押さえられるも立件はされなかった。

2004年
【死去】ナラシマ・ラオ(Narasimha Rao)【政治家/インド】

20世紀インドの政治家で第12代インド首相(1991年〜1996年)となった人物。1977年に下院議員選挙にとなり以後、内務大臣・国防大臣・外務大臣を歴任。1991年にラジーヴ・ガンディー元首相が暗殺されたため首相へ就任。1996年まで務める。在任中は、インドのIT化などを行なうも貧富の差が拡大し1996年に辞職。2004年12月23日により死去。没年83歳。

2007年
【死去】オスカー・ピーターソン(Oscar Emmanuel Peterson)【ミュージシャン/カナダ】

“鍵盤の皇帝”の異名で知られる20世紀に活躍したカナダのジャズ・ピアニストおよび作曲家。幼い頃からピアノやトランペットを習い、1949年にジャズ音楽プロデューサーのノーマン・グランツによりアメリカへ進出。ルイ・アームストロングといったアーティストと共演し1959年にヴァーヴ・レコードに所属。1965年からドイツMPSレコードに移籍し『Night Train』(1963年)『Canadiana Suite』(1964年)などを発表。1973年にパブロ・レコードを創設。1999年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。晩年もジャズピアニストとして活躍し2007年12月23日に腎不全で死去。没年82歳。

2013年
【死去】ミハイル・カラシニコフ (Mikhail Kalashnikov)【銃器設計士・軍人/ソ連・ロシア】

ロシア連邦(旧ソ連)の戦車長を務めた軍人であり、”世界で最も使用された軍用銃”である「AK-47」通称”カラシニコフ突撃銃”を設計・開発した銃器設計士。赤軍軍人として軍役時に負傷し、病院で療養していた時に産み出され、その設計図は後の妻が作成したAK-47は、1949年にソビエト連邦が正式採用して以来、その頑強さと生産のしやすさで、50年以上にもわたり世界各国の最前線で使用されてきた。カラシニコフ自身は、テロリズムや犯罪の最前線で活躍し続ける自らの発明品に心を傷めており、その死の6カ月前にロシア正教会のキリル総主教に多くの人命を奪う原因になった自らの発明に心を傷めていたことを告白する手紙を送っていた。胃からの出血で94歳没。