『映画「七人の侍」に出演する三船敏郎』

1997年12月24日は、世界的に知られる日本の俳優、三船敏郎が死亡した日である。
いまだに世界的に根強い日本人男性のイメージ“サムライ”は、ほぼ三船ひとりが体現したものといっていいほどの絶大な影響力を誇る俳優である。
また、三船敏郎は、同じく世界中にファンを持つ映画監督・黒澤明が使い続けた俳優として知られているが、三船自身、最も自らの人格に近い役は、黒澤の代表作『七人の侍』の無頼と気さくさを兼ね備えた菊千代だといい、脚本を読んだだけで自分の役がわかったというほどであった。
それほどまでにお互いを認め合った伝説的な関係であった黒澤と三船であったが、1962年に三船が自らの独立プロの経営者となって以降は、契約の問題もあり、共作する機会は減っていった。
そして、世界中の映画ファンが愛したその組み合わせは、それぞれが世界的知名度を獲得し終えた後半生では、観られなくなったのだった。
しかし1997年に三船に先立たれた黒澤は、その真骨頂である骨太なアクション時代劇を撮らなくなった理由を聞かれ、「三船ほどの役者がいないから」と答えたという。
三船敏郎という偉大な俳優の死は、黒澤明という偉大な映画監督の“ある大きな部分の死”でもあったのだろう。

(画像はウェブサイト『IMDb』より使用)

12月24日の不幸

1813年
【死去】後桜町天皇【女帝】

江戸時代に第117代天皇(1762年〜1770年)となった人物。第115代桜町天皇の娘として生まれ、1762年に明正天皇以来119年ぶりの女帝として即位。1813年12月24日に死去。没年73歳。

1863年
【急死】ウィリアム・メイクピース・サッカレー(William Makepeace Thackeray)【小説家/イギリス】

19世紀イギリスのヴィクトリア朝を代表する小説家のひとり。大学在学中に父親の遺産で週刊誌の発行や投資を行なうも失敗し、1835年に新聞社の通信員となる。その後、退職しイギリスの週刊風刺漫画雑誌『パンチ』などに『アイルランド・スケッチブック』(1840年)『俗物の書』(1846年)といった小説や評論を発表。1852年に長編小説『虚栄の市』を発表しイギリスでの作家としての地位を確立。その後も『ペンデニス』(1848〜1850年)『ヘンリー・エズモンド』(1852年)などの小説を発表。1863年12月24日、小説『デニス・デゥヴァル』の執筆中に脳卒中で死去。没年52歳。

1865年
【秘密結社】「KKK設立」南北戦争直後の1865年12月24日に、南部連合の軍人であった、奴隷商人のネイサン・ベッドフォード・フォレストらによって白人至上主義の秘密結社「KKK(クー・クラックス・クラン)」テネシー州プラスキが設立された。実際のところはその以前にから別の人物によって存在していたといわれているが、KKK自体が公認しているのはこの日付である。
1887年
【芸能】「BOOWY解散発表」

氷室京介、布袋寅泰らが1981年に結成し、後の”ビジュアル系”に繋がる派手なルックスで大人気を博したロックバンド「BOOWY」が、この日行なわれた渋谷公会堂でのライブで突然の解散宣言。翌年4月4日、5日の東京ドーム公園でその活動を終了した。当時人気絶頂であったために社会的な騒ぎを巻き起こした。解散の理由は布袋が当時の妻・山下久美子との活動に参加し、氷室以外のメンバーもそこに同調したことに端を発していると語られている。

1930年
【自殺】オスカル・ネドバル(Oskar Nedbal)【作曲家・指揮者/チェコスロバキア】

「ボヘミア弦楽四重奏団」の創立メンバーヴィオラを担当として活躍後、「チェコ・フィルハーモニー管弦楽団」の首席指揮者、自ら創立した「ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団」の指揮者を務めたチェコを代表する音楽家。多額の債務を苦にし、ザグレブで飛び降り自殺をした。没年56歳。

1945年
【襲撃事件】「1945年生田警察署襲撃事件」

1945年12月24日、兵庫県神戸市中央区にある生田警察署が在日朝鮮人の暴徒50人に襲撃される。襲撃理由は岡山市内で起こった拳銃強盗事件の犯人を追っていた神戸市まで来ていた岡山県警捜査官の捜査に生田警察署が協力したためであった。その後、連合国軍部隊によって鎮圧。

1949年
【虐殺事件】【ジェノサイド】「聞慶虐殺事件」

1949年12月24日に大韓民国慶尚北道聞慶郡(現・聞慶市)で韓国軍が共産党のゲリラ集団・共匪(きょうひ)に協力したとして女性や子供、老人といった住民88人を虐殺。その後、韓国軍は共匪の犯行としていたが2007年に韓国政府の犯行であったことが発覚。

1957年
【死去】大川周明【思想家】

東京帝国大学を卒業後インドの独立運動に関わり、1918年に南満州鉄道入社。その一方で思想家としても活動をし、1939年の著作『日本二千六百年史』は大ベストセラーに。その後北一輝らと知り合い、昭和期の日本改造を掲げた昭和維新運動1931年の「三月事件」「十月事件」1932年の「血盟団事件」「五・一五事件」等の主謀者として活動。「五・一五事件」の結果禁固5年の有罪判決を受け服役した。1931年の満州事変には直接的な関与はなかったものの、第二次世界大戦後の東京裁判に於いては「満州事変の陰謀を巡らした計画」を理由に、民間人としては唯一のA級戦犯となった。その後の公判に於いてパジャマで出席して脱ぎ出す、さらには前に座った東条英機の頭を叩く等の奇行を考慮され、精神異常として1947年4月9日に公判から外れた。その後は松沢病院に入院。梅毒による精神異常と診断されたが、その後の精神鑑定では異常なしと判定された。入院中に『コーラン』の全訳を果たし、退院後は神奈川県愛甲郡中津村の自宅で過ごし、71歳で死亡した。

1959年
【死去】エドマンド・グールディング(Edmund Goulding)【映画監督・脚本家/イギリス】

1932年の第5回アカデミー賞最優秀作品賞となった映画『グランド・ホテル』の監督として知られる人物。同作の採用した”アンサンブル・キャスト”は、その後、群像劇と呼ばれるジャンルの元になったといわれ、”グランドホテル・スタイル”とも呼ばれている。1959年12月24日に、ロサンゼルスの病院での心臓手術の最中に死亡。没年68歳。

1980年
【死去】カール・デーニッツ(Karl Dönitz)【政治家・軍人/ドイツ】

ドイツ海軍元帥として、2つの大戦に於いて数々の戦功を挙げた潜水艦戦術の名指揮官。海軍潜水艦隊司令長官、海軍総司令官、ドイツ国防軍最高司令官、国防大臣ドイツ大統領等の要職を歴任し、自殺したアドルフ・ヒトラーの遺言を受け、1945年4月30日にドイツ国大統領に就任した。直後の5月6日連合国側に無条件降伏を申し入れ、第二次世界大戦終戦に向かうフレンスブルグ政府の中心人物となった。同年5月23日に逮捕され、ニュルンベルク裁判により10年の懲役刑に。出所後の1980年12月24日に心臓発作で死亡。没年89歳。

1982年
【死去】ルイ・アラゴン(Louis Aragon)【小説家・詩人・評論家/フランス】

20世紀フランスの小説家・詩人・評論家でダダイスムおよびシュルレアリスムといった芸術運動の指導者のひとりとして知られる人物。幼少期から小説や詩を書き、小説家モーリス・バレスの作品に心酔。「第一次世界大戦」中は医学生として軍医補となり派遣先の病院で詩人アンドレ・ブルトンと出会う。終戦後は再び医学を学びながら1919年にブルトンらとともに雑誌『リテラチュール』を創刊。その後、ダダイスムの創設者トリスタン・ツァラとブルトンの対立によりダダイスムからシュルレアリスムへ移行。以降『アニセまたはパノラマ』(1921年)『夢の波』(1924年)といった小説を発表。1930年に社会主義に傾倒し詩『赤色戦線』を発表したことで告発され「アラゴン事件」へと発展。以降社会主義者として共産党の機関紙『ス・ソワール』の編集長などに就任。「第二次世界大戦」中は小説『殉難者たちの証言』などを地下出版しナチズムに抵抗。終戦後は共産党系雑誌『ユーロープ』の再刊や全国作家委員会(CNE)の委員長を務める。1936年に社会主義リアリズム五部作『現実世界』の一つ『お屋敷町』でルノードー賞を受賞。1950年に共産党中央委員会の委員に就任。晩年も作家活動を続け1982年12月24日に死去。没年85歳。

1984年
【死去】美濃部亮吉【政治家・経済学者】

昭和の政治家およびマルクス経済学者で第6〜8代東京都知事(1967年〜1979年)となった人物。天皇機関説で知られる憲法学者・美濃部達吉の息子として生まれ、大学在学中はマルクス経済学者・大内兵衛に師事。卒業後はマルクス経済学者として1946年に内閣統計委員会事務局長に就任。1960年にNHK教育番組『やさしい経済教室』に出演し1967年に社会党・共産党の推薦で東京都知事に就任。以降12年にわたり東京都知事となり1979年に退任。1980年に参議院議員となり、1984年12月24日に死去。没年80歳。

1993年
【死去】厳家淦(げん・かがん)【政治家/中華民国】

20世紀国民党時代の中華民国・台湾の政治家で第5代中華民国総統(1975年〜1978年)となった人物。上海鉄道の管理職や福建省政府財務部長を経て「第二次世界大戦」後の1947年に台湾省財政庁長に就任。その後、台湾省主席・財政部長などを経て1963年に行政院院長へ1966年に副総統も兼任。1975年に蒋介石が死去すると総統へ就任。任期中は中華民国総統として初のサウジアラビアへ公式訪問を行なう。引退後は中華文化復興運動推行委員会会長、国立故宮博物院管理委員会主任委員などに就任。1993年12月24日に死去。没年88歳。

1997年
【死去】三船敏郎【俳優】

20世紀の日本を代表する映画監督、黒澤明の代表作『七人の侍』『用心棒』等の出演で世界的知名度を獲得した日本を代表する俳優。その荒々しいルックスと力強いアクションで、『レッド・サン』『SHOGUN』等多くの海外作品にも出演した。後半生は妻で元女優・吉峰幸子と別居状態で、実質の妻は喜多川美佳であったが、人生の最晩年は幸子夫人との生活に戻り、1995年に妻の死を看取り、その2年後に全機能不全で死亡した。没年77歳。死後、当時のフランス大統領・シラクやアラン・ドロン、スピルバーグ等、多くの海外著名人から弔電が寄せられ、アカデミー殿堂にも選出されている。

2000年
【死去】ジョン・クーパー(John Newton Cooper)【実業家・技術者/イギリス】父であるチャールズ・ニュートン・クーパーとともに英国を代表する自動車メーカー「クーパー・カー・カンパニー」を設立した共同創設者。。同社を代表する世界的なベストセラー自家用車「ミニ・クーパー」や、F1、インディ500に代表されるモータースポーツのジャンルでも業績を伸ばし、クーパー社を世界的な自動車メーカーに牽引した。没年77歳。
2009年
【夭折】志村正彦【ミュージシャン】

ロックバンド「フジファブリック」のギター、ボーカルとして活動。2009年12月24日に死去。29歳没。公式発表された死因は”病名不詳”。