囚人たちの獄中晩餐会「マサ」とは? 70年代にシンガポールの刑務所で流行

“臭い飯”に飽き飽きしている服役中の囚人たちが何よりも渇望しているのは“娑婆の空気”を満喫できる料理の数々だろう。愉快なことに1970年代から80年代にかけてシンガポールの刑務所では悪知恵を絞った囚人たちによる秘密の“獄中晩餐会”が開かれていたのだ――。

囚人たちの獄中晩餐会「マサ」とは

 自由が奪われるが故の刑務所なのだが、制約に縛られた環境でも何かできることはないかと囚人たちが日夜知恵を絞り出していたとしても不思議ではない。

 かつてのシンガポールの刑務所では、夜に看守が勤務を終えて持ち場を離れたところで、どこからともなく食欲を誘うラクサやチリソースの香りが漂ってきて鼻腔をくすぐったのだった。なんと囚人たちは共謀して料理を手作りし、秘密の“獄中晩餐会”を繰り広げていたのである。

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画像は「Pixabay」より

 シンガポールのフードライター、シーア・ン氏はかつて刑務所で服役していた経歴を持つレストラン経営者から1970年代から1980 年代にかけて刑務所と薬物更生施設の収容者たちによって秘密裏に行われていた“獄中晩餐会”「マサ(masak)」についての興味深い話を聞いた。ちなみにマサはマレー語で「料理する」を意味する単語である。

 好奇心に火を着けられたン氏はその期間中に服役していた8人の男性を追跡して全員をインタビューすることに成功し、話をまとめた著書『When Cooking Was a Crime: Masak in the Singapore Prisons(料理が犯罪だった時: シンガポール刑務所のマサ)』(2020年刊)を出版した。

 当然のことだが、刑務所の部屋の中で囚人が料理をすることは禁じられている。しかしそれだからこそなのか、囚人たちは知恵を絞ってあの手この手で服役生活の小さな楽しみであるマサを享受する手段を得たのだ。

 具体的にどのようにして彼らは料理を手作りしていたのか。

 たとえば食堂の昼食に出されたものの一部や、売店で買った食品を隠し持って部屋に運び、トイレから出る水を使って調理し、毛布の切れ端などを燃料にして火を焚き温かいシチューなどを作っていたのだ。看守を買収して食材を入手することもあったという。

 刃物や缶切りなどの所持は許されていなかったが、使い捨ての髭剃りの刃をこっそりと持ち帰って包丁代わりに使ったり、缶詰は縁をコンクリートの床に気長に擦りつけて摩耗させたうえで開けていたという。

 また新鮮な食材を求めて敷地内で狩りや採集も行われていた。道端に生えているマンゴーの木の実をもぎ取ったり、庭に迷い込んだウサギを狩ったり、パン粉を撒いて誘ったハトを捕まえたりしていたのだ。

 意外なまでに自由度が高い収容者たちの生活ぶりだが、それというのもこの時代のシンガポールの刑務所や収容施設は戦時中に駐留していたイギリス陸軍の兵舎を転用したものであったのだ。したがって建物の構造上、囚人の監視にはまったく適していなかったのである。

 またこの時代の有力な東南アジアの麻薬密売組織「ゴールデントライアングル」の拠点であったシンガポールは、1970年代から当局が麻薬やギャングの関係者を次々に検挙しはじめていたため、一般の刑務所にはじゅうぶんな数の職員を割くことができなかった。

 さらにはすでに公用語が英語になっていたシンガポールであったが、まだまだ社会全体の英語リテラシーは低く、英語で書かなければならない報告書を看守たちは忌避する傾向があり、軽微な問題であれば囚人たちの違反を見逃す者が多かったという。こうした条件が重なることで囚人たちの間で類まれなマサの慣習が育まれたのである。

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「マサの仲間はゴルフの仲間のようなもの」

 それでも囚人たちはマサを行うのに慎重を期していた。もしも料理中や食事中の姿を看守に直接目撃された場合、罰金刑や刑期の延長が待っており、実際に処分を受けた者も少なくなかった。そこで無頓着で寛大な警備員が当直の時にだけマサは行われていたという。

 囚人たちにとって貴重な楽しみの時間であったマサは、温かい料理を口にしながら“娑婆の空気”を思い出す心が和むひと時であった。

 さらに囚人同士の仲間意識と友情を育むことにもマサは一役買っていた。慣れない新参者には料理が振るまわれて心を打ち解けさせ、誕生日の者には溶かしたチョコレート、マーガリン、ソーダビスケットで作ったケーキを焼いて祝った。経済的に豊かな者は率先して売店で食品を入手して料理担当者に提供していたということだ。

 1つ同じ屋根の下で暮らし、マサで“同じ釜の飯を食う”仲になった囚人たちは犯した犯罪やガールフレンドの悩みなどについても話し合い、友情に発展するケースも多かったという。インタビューを受けた1人は「マサの仲間はゴルフの仲間のようなものです」と語っている。

 しかしこの牧歌的とも言えるマサの慣習は時代の仇花となった。1990年代に入ると屋内に監視カメラが設置されるようになり、見つからずに料理をすることは困難をきわめた。さらに新たに建設された刑務所や更生施設の建物に収容者は順次移され、旧兵舎の転用は廃止されたのだ。もちろん新たな施設は監視体制が行き届いており、料理ができる余地など皆無である。こうして残念ながらマサは消滅したのだ。

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画像は「Pixabay」より

 しかし皮肉なことに、今日のシンガポールの刑務所では職業訓練として各種の料理を作る機会を囚人たちに提供しているという。海南鶏飯やラクサ、バクテーなどで人気のシンガポール料理だが、シェフの中には刑務所で料理の腕を磨いた人がいたとしてもまったく不思議ではなさそうだ。

参考:「Atlas Obscura」ほか

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文=仲田しんじ

場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。
興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
ツイッター @nakata66shinji

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