オウム真理教の教義に魅了され続ける人が絶えない謎!
■オウムの信者を「霊的に解毒」する方法は?
教義の部分では、オウム真理教にもそれなりに霊的真理が含まれているというのは当然のことで、この部分に根本的な対策の可能性がある。
今まで信者たちに対しては、被害者の声や命の尊さなどが、散々説かれてきた。それは「脱洗脳」する上で、一定の役割を果たしてきたと思う。しかし、それだけは不十分である事実も認めなければならない。脱俗・超俗を目指す人たちに対して、しょせん世間の常識を説くだけでは限界がある。
信者たちの中には、信仰を守るためには手段を選ばなくてもいいと考える者もおり、かえって世間にアジャストしているふりをしつつ、心の中では信仰を維持するといった狡知を身につけてしまった可能性もある。表では反省の弁を述べている人でも、信用していいとは限らない。つまり、警察が直接把握できる信者以外にも、膨大な数が地下に潜っているかもしれず、いわばオウムの隠れキリシタン化である。事件から20年ということで、今再びオウム真理教がメディアで取り上げられているのにも、危険性はある。麻原彰晃の三女アーチャリーが本を出版し、テレビに出演し、当時のことを生々しく語ることで、その時の心理状態に戻ってしまう元信者もいるかもしれない。一度刷り込まれた洗脳はそうやすやすと解けないのである。
やはり、人は内部から変革する以外にないのだ。
そこで私は、警察をはじめとする対策サイドが、信者・元信者たちを対象にして、仏教とヒンズー教の聖典を配り、かつそれをみんなで学ぶ機会を提供すべきではないかと思う。
具体的には、最古の仏教聖典のひとつとされる『スッタニパータ』や『ダンマパダ』、そしてヒンドゥー教の聖典である『バガヴァッド・ギーター』『ウパニシャッド』『ウパデーシャ・サーハスリー』などである。ヒンドゥー教に関していえば、個人的に、現代のスピリチュアリズムをも包含しているといえるパラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』と『人間の永遠の探求』、そしてラマナ・マハルシの『対話集』なども推薦したい。
実は、ここに挙げた文献は、オウム真理教の宗教観・世界観に非常に近い。信者たちが抱いているであろう内的疑問と霊的成長の希求に対して、十分に応えるものだ。なぜならばオウム真理教が、このような古代の教えの劣化コピーにあたるからだ。麻原とオウムを設立した連中は、仏教やヒンズー教から「つまみ食い」して、勝手に麻原神格化のようなデタラメなプロパガンダを抱き合わせたにすぎない。
オウムの信者たちは、例えるなら、安物のワインを飲み、それが高級なワインの味だと錯覚している状態といえる。だが、いったん本物を知れば、二度と騙されることはない。麻原とオウムの教義がしょせんは劣化コピーでしかないこと、最終解脱者なる呼称が噴飯物でしかないこと、太古から受け継がれてきたインド思想に勝手にプロパガンダを抱き合わせた「まがいもの」にすぎないこと等が分かれば、信者たちは修行の場を変えねばならないと自ら判断するだろう。こうして彼らは内側から変わることができるのだ。
その「本物のワインを知る」機会を与えることが、すなわち対策である。古代の聖典を彼らに配布し、学ぶ場を作ることは、政府や警察の力からすればそれほど難しいとも思えない。要は本と講師と学習スペースがあればいい。しかも、スペースは既存の公共施設を利用できるため、それほどコストが掛からないだろう。このプロジェクトは、過去の信仰を上書きする、又はアップデートするようなものだ。確かに地道で、遠回りだろう。しかし、彼らがこれまで学んできたことの原典・源流に当たらせることが、オウムの歪んだフィルターを取り除く上で、もっとも確実な方法だと考える。
*また、過去の伝統宗教や聖典であっても、無理に納得させる必要はない。たとえば、その人が「ここは変じゃないか?」と疑問に思ったら、その考えは尊重されるべきだ。
(フリーランスライター・山田高明)
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2024.10.02 20:00心霊オウム真理教の教義に魅了され続ける人が絶えない謎!のページです。オウム真理教、アレフなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで