記憶形成劇場ドームを設計した男、ジュリオ・カミッロ ~記憶術の歴史~
この他にも、記憶術者の中には、高度な図像記憶を持つ者がいる。図像記憶の持ち主は、本の内容を覚えるのではなく、ページを目で見るだけで、スキャンをとるようにしてそのページを記憶してしまう。本の内容を思い出すときにはその「スキャン画像」を思い出し、頭の中でページを読むのである。
記憶術者たちの世界はまるで超能力者の世界であり、天性の能力がその記憶力を左右するようだ。しかし、そうした能力の持ち主でなくとも「記憶術」自体は身につけられる。むしろ、記憶術の研究は、天才的な能力を持たない者が、天才たちと同様の能力を得るために行われてきたものだと言えるだろう。イギリスの歴史家、フランセス・A・イエイツの著作『記憶術』(水声社)は、古代ギリシャからルネサンスに至るまで、ヨーロッパの歴史のなかでどのように記憶術が扱われてきたかを調査した研究書である。
■凡人が天才になる方法とは?
・視覚に記憶を結びつける
ヨーロッパにおける記憶術の始祖とされるのは、紀元前6世紀半ばに生まれたギリシャの詩人、シモニデスだった。彼があるとき、酒宴に呼ばれた際、会場の屋根が崩れてしまった。その事故により、酒宴の出席者はシモニデス以外全員死亡。おまけに死体が誰のものかも判然としない。そこでシモニデスは、酒宴の出席者が座っていた位置を思い出すことで、死体の身元を判別しようとした。この、「場所の記憶という視覚的なイメージに、記憶を結びつける」という方法が古典的記憶術の原型となった。
・記憶を定着させる建物
こうした古典的記憶術はルネサンス期に最盛期を迎えた。この時期には、記憶術に役立てるための建築を構想する者も存在する。こうした人々は、言わば、ハードディスクに頭のなかの記憶をアウトソーシングするように、建物の中に記憶する場所を作ろうとしていたのである。なかでも16世紀イタリアの哲学者、ジュリオ・カミッロがベネチアやフランスに建設した「記憶の劇場」のコンセプトは同時代の知識人たちから「神のごとし」と絶賛を受けていた。カミッロが設計した円形の劇場には、客席の部分に「記憶の場所」が設けられ、劇場の利用者は舞台からその「記憶の場所」を眺めることで自在に記憶を取り出すことができるとされた。オカルトに傾倒していたカミッロならではの建築物だ。
・書いて覚える
しかし、このような記憶術は印刷技術の発展によって、書物へのアクセスが容易となり、何もかもを記憶する必要がなくなる…という社会の変化によって衰退することになる。ハーバード大学の歴史家、アン・M・ブレアの著作『Too Much To Know: Managing Scholarly Information before the Modern Age』(Yale University Press 残念ながら翻訳なし)によれば、17世紀頃には「ノートに取る」という現代でもありきたりな手法のほうが記憶に役立つとして、記憶術は歴史の表舞台から姿を消してしまうのだった。
インターネットと検索技術の発達により、日常生活で記憶力が重宝される機会は少なくなりつつある。必要なことが思い出せなければ、Google先生にお伺いを立てるだけで、万事が済んでしまうだろう。試験制度改革が記憶力重視の試験を見直そうとしているのにも、こうした時代の変化が影響しているのかもしれない。古典的記憶術が時代の変化で衰退したように、暗記テストもなくなれば、受験生にとってはありがたい話に違いないが、それが日本にとっていいか悪いかは、また別の話…。
■カエターノ・武野・コインブラ
会社員。日本のインターネット黎明期より日記サイト・ブログを運営し、とくに有名になることなく、現職(営業系)。本業では、自社商品の販売促進や販売データ分析に従事している。女子の素直な“ウラの欲望”に迫った本音情報サイト【messy】では「恋愛コンサル男子」を連載中。
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2024.10.02 20:00心霊記憶形成劇場ドームを設計した男、ジュリオ・カミッロ ~記憶術の歴史~のページです。カエターノ・武野・コインブラ、ジュリオ・カミッロ、凡人、記憶などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで