日本アニメの実写化はなぜ必ず失敗するのか?外国人が語る日本独特の世界観
■架空の物であるはずなのに、イメージが一致している
難しい書き方になったので、簡単に言い換えましょう。日本のアニメは、世界観やその設定がしっかりしているために、そのアニメを見た人は、アニメの中の世界が現実の世界であるかのように、そして現実にそれを見てきたかのような疑似体験をすることができ、全く架空の存在であるものの実物を作り出すことができてしまうということになるのです。
さて、シンデレラや白雪姫など、ディズニーの扱っているアニメは、元々の「おとぎ話」が存在して、その話をディズニーがアニメ化したものです。要するに、ディズニーのアニメではなく、おとぎ話から先に入った人からしてみれば、ディズニーのアニメのキャラクターは、ひとつの選択肢でしかなく、ディズニーが描いた内容と全く違ったとしても、そんなに大きな違和感を感じません。
また、キャラクターの性格の設定も、かなりいい加減な情報の中において成立しています。よって、昨年の映画の『マレフィセント』や少し古い映画ですが『フック』など、ディズニーアニメで悪役になった者たちであっても、そのもののキャラクターを現代的感覚で描くということができ、それを実写化することによって、大きな反響を得ることができます。
「キャラクターの設定」と「頭の中の偶像」が、フレキシブルであることで、実物の人間がその役を行っても「ブレ」が小さいのです。というか、もともとの設定が荒いということです。
これに対して、日本のアニメーションはかなり大変です。キャラクター設定の中に、本来の物語とは全く関係のない、主人公の趣味なども設定として細かく描かれていることが少なくありません。まさに、現実の人間がそこにいるかのような設定で、その設定から派生する「イメージ」はかなり固定されています。
しかし、その中のキャラクターはあくまでも「物語の中の登場人物」であり、「作家の空想の産物」なのです。要するに「実物」は存在しない。繰り返しになりますが、要するに「日本のアニメーション」は、その世界観やキャラクターの設定が非常に細かく作られていて、そのトータルとしての世界観が「現実社会を超越している」ということが言えるのではないでしょうか。
逆に、その頭の中の世界観を多くの人が確立しており、なおかつ、その世界観が、アニメを見た人ほとんどがほぼ同一のイメージを作り出すことができるということで、そのイメージが固定化し、まさに三次元の現実世界にそのものが存在するかのような「共有性」を持つことができるのです。これが、おとぎ話や非現実性の強いアメリカ的なアニメと日本のアニメの決定的な違いです。
見方を変えて言えば、ディズニーは、「ファンタジア」で音楽という現実とアニメーションの融合を、そしてそのほかの映画で現実の実写とアニメーションの融合を行うことができました。実際に融合している「継ぎ目」が多くの視聴者にわかってしまうということになります。日本のアニメーションの場合は、アニメと現実社会を融合させる必要はありません。実際に、観ている中に現実の社会、東京やニューヨークが存在し、その延長線上にしっかりとしたキャラクターが存在し、そのうえで、そのキャラクターが実際の人間のような細かいスペックで動き回るのですから、実際の社会の人々がそこに出演してしまっては、世界観が壊されてしまうということになるのです。
まさに、この「世界観が壊される」という感覚こそ、日本のアニメーションの実写化がほとんど失敗するということの最大の要因ではないかと思われます。勿論、中には、演技が未熟であるなどの理由もありますが、そもそも日本のアニメーションの最大の特徴は「すでにアニメーションの中の設定がしっかりとでき上がっている」ということであり、また、その設定が「作者と視聴者の間で同一の世界観を共有している」ということになります。これは、まさに、外形だけをまねたりしても意味がない「中身まで同一性を持たなければ演じることができない領域」になっているといえるのではないでしょうか。
■魂の再現
私はホテルの仕事をしているのですが、イベントをする時、日本のアニメーションの世界観を表現してほしいとフランスのホテルから依頼されたことがあります。実際に、いくつかの提案をしましたが、結局それらは全く採用されませんでした。なぜならば、結局、ホテルスタッフがそのアニメーションのキャラクターや世界観に入ることができなかったからです。勿論、そこまでしなくても良かったのかもしれませんし、またそこまで高いレベルの要求はされていません。しかし、日本のアニメーションで最も必要なものはその世界観であり、キャラクターやロボットの外形ではないのです。世界観や設定を忠実に行うということは、日本人が最も重要視する「魂」の部分まで、しっかりと「再現する」必要があります。「真似る」のではなく「再現する」ことが必要なのです。そのもっともよく表れたのが、「実物大のガンダム」ではないでしょうか。
細かい設定部分に共感する「ココロの感受性の強い読者」という、日本人の読者の特性はもっと注目されるべきです。日本のアニメは、その「設定」「世界観」「魂」の部分で、物語そのものと全く関係のないところまで、実際の人間がいるかのように決められており、その内容を読者が共有しているということになります。そして、その日本のアニメが世界で受け入れられているということは、まさに、世界中が、日本の世界観を支持しているということです。そして、その支持している設定が、実は万国共通に認識されているということが言えるのではないでしょうか。「メイドインジャパン」の強さは、このようなところかもしれません。
(文=ルドルフ・グライナー)
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