自殺の名所、青木ヶ原樹海で見つけた不気味な暗号「孕メ三七」
樹海の魅力に惹かれ、周囲を探索する人の間では有名だが、遊歩道から外れて少し奥へと足を踏み入れると、訪問者たちは慈愛に満ちた純白の観音像に出迎えられる。無論、誰が設置したのかは定かではない。その身には「命大切」という文字が刻まれ、それがこの地を訪れる者に対して、自殺を思い止まらせる意味あいが込められていることは、誰の目にも、想像するに難くない。深い悩みを抱えた者も、悲嘆に暮れる毎日を過ごす者も、さらにはそうした感情ですらも奪われ、生きた亡者のごとく、時間だけが流れ続けるような日々を送る者でさえも、願わくはその想いを大自然の中へと捨て去り、今来た道を引き返してほしい。そんな物静かながらも強い想いが、ひしひしと伝わってくる。しかし、この地を彷徨う旅人の中に、その想いに気づく者がどの程度いるのだろう。この地で1年間に発見される自殺体の数を鑑みれば、自ずとその答えが見えてくるというものだ。
しばしの散策の後で、今度は遊歩道のない139号線からふらりと入り、少し歩くと、小さいながらも一際目を引く、道標のようなものに出くわす。全体的には古いコンクリートか、石質のものでありながらも、その表面にはなぜか「孕メ三七」の文字が刻まれ、そもそもこれが本当に道標なのかどうかですら怪しいという、なんとも奇異な代物だ。
仮に「メ」をカタカナであると考えれば、昨日今日作られたものではないと考えられるし、またその読みを「ハラメサンシチ」などとすれば、七文字となるため、上の句を加えて「五七調」の一句とし、さらに前後を加える形で「五七五」「五七五七七」のような形の句にもすることで、意味の通る内容にすることも可能かとは思う。今回の散策では、その「見えない意味」を、補完できるようなものは発見できなかった。もしかすると、この広い樹海のどこかには、そうした意味を持つものが隠されているのかもしれない。呪詛か、隠語か、はたまた何かの暗号か。一体、その文字の意味するところは何なのだろうか。
「胎内の記憶 花咲く樹海に入り」。句集『菫歌』などで知られる俳人・たむらちせい氏は、かつて樹海についてこの句を詠んだ。観音像の設置主は、その想いを誰に向けたのか。道標に込めたその謎めいた文字は、どのような思念を持つ者が刻んだものなのか。傍らにうち棄てられたスニーカーの持ち主は、その後、自らが求める胎内へと無事に辿りつけたのか。未知の動植物が持つ力強い生命力に彩られ、日々数多の人々をその胎内へと招き入れるこの森は、今日もその深い懐の中で、その子供たちに、仮初の安息と、終の地を与え、物静かに佇んでいる。
(写真/文=Ian McEntire)
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2024.10.02 20:00心霊自殺の名所、青木ヶ原樹海で見つけた不気味な暗号「孕メ三七」のページです。Ian McEntire、残置物、青木ヶ原樹海などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで